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闘牛の話の続き

前回のブログを書いてから、

2~3日空いちゃったな、と思って開いたら

もう5日も経っているではないか!

日にちの感覚がないことにビックリした。

コロナ自粛の間に身に付いた習慣で、

何かをしている時、

いつの間にか、動きが止まって

まばたきもせず、

ぼーっと、

何かを考えているのか、

全く無の状態なのか、

それすらもわからないまま、

自分の意識のないところで

動作も思考もすべて、静止画のように

なっている自分がいることに気が付いた。

前回のブログで書いた、想像の癖とは

違っていて、正に、空白の思考なのだ。


ヤバい。

これはヤバいぞ。

こういう状態の頻度がますます増えて、

ジワジワと認知症に繋がる日が

もう間近に迫っているのでは?!

だから、無理にでも頭を使うことを

強いてやらねば、

非常にヤバいことになりそうだ💧


ということで、闘牛のブログを書いてから、

昔の記憶を強引に呼び覚まし、

そうそう!本物の、通の闘牛以外、

まるで最高のショーを見ているような、

観客を大歓喜と大興奮させてくれる、

「レホネオ」という闘牛形式があったぞ!

と思い出したので、

それを今回書こうと思う。


レホネオという闘牛は、しょっちゅうはやらなくて、
夏の闘牛シーズン時に、特別に1~2日組み込まれる。

レホネオの特徴は、
『馬に乗った闘牛士が、闘牛をする』のだ。

何が面白いかって?
何と言っても、馬の牛に対する動きなのだ。
もうそれはそれは、お見事としか言えない。

その前に、レホネオの進行について。
レホネオの場合、闘牛士が自分の馬を3~4頭
準備して、最初にその馬たちをお客さんに
披露する。馬の毛並み、スタイル、色、全てに
おいて、見とれるほど美しくて品がある。
そして全ての馬のタテガミのお手入れが違っていて、
リボンやボンボンや様々な飾りを付けている。

闘牛の間、各場面で闘牛士は馬を変えて、
最後に牛を殺すまでに自分が用意した全ての
馬を使うのだ。

さて闘牛が始まる。
牛が勢いよく闘牛場に登場する。
馬はさっそく牛に対して、まるで踊っている
ようにステップ交じりで、自分の方(馬の方)に
来るように挑発する。

それを見た途端、突進して走ってくる牛。
馬は平然と、あと数センチで牛の角にやられる
くらいの近距離まで、その場でチョンチョンと
軽やかにステップを踏みながら待つ。

ああああ!馬がやられる~!!!
と、観客が絶叫する瞬間、

ヒョイ!と一飛びするように、身をくねって
馬は見事にかわし、牛に向かって、

どーーーーだ!刺せないだろ~? 
ハハハ!襲えるものなら襲ってみ!

と、本当に小バカにしたように、
馬はステップしながら牛を笑うのだ。
本当にバカにして、笑うのだ。
そう見えるのだ。

それがたまらないレホネオの醍醐味!
様々なカッコいいステップで、絶対に、
確実に、そして見事に身をかわし、
必ず牛に、どーーーだ!と見せつける。
こちらは、ハラハラドキドキだけど、
ううう~~~!!!クッソ~~~!!!
馬!カッコよすぎ~~~~~!!!

と、超満員の観客は大喜びと興奮で、
地団駄を踏みながらオレィ!!!の大絶叫。

でもそれは、馬を見事に操る闘牛士の
凄腕と技術で、馬のあの素晴らしい動きを
生み出しているのだけど、それにしても
馬との呼吸、手綱さばき、馬を操る技術、
そして馬の上からの闘牛、本当に脱帽。

もちろんレホネオも、闘牛士は命懸けだ。
右へ左へとまるで蝶のように身をかわす馬の上に
乗ったまま、バンデリジェーロが使う小刀や、
マタドールが使う最後のとどめの刀を使って
一人の闘牛士が、ほぼ手綱も持たずに馬の上から
500キロ越えの牛を殺すのだ。
まるでアメリカのロデオのような感じで、
でも絶対に馬から落ちずに、牛の背中に見事に
刀を刺して殺す。想像を超える域の技と勇気だ。

というところで、スペイン旅行する知人たちに、
昔はよく、「闘牛が怖くて嫌いでも、もしレホネオ
を見る機会に恵まれたら、ぜひ見て!」と勧めて
いたけれど、今の時代、昔の闘牛はもう見れないし、
レホネオはどうなっているのだろう。

本当に、レホネオを見るのが楽しみでたまらず、
見た後は、感動と興奮で眠れなかったっけ。

正当な理由があるとしても、時代と共に
昔からの伝統が失われるのは寂しい。

                
                6月16日

# by amicielo33 | 2020-06-16 17:40  

観光文化編 エッセイ3「闘牛のお話 後半」

先ほどから雨が降り出したけれど、

いよいよ東京も梅雨入りだ。

ムシムシジメジメの日々スタート。

さて、駅の近くにある薬局は、

本日ポイント10倍デーなので、

おお!この日を待ってました!

買うぜよ!と鼻の穴を膨らませて

勢いよくお店に入った途端、

超ジメジメとムシムシと自分の気力が

一気にマスク内で反応し、

マスクから火が噴き、顔が火の玉になり、

汗がドバーッと吹き出し始めた!

買い物の間もずーっと汗ダラダラが止まらない。

マスクして目をキョロキョロ、

そして商品を前に、大量の汗をかいている私・・・

これじゃぁ初犯の万引き客に見えるじゃないか!

間違えられたらエライこっちゃ💦

なので、買い物リストを書いたメモ用紙で

大げさにバタバタと風をあおいで、

暑さに苦しんでいる客であるアピールの

ジェスチャーを、各商品の前で何度も

立ち止まっては、必死に演じた。


” 監視カメラは必ず、無実であるこの私の姿を

映しているから、今、警察たちが万引き犯を

捕まえようとダダダッと店内に駆け込んできて

もし私を取り押さえ、店の裏にある小部屋に

後ろ手にされて連れて行かれても、

私は、監視カメラの画像を確認するよう

警察たちに叫び続ければ、

彼らは私が何一つ商品を盗まないで

必死にメモ用紙であおいでいる姿を見るはず。

だから、それで私が犯人ではないことが

彼らに証明できる!

大丈夫!私はマスクで汗をかいているのであって

万引き犯でないのだから!!!” 


と、強く確信した瞬間、

動きを完全に止めて、

どこか一点を見つめたまま、

毎度の癖で、どっぷりと想像の世界に

入り込んでいる自分に気が付く。

あ~あ、まただよ、バカみたい。

また想像が止まらなくなってるじゃん💧

一生この癖は治らず、

いつも、どこでも、毎度この現象が起きる。

何かのきっかけでスイッチが入り、

突然、想像がブワ~ッと広がり始める・・・

癖というより、一種の病気です😓

              6月11日

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「闘牛のお話 後半」

さていよいよ、闘牛の最高の華、「マタドール」の登場。
牛の最後のとどめをさす、闘牛士の登場である。
片手にムレタという、世の中でお馴染みの真っ赤な布で
牛を操る。ここからが闘牛で一番の見どころだ。

ムレタで牛を闘牛士の身体と密着するくらいまで
引き寄せて、牛を右へ左へと誘導する。
かなり牛が弱っているとはいえ、500キロ以上の巨体の
闘牛の牛に、自分の身体をスレスレまで寄せていくのは
想像を超えるくらいの勇気が必要だ。

素晴らしい場面はそうめったに見られないが、
闘牛士の持つムレタと牛の間に、定規で測られたような
〝ある空間” が、闘牛士の周りに美しいラインのように
生まれる時があるのだ。本当に不思議で、絶妙で、
まるで空気が止まったような、なんとも言えないような
不思議な空間が生まれる瞬間があるのだ。
牛を引き寄せて、最後にムレタをスーッと空間に抜く。
言葉で説明するのは難しいのだけど、牛と闘牛士の間に
生まれる一瞬の不思議な空間に、ムレタで空気の流れを
作って最後の瞬間にスッと抜くのだ。
その瞬間瞬間に、観客はうなり声で「オ~レエィィ」
というのだ。引っ張る空気感が長ければ長いほど、
その感覚に観客も一体となり、オとレの間も伸びる。
オォォォォ~~~~レェィィだ。
スッとムレタを抜いた時は、オにアクセントのある、
短い「オレ!」だ。
このような瞬間を見るチャンスに巡り合えたらとても
ラッキーであるが、残念ながらこういう芸術的な
闘牛はめったに見られない。

多くの闘牛は闘牛士によって牛を操るタイプが分かれて
おり、動きが派手で、勇気を売りとしている闘牛士、
技術派の闘牛士、渋めの闘牛をする闘牛士など様々。
いずれにしても、牛が弱っている状態とはいえ、
最後の花形のマタドールが闘牛している間は、
やはり観客席の盛り上がりはものすごい。
皆さん、パソ・ドブレという音楽を聴いたことが
あると思うが、素晴らしい闘牛になると、バンドの
演奏者たちが、まるでご褒美のように、闘牛士が
闘っている間、客席からパソ・ドブレを演奏するのだ。

そしていよいよ、とどめの時。
パソ・ドブレの演奏も止まり、闘牛場は一瞬にして
シーンと静まり返る。闘牛士は剣を持つ手の角度を変え、
牛の背中の、首の後ろ辺りにほぼ直角に刺せるように
一定の距離を取って構える。
観客も息をのんで、牛に最高のとどめの一刺しが
決まる瞬間を待つ。

・・・・・・・・!

刺した瞬間、観客全員、オレィ!と叫ぶ。
一刺しが見事に決まると、牛もキョトンとしたまま
ドゥと倒れる。いっさい苦しまない。お見事。
しかしながら、刺す場所が悪いと何度も剣を刺したり
抜いたりすることとなり、牛は大量の血を吐いて
苦しみ、かわいそうで見ていられない。
それでも死なないので、最後は小刀で延髄を刺して殺す。
この場面は何百回見ても牛が気の毒で、思わず目を
伏せてしまう。

さて、マタドールが見事な闘牛をしたときは、観客が
一斉に白いハンカチを振って、主催者に闘牛士への
ご褒美を与えるように求める。そのご褒美が「いい闘牛」
なら、殺した牛の片耳。「もっといい闘牛」なら両耳。
「最高の闘牛」なら尻尾である。尻尾を獲得した闘牛士は
完全にヒーローであり、牛を倒して尻尾を受け取った後、
闘牛場の第一扉から人々に肩車されて闘牛場から出る。

とはいえ、こんな素晴らしい闘牛はめったいにないが、
素晴らしい闘牛を見ることが出来たら、闘牛士が命を
懸けて観客に見せてくれた「闘牛の芸術」の瞬間を
一生忘れることが出来ないと思う。
動物愛護団体がどんなに批判しようと、あれは確かに
「闘牛の芸術」と言える。
今まで何人もの闘牛士が牛に刺されて命を落とした。
闘牛士が命を懸けて演出した芸術かもしれない。

余談だが、殺された牛は即座に、闘牛場の一隅にある
解体場に運ばれ、短時間で解体されていく。
観客で、もし牛の角が欲しければ、その場で買うこと
が出来る。値段はそれほど高くもなかったと思う。
闘牛用の牛は食用でないので、肉質が硬い。
解体された全ての肉が何に使われるか知らないが、
闘牛場の周りにあるバルでは、解体された牛の
シッポの煮込みのタパスが必ずあり、それはよく
煮込まれているので柔らかくてとても美味しい。

最後に、闘牛場と言っても、セビージャやマドリッド
などの大都市の中心地にある闘牛場と、村々にある
小さな闘牛場とは、雰囲気が全く違う。
やはり、歴史、建物の重厚さ、誇り、大きさなど
全て立派で品があり、とても落ち着いた感じがする。
そして観客席には、特に一番値段の高い席には
超大金持ちがズラリと座り、必ず正装していて、
男性は必ず葉巻を口にしている。
女性たちも正装でとにかくエレガント。そして
フラメンコで付けるようなペイネタではなく
正装用の大きなペイネタとレースを頭に付けたり、
レースのマントンを羽織る。一般の人たちはラフな
格好だけど、それなりに都会らしい雰囲気だ。

それに対して田舎の闘牛場は、何とも言えない、
のんびり感に溢れ、(でもちゃんと闘牛はやります)
素朴さとファミリー感に包まれている。そして観客の
オジサン、オバサンが親切この上なく、山のように
食べ物を持ち込み、コレ食え~アレ食え~と、
闘牛の間中、ず~っとうるさいくらいに、次々と
食べ物や飲み物をふるまって構ってくれる。
お腹パンパンになるまで食べさせてもらって、彼らと
一緒に”オレ~~!”と叫びながら見るのも実に楽しい。

セビージャの闘牛場、レアル・マエストランサの
プラサ・デ・トロス・デ・セビージャで闘牛する事は
闘牛士にとって最高の名誉だという。
フラメンコも、このセビージャの地で演じるのが
一番名誉であり恐ろしいと、歴代のアーティストたち
が口にしていたのを聞いた。
フラメンコはもちろんだが、闘牛も繰り返し見てきて、
そして感じてきて、ようやく闘牛とフラメンコには
共通するものすごいアルテ(芸術性)があるのが
よくわかった。貴重な体験ができたことに感謝したい。
闘牛の好き嫌いは別として、スペインに行ったら
一度は見ることをおすすめします!

※今の時代は、上記のスタイルの闘牛は法律で禁止
されてもう見ることはできないそうです

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# by amicielo33 | 2020-06-11 18:56  

観光文化編 エッセイ3「闘牛のお話」

スタジオの近くにある、蚕糸の森公園で

5月20日あたりに生まれた12羽の子ガモたち。

去年は生まれて直ぐに、全羽がカラスなどに

襲われたかして姿を消してしまったけれど、

今年は12羽、みーんな元気にスクスク育っている。

この写真は生まれてから10日くらい経った頃の写真
観光文化編 エッセイ3「闘牛のお話」_e0262970_19473504.jpg





























でも今は、もっともっと育って、

中途半端な、半大人カモ。

写真撮るにも、もう正直、あまり可愛くないので

大人になりつつ彼らに、

直接、今日も元気だね~と

挨拶するだけになった。

動物も、人間の子供も、

全員が、日々、月々、年々、

年を取っていく。

というか、確実に老いていく。

諸行無常・・・

夢に燃え、恋に燃え、

現実に苦しみ、恋に悩まされ、

情熱のエネルギーだけで、ひたすら前を向いて

無我夢中で進んだ若き頃。

本当に大変で辛いことばかりだったけど、

それは、若いからこそ湧き出る

「勇気」で得ることが出来た、

最高に充実した時間だったと、

今になって、しみじみとわかる。

あ~~あ、

こんなため息だけが出る、今日この頃でやんす。

さぁ、最後のエッセイを書きますが、、、

今の時代、動物愛護の活動で、昔の闘牛スタイルが

完全に失われてしまった。

確かに闘牛は残酷極まりない行事だけれど、

それでもスペインの伝統文化として支えられてきた

貴重な歴史の一部分なので、

どのように闘牛は進行するのかなど、

私の目で見てきた闘牛の中身を(浅い知識だけど)

2回に分けて書こうと思う。

っつーか、長いので分けます。

残酷な内容が嫌いな方、ごめんなさい🙇💦

                  6月9日


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「闘牛のお話」

スペインといえば闘牛とフラメンコ。
こう言うと、たいていのスペインの人は怒るけど、
外国人から見たら、まさにスペインは闘牛とフラメンコ
しかスペインを特徴づけられるものはない。日本を
外国人がフジヤマ、ゲイシャというのと同じことだと思う。

その闘牛だが、私はさほど闘牛ファンでもないが、
それでも徹底的に凝った時期があった。
初めて闘牛を見たのは13年前。興味本位で一回くらいは
闘牛を見てみにゃぁスペインにきた意味がないぞと、
軽い気持ちで見に行った。しかし、その気持ちが裏目に。

目の前で巨大な真っ黒の牛と闘牛士が死闘を繰り広げる。
ものすごい牛の叫び声が響く。恐ろしくて思わず座席に
座っている身体が凍り付いたように固まる。
牛の角が闘牛士の喉元に引っ掛かった!闘牛士の顎が
上がり、喉から血がダーッと出た瞬間、身体は宙に放り
上げられ、彼は頭から地面へ落ちた。そこで再び、牛は
角で攻撃をしかけてくる。闘牛士は血を流しながら牛の
角でグイグイ刺され続けてもピクリともしない。
別の闘牛士たちが彼を助けに凄い勢いで走り寄る。
倒れていた闘牛士はそのまま担架で運び出され、
他の闘牛士がその牛を殺した。
そこで私は大きなショックを受けたのである。

闘牛士のケガももちろんショックだったけど、闘牛の場に
選ばれてきた牛は、”闘牛場で死ぬ過程を見せるため”に
育ってきたのだ。闘牛士を引き立てる脇役にもなるために。
それは〝牛が可哀想” で割り切れるようなものじゃぁない。
ここで感じている、このショックはいったい何なのだ!?
と、少しでもひっかかると直ぐに追求したくなる私の常、
この日から闘牛に通い続けるハメになったのでアル。
闘牛ファンに比べたら、へのカッパの回数だけど、それでも
50回以上は闘牛場に足を運び、闘牛のテレビ中継は数え
切れないほど見続けた。そのうちに考えるのを通り過ぎて、
闘牛を通して感じる、要するに「闘牛の芸術」を少し理解
できるようになってきて、スペインの伝統文化として
支えられている意味がわかってきた。楽しめる時もあった。
(動物虐待反対の人、ごめんなさい)

さて、闘牛の進行を説明したいと思う。
闘牛は通常、最後に登場するメインの花形闘牛士3人が、
2回ずつ、計6回の闘牛を一日の興行で行う。
しかし、ハイ、闘牛が始まりま~すといって、最初から
いきなりメインの闘牛士がジャジャ~ンと出て来て
牛と闘うわけではない。

闘牛開始の時間になると、最初に牛専用の扉がパーッと
開いて、ものすごい勢力で一匹の牛が飛び出してくる。
時には勢い余って観客席に牛が飛び込むこともよくある。
その時、観客はクモの子を散らすように逃げまくる。
一番力のある状態の牛なので、逃げる際、大転倒や、
観客席で牛に突かれて大怪我をすることもよくある。
ここまで興奮状態の牛にする為に、実は、闘牛の何日か
前から牛は暗い部屋に入れられ、何も食べさせられない
らしい。(それこそ虐待!)

この牛は実に大きく、有名な闘牛シーズンになると、
毎回600キロ近い雄牛が登場する。本当に大きくて
首周りの筋肉が盛り上がって見事だ。闘牛用の最高の
牛の血統を「MIURA(ミウラ)」という。
まるで日本の苗字みたいだけど、ミウラの牛と聞けば
それだけで闘牛場に緊張が張りめぐらされるほどだ。

さて、登場した牛は、まず観客に牛の姿を披露するのと、
牛を疲れさせるために、下っ端の闘牛士たちが、広い
闘牛場のあちこちでカパ(片面ピンクと黄色の大きな半円形
の布)を振り、呼び寄せながら牛をとにかく走らせる。
この時に、観客は良い牛かどうか(足が悪くないか、
元気でない牛ではないかなど)を見極めるのだ。
なぜなら、闘牛士という人間が命を懸けて闘うので、
相手となる牛が少しでも悪い条件を持っているのは
許されないのだ。
なので、悪い部分を発見すると、いっせいに観客たちは
「緑色のハンカチ」を振り(闘牛ファンは用意していく)
牛を交換するように抗議する。
主催者は牛を交換したら大損失になるのでシブルが、
見るからに調子の悪い牛なら承諾せざるを得ない。

こうして牛がハァハァ呼吸し始める頃に、スタンドに
スタンバイしているバンドのおっさんが下手な、でも
味のあるトランペットで、闘牛の進行の切り替えを
お知らせするファンファーレを吹く。
カパを持った闘牛士たちは、闘牛場の塀の中に入って、
場内で危険なことが起きたときに即座に走っていける
ようにスタンバイをする。

すると今度は、、大型のドッシリした馬に乗り、
手に長い槍を持った、ピカデーロというオッサン
(絶対に太っている)がノソノソと登場する。
闘牛場内はピカデーロしかいないので、牛は
ピカデーロに攻撃的に向かっていく。
なので馬の上から長い槍で牛の背中をグイグイと
刺して牛の勢力を落とすのである。
この段階で牛の背中は血まみれである。
ピカデーロの決まりとして、闘牛場の中に引いてある
白いラインの中に入ってはいけない。お相撲の土俵
の中に入ってはいけないのと同じ感じだ。
時には、牛の勢力が強くて、牛が馬ごと持ちあげて、
ひっくり返す時がある。牛の首の物凄い力だ。
太ったピカデーロのオッサンは馬の下敷きになって
身動きが取れずにもがいている。それはどうでもよく、
馬が怪我をしなかったか心配になるが、馬のおなかには
分厚いマットがぐるりと巻いてあり、牛の角でお腹を
刺されてもケガしないようになっている。

十分に牛の背中が刺されて、30%くらい力が弱まった頃に
再びファンファーレが鳴り響き、次に、第二の花形である
バンデリジェーロという役の闘牛士が登場する。
走ってくる牛に正面からジャンプして、両手に持った
小さいモリで牛の背中に刺す役目だ。
これはものすごい勇気が必要だろう。彼らの身長より
高くて、予測不可能な動きの巨体の牛の背中の急所
めがけてジャンプで刺すのだから危険極まりない。
牛は確かに可哀想だけれど、ものすごい勇気で牛の
真正面から小さなモリを見事に刺したときは、
観客席から「オ~レ~~!!!」と一斉に声があがり、
盛大な拍手で会場が一気に盛り上がるのだ。
オーレというフラメンコのハレオと共通する掛け声が
闘牛場で同じに使われるのも面白い。
しかし、こんなに危険なスタイルで牛と闘うのだから、
バンデリジェーロも命に関わる大ケガをする頻度
が半端ではない。花形だけど、正に命懸けの役目だ。

この辺りで、牛はさんざん走らされ、槍やモリで突かれ、
いっぱい出血して、最高に息が上がっている。
さぁ、この状態になっていよいよ、花形中の花形、
主役の〝マタドール” 牛の最後のとどめを刺す闘牛士
の登場である。

続く。。。

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# by amicielo33 | 2020-06-09 14:19  

観光文化編 エッセイ3「遠慮」と「感謝」について

いよいよエッセイも次回の巻でラスト。

コロナ自粛の間、ボソボソと書き続けてきたけど、

まぁなんとか、あと一話でラストを迎える。

問題は、エッセイを書き終えてからだ。

本来はエッセイなしのブログが当たり前なんだけど、

エッセイを挿入してから、大いにエッセイに

頼っている自分がいるので

今まで読んでくださっている方々は、

ブログだけを読んでくださるのだろうか、、、

と、ちょっと心配。

でも、本来、文章を書くことが好きだし、

このところ、”2~3日ごとにブログを開く”

という習慣がついたのをなくさないように、

相変わらずアホな内容になるだろけど、

日々起きたことや、思ったこと、意見などを

率直に書いていこうと思う。

これからもよろしくお願いいたします!

                 6月6日

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「遠慮」と「感謝」について

遠慮とは、”他人に対し、言葉や行動を控えめにすること”。
日本人は実にこの「遠慮」というものが出来る国民だと
思う。人に対する過度でない遠慮は、迷惑をかけないように
気遣う、その人の心の繊細さの表れ。
日々、スペインの開放的な、遠慮のない人々と接して
いるうちに、日本人が持っているこの「ほどよい遠慮の
礼儀の美しさ」を改めて感じるようになってきた。

スペインの遠慮のない行動で、日本人の私としては
どうしても受け入れにくい一つの例をあげてみる。
たとえば、スペイン人がどこかに旅行するとき、旅行先の
土地に知人がいるとする。すると、その知人宅に、訪れる
本人以外、恋人や友人だけならまだしも、長い間音沙汰の
なかった大昔の友人であろうが、訪れる側が何人になろう
と構わずに、知人宅に泊まり込むことを当たり前に考えて
いる。とにかく全く遠慮なしに、芋づる式に集まって
大人数でゴソッと訪ねる。
日本人だったら「あまり友達でないのに家に泊まるのは
図々しくて申し訳ない」「こんなに大勢で訪ねたら、
すごい迷惑をかけるのではないか」などと考え、遠慮する
のが普通の感覚だ。しかしスペインでは違う。
「自分を訪ねて来てくれた人たちのお世話をするのは
嬉しいことだし、自分が今度その土地を訪れた時、
お世話になれるから」とプラスマイナス思考でスッキリ
割り切っている。

そして、訪れる側は、何日泊っても、その間にかかる
実費を払わない。水もガスも電気も遠慮なく使い、
食事の分だけ泊っている人たちで割り勘にする。
なので、知人がその土地にいるのに、その家に泊まらず
ホテルに泊まるという日本的な気配りは、スペイン人
にはお金の無駄遣いであり、付き合いが出来ない人と
みなされるのである。このような誘いを受けると、
私はどうしても日本的気遣いばかりしてしまい、行けば
行ったで歓迎されて楽しいけれど、異常にくたびれる。
この遠慮のない習慣だけは、どうしても慣れることが
私には出来ない。

そのうえ、スペイン人はアプロベチャール(”利用
する”という意味)できるものは、徹底的にアプロべ
チャールする。
例えば、友人が小さなバルを開いて、開店祝いに知人、
友人を招待したら、”タダだから”と気の毒なくらい、
飲み食べまくり、しかしその後は誰もそのバルを訪れ
ないので数か月後には閉店してしまったこともあった。
そういえばスペイン人の友人と玉川高島屋の1階の広くて
美しい休憩サロンにいた時、その友人が「こんな
きれいで、しかもタダで休めるサロンがスペインに
あるとしたらどうなると思う?家族・親戚・友人一同
で昼食もおやつも山のように持ってきて、そういう
一団がこのサロンを埋め尽くし、大騒ぎしながら
閉店時間まで絶対にここをアプロベチャールするはず」
と友人は笑った。まさにその通り!
さらに、ここ玉川高島屋のデパ地下食品売り場に
もし、試食コーナーがあれば完璧。
サロンで昼食、おやつを食べた後に、彼らは地下に
大移動して、遠慮なく試食を食べ尽くすだろう。
(スペイン人のグチばかりになっちゃうけれど、
ずっと心のなかにたまっていたので言わせて~!)

そしてもう一つ。感謝に対する考えもやはり、日本人
とは大きく異なる。
日本人は食事をご馳走になったり、人を訪ねたりしたら
後日必ず、「先日はごちそうさまでした」「この前は
お世話になりありがとうございました」といった感謝
の言葉を口にする。けれど、こうした台詞は13年間、
スペイン人が口にするのを私は聞いたことがない。
昨日の事は、過ぎ去った過去のこと。
知人宅にドッカリと泊まり込んで世話になっても、
「楽しかったわ」とは言うけれど、「お世話になり、
ありがとうございました」とは絶対に言わない。
私が「先日はありがとう」なんて彼らに言ったら、
「何言ってんの?」って不思議そうな顔をされるだけ。
なのでその逆も当然ありで、友人たちがこちら側に
泊り込んでいる間、気を使って色々とお世話しても、
その後、ありがとうございました、なんていう言葉は
絶対に言ってくれない。これにはな~んかガッカリ。
日本人にとっては悲しい習慣だ。

お金を取る立場と、取られる立場の考え方についても
しかり。こちらの考え方は実にドライだ。
払ったものに絶対なる権利と権力がある。利用できる
ものは徹底的に利用し、払うからには絶対に権利を
主張しなくてはいけない。納得のいく話ではあるけれど
払う立場であるにせよ、時と場合によっては感謝の
気持ちは必要なのではないだろうか。
余談だが、こちらはゴミ収集のトラックが来るのが
夜中の12時とか、そんな真夜中だ。
なので私は真夜中に来てゴミ掃除をしてくれる
ゴミ収集のトラックの人たちを窓から見ながら
思わず、「こんな夜中に働いてくれてありがとう
ございます」と小さな声で言ったら、直ぐに近くに
いたスペイン人の友人達は口をそろえて、
「我々が税金を払っているのだから夜中であれ、
働いて当たり前なんだ」と言われ、”確かにそうだ
けど、感謝の気持ちってぇもんはキミたちには
湧かないのかねぇ” と(言わなかったけど)
すごくガッカリしたことがある。

「恩を感じる」「謙虚であれ」
この二つは私の大好きな、そして忘れないように
心がけている礼儀である。人から受けた「恩」に対する
感謝の気持ち、そして、迷惑をかけないように気を遣って
人を思いやるという、繊細な心遣いと奥深さ。
このような礼儀に触れた時、心から日本人である
ことを誇りに思う。
何もかも良いものが失われつつある日本で、
これからも絶対になくしてはいけない、
日本ならではの素晴らしい"心” ではないだろうか。

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# by amicielo33 | 2020-06-06 20:19  

観光文化編 エッセイ3「それでいいのか?! ニッポンニャン子! その2」

さあ!今日からクラスの開始!

数日前からスタジオの掃除をこまめにして

すでに買ってあった消毒液4本だけじゃ

この先直ぐに足りなくなる気がして

さらに消毒液をガッツリ追加注文。

スタジオ出入口の扉と更衣室に消毒液を置き

ドアノブのあるところに全てに除菌ティッシュ。

トイレに「蓋を閉めてから流してください」

と注意書きを貼り付け、、、

やってもやっても足りない気がしてくる。

各クラスを4~5人に調整して、

その分クラスを増やし、生徒には

レッスン中はマスク着用をお願いして、

息が詰まらないようなソフトな内容を考える。

今まで普通にやっていた仕事が

全く違う形で始まるんだなぁと痛感。

こちらは準備万端でも、生徒側は、

仕事や子供の都合で、今の段階では

以前と同じようにクラスに来れないなど様々。

2~3か月くらいかけて

やっと元通りになったとしても

また秋冬に向けて第2波が来るのだろうか。

自然を壊し続けている人間。

社会を壊していく政治。

負の連鎖は一度始まると止まらない。

この先、本当にどうなっていくんだろう。

             6月2日

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「それでいいのか?! ニッポンニャン子! その2」

先日、生徒たちとお茶をしていたら、二人組のちょっと
若い男たちが誘ってきた。もちろん私を見てすぐに
諦めたけど。(ババァだからよ!)
その5分後、たまたま近くを通りかかった私の生徒Wが
その男たちにナンパされて、即、彼らについて行ったのを
私は遠目で目撃した。数日後、その生徒Wに会ったとき、
「この前ナンパされてたのを見たよ~」と言いたかった
けどグッと我慢してその生徒Wから、「スペイン男と
ラブラブになりそうなんです」と聞かされ、呆れ果てた。

ナンパ男二人!から生徒Wに「君を愛しているんだ!
だから結婚してくれ!」という攻撃が始まったようで、
次の日も「君はボクのものだ!」とやらを2人から言われ
生徒Wの部屋に入ろうとかなり必死になったとのこと。
い・ち・お・う、部屋への侵入は断ったそうだけど、
生徒Wもそんな状況でもハートが舞い上がっているのが
わかる。「せめて君の爪だけでもボクのものにしたい」
とも言われたと生徒Wは嬉しそうに目を♡にして話す。
(じゃぁツメを切って渡したら?と言いたいのもグッと
こらえ)「へ~、モテていいじゃない」としか言えない。
それから数日後に、生徒Wがとあるバルで、別人のように
メチャクチャ暗い表情で、まばたきもせず一点を見つめて
いる姿を目撃。(狭い土地だから直ぐ誰にでも会う)
その瞬間、”あ、あの男たちにやられて、即捨てられたな”
とすぐにわかった。エイズになったらどーすんのよ。
フ・ラ・メ・ン・コを勉強しに来てるんでしょーが!

実は、こんな話は珍しいことじゃない。
以前、中心地のバルでお茶をしていたら、ウェイター
が突然私に「この日本人を知っているか?」って、
写真を見せながら聞いてきたことがある。(その写真
にはもちろん私の知っている留学生の顔が!)
彼曰く、”彼女にベタ惚れ” だそうで、今までの人生で
こんなに女性を愛したことがない、とかなんとか一人
勝手にしゃべりまくる。”そりゃ、よござんしたねぇ”
と聞き流していたら、そのウェイターが腕をまくり上げて
「見て!この傷」ときた。見たら、真紫のすごい
打ち身あざ。「ふざけあってたら彼女に突き飛ばされて
タンスに思いきりぶつかっちゃったんだ。それで肩を
脱臼したんだけど、今ここまで傷が治っているんだ」
と、あざを見せながらノロケ始める。

うへ~、肩を脱臼させるまで突き飛ばすこと自体、
理解に苦しむ!もう結婚でも何でもしてくださいと
それ以上聞きたくもなかったから逃げるようにして
バルから出てきたんだけど、そこはやっぱり狭い町
だから、、。その数か月後、直ぐに情報が入ってきた。
その日本人の女の子はどうやら彼以外に少なくとも
3~5人の男たちと関係していて、そのことがその中の
一人にバレたらしい。二人で大喧嘩し、大乱闘となり
近所の人が警察を呼ぶ騒ぎにまで発展。結局のところ、
その子はほぼ強制送還される形になったとか。
これはもうどうしようもないパターンだけど、
それに準じた話はゴロゴロころがっている。

これを読んで「そんなメチャメチャなことって
あるんだ」なんて思ってるそこのアナタ。
そう、アナタよ、アナタ。実はこの話、アナタだって
人ごとじゃなくなる可能性は大なのです。
「ハンサムな外人男が寄ってきたら?、、、確かに
理性失うかも」って!? あらら、素直でヨロシイ。
では、よろめきそうなアナタへ、海外で色男に
ひっかからない心得を伝授しましょう。

一つ。海外でも知らない男に飲みに誘われ、それに
アナタがついて行ったら、「私はあなたとHして
いいわヨ」とH承諾のサインを送っているのと同じ
ことと理解するべし。日本人は嫌なことをハッキリ
「NO」と言えないから余計に問題が出てきます。
知らない外人男に誘われて「せっかく誘ってくれて
いるのにイヤって言ったら悪いんじゃないかしら?」
なんて、日本独特の考えで思ったら絶対にダメ。
こんな考え(良く言えば、“思いやり”)は、日本人
しかしません。で、ナンパされて、もしついて行って
飲みに行っちゃったとしても、(行かないことを
お勧めしますが)1~2杯飲んだらハッキリと
「もう帰る」っていうこと。相手はアナタのカラダが
目的で飲みに誘っていることを肝に銘じるべし。
もちろん、中には本当に純粋に、日本人の子と話して
日本の文化を聞きたい、なんて思って誘ってくれる
紳士の男性もたまにはいるから、そのあたりの見分け
方はアナタの「勘」だけが頼り。

そしてたとえ紳士であろうと、アナタがHしたく
ないなら絶対に、絶対に、部屋には入れないこと。
どんな紳士でも部屋まで誘ってくるのは完全に
下心アリアリ。そこまでついて行ってH拒否なんぞ
しようものなら、そりゃあ相手だって怒るでしょう。
危険な男ならそれこそ犯される可能性だって大いに
あり、デス。凶器だって持っているかもしれないこと
を忘れずに。海外に行く前に、外国人男性が誘って
来た時の彼らの目的と、こっちの対処の仕方を
しっかりと把握しておくこと。

一つ。海外だからこそ、観光か、留学か、セックスか、
「目的」をシッカリと持つこと。「留学」という目的
を持って飛び立ったはずなのに外人ハンサム男を目の前
にして、突如ニャンコロリン現象が起きちゃって、勉強
そっちのけで男にかき回されてる、なんていうのは
考えもの。現地で勉強することは山ほどアリマス。
”外国に行ったら、現地の男たちと寝て、寝て、寝まく
ってヤルー!”っていう目的に徹しているならそれはそれ。
もう、私の関知するところではございません。
ど~ぞ、気の済むまでヤリまくってください。
ただ、エイズと避妊に気を付けたほうがいいでしょう。
ここスペインはヨーロッパのなかでもトップクラスに
入るくらい感染者が多いらしいですから。そりゃそう
よね、ホモと麻薬患者がすごい数でいるんだから。

異なる人種同志の付き合いだから、いいことがいっぱい
あるけど、逆に危険なことも同じくらいいっぱいある。
セビージャでものすごい数のニャンコロリン現象を
見て、聞いた、私からのメッセージです。
これから海外に出かける方々、引ったくりとか泥棒とか
以外の危ないこと、「オ・ト・コ」の危険性もよく
知った上で、ニャン子ちゃんでもワン子ちゃんでも
何でもなってください。

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# by amicielo33 | 2020-06-02 15:34