「バラと桜の祝典」って何?
2014年 05月 29日
先週の20日から23日までの4日間、現代舞踊協会とフラメンコ協会が歩み寄り、
大々的な祝典たるもの、「バラと桜の祝典」という公演が、池袋芸術劇場で開催された。
プログラムの解説によると、1920年代から外国やスペインからフラメンコが入り、
そこから日本でのフラメンコの歴史が始まったそうで、19世紀に生まれ
20世紀に花開いた現代舞踊の歴史とフラメンコの歴史は重なり合っているそうな。
そして最近のスペイン人のフラメンコ舞踊家も、モダンの舞踊家とコラボして
意欲的にフラメンコの枠を飛び越えた作品を創っているから、、、、
だから、日本でも、フラメンコ協会と現代舞踊協会が手を組んで、
普段なかなか出会う事がない、ふたつのジャンルのダンサーたちが互いにインスパイアし、
新たな地平線を開いていってほしい、、云々 とのこと。
ここで意見を言いたいけど、押さえて、後ほど。
本来、これは現代舞踊協会が主催する、「5月の祭典」というものだ。
しかし今年は、日西交流400周年記念ということを絡めて、フラメンコ協会も加わり
イベントの名前を変更して、「バラと桜の祝典」になった。
20日の初日と23日の最終日が、フラメンコ協会主催。
21日と22日の中2日間が現代舞踊協会主催。
んで、、、、 3日目の22日に、私と舞踊団で出演させていただいたのだけど、
それは後日のご報告でお話しするとして。。。
この4日間の最終日を飾る、フラメンコ協会主催の舞台に
私の師匠の岡田マサミーが最後を飾る踊りで出演したので、見に行ったのだ。
フラメンコ協会側が制作した舞台の意図としては、
「20世紀に大きく花開き、21世紀に入った今日もなお、進化・変化を遂げつつあるフラメンコ。
その背景には、古代から現代へと連なる様々な舞踊と音楽があった。
その歴史を振り返り、フラメンコの中に受け継がれてきたものを、敬愛を込めてたどろう」
ということらしい。
まぁその意図はいいけど、
いやいやいやいや、、、、、大変失礼とは百も承知ですが、
そして協会のお偉方に対して、こんな私のような者が意見するのは
失礼極まりないとは存じますが、言わせてくださいまし!
『 誠に稚拙な内容と構成の舞台でした 』
今回の舞台は、現代舞踊協会とのコラボで、これほどまでに大々的なイベントとして扱い、
フラメンコ協会を代表する方々?が総出演なさって、
お客さんや、現代舞踊協会の方々にも、「これが日本のフラメンコです」 と、
あの立派な芸術劇場で、5000円の金額を取っての舞台だったのだ。
多数出演していたその中で、わずか数人の、現役でガッチリ踊れる実力者たちが
いたにもかかわらず、稚拙な構成のせいでか、良さを発揮する事が出来ず、
気の毒な事に、完全に全体のレベルの低さにすっかり飲み込まれてしまった。
師匠の岡田マサミーは、足の怪我で長い間動けなかったせいで少し不安定だったけれど
マサミーはクラシコ、フラメンコ、クラシックバレエ、など、(今でも)
舞踊の勉強に命を懸け続けてきた人だ。
舞台の上でそれは自然と出る。
彼女の威厳と貫禄はピカ一で光り、存在感は圧倒的でした。
しつこい私です。
この舞台を創られたのがどなたか存じませんが、すみません、もう一度言わせてください。
恐ろしく、舞台内容が稚拙で、舞踊レベルの低いプロがたくさん踊った舞台でした。
なぜ、あのような舞台内容になったのか、
そしてなぜあのような人選になったのか、理解できません。
スペインのフラメンコとは、本来カンテ(歌)が中心となってで成り立っている文化だけれど、
日本フラメンコは、舞踊で成り立っている全く別の文化だ。
それも、大多数の人が、今まで踊りを一切やったことのない大人になってから
フラメンコの踊りを始め、振り付けのいくつかをマスターするだけで
日本では簡単にプロになれちゃう、という世界で成り立っている日本フラメンコ界なのだ。
既にこういうものだから、ここで私なんぞが口をはさんでも仕方ないけど
しかし、「舞踊」がメインで日本フラメンコが成り立っているのだから、
フラメンコの勉強はもちろんのことだけど、それでもフラメンコの勉強が足りない分、
舞台に立つために必要とされるフラメンコとは別の、
世界共通の舞踊基礎も徹底的に勉強し、
創作をしたいなら、創作をするための舞踊知識もちゃんと勉強した上で、
舞台で場数をこなし、人々から批判も受けながら、舞踊家として実戦で鍛え上げ、
さらにフラメンコはスペイン人アーティスト達と仕事をして徹底的に鍛えられ、
そうして、どの芸術のジャンルの人達から見られても、(特に舞踊の世界の人たち)
全く恥ずかしくない、”フラメンコ舞踊家” としてのレベルを
維持しなくてはいけないのではないだろうか。
フラメンコも下手、踊りも下手、踊りの知識もなしじゃあ、もうお手上げじゃん。
もし、高い値段のチケットを買ってプロのフラメンコの舞台を見に行った時、
劇場の舞台に立てるレベルにまるで達していない踊り手だったり、
立派な劇場や舞台に反して、安っぽいペラペラの衣装だったり、汚い靴だったり、
髪の毛など構わないボサボサの頭だったり、
お粗末な振付けだったとしたら、お客は怒っていいと思う。
「何なんだ、この酷い舞台は」 や 「金返せ~」 と言っていいと思う。
フラメンコの雑誌や関係者たちは、この舞台も褒め称えるんだろうな。
だから、このブログや私にバッシング来るだろうな。。。
でも、この舞台は日本フラメンコが重要な立ち位置で発表した舞台だと思うし、
私はスペインのフラメンコを心から愛し、
日本のフラメンコも色んな角度から応援しなくては、と思っているので、
今回はバッシングを受けてでも、言わなくては、と思ってしまったのです。
「祝典」の楽しい舞台なんだろうけど、
裏を返せば、「舞踊」で支えられている日本のフラメンコというものを
真剣に考えなくてはいけない事がたくさん詰まっている気がしたのです。
5月29日
大々的な祝典たるもの、「バラと桜の祝典」という公演が、池袋芸術劇場で開催された。
プログラムの解説によると、1920年代から外国やスペインからフラメンコが入り、
そこから日本でのフラメンコの歴史が始まったそうで、19世紀に生まれ
20世紀に花開いた現代舞踊の歴史とフラメンコの歴史は重なり合っているそうな。
そして最近のスペイン人のフラメンコ舞踊家も、モダンの舞踊家とコラボして
意欲的にフラメンコの枠を飛び越えた作品を創っているから、、、、
だから、日本でも、フラメンコ協会と現代舞踊協会が手を組んで、
普段なかなか出会う事がない、ふたつのジャンルのダンサーたちが互いにインスパイアし、
新たな地平線を開いていってほしい、、云々 とのこと。
ここで意見を言いたいけど、押さえて、後ほど。
本来、これは現代舞踊協会が主催する、「5月の祭典」というものだ。
しかし今年は、日西交流400周年記念ということを絡めて、フラメンコ協会も加わり
イベントの名前を変更して、「バラと桜の祝典」になった。
20日の初日と23日の最終日が、フラメンコ協会主催。
21日と22日の中2日間が現代舞踊協会主催。
んで、、、、 3日目の22日に、私と舞踊団で出演させていただいたのだけど、
それは後日のご報告でお話しするとして。。。
この4日間の最終日を飾る、フラメンコ協会主催の舞台に
私の師匠の岡田マサミーが最後を飾る踊りで出演したので、見に行ったのだ。
フラメンコ協会側が制作した舞台の意図としては、
「20世紀に大きく花開き、21世紀に入った今日もなお、進化・変化を遂げつつあるフラメンコ。
その背景には、古代から現代へと連なる様々な舞踊と音楽があった。
その歴史を振り返り、フラメンコの中に受け継がれてきたものを、敬愛を込めてたどろう」
ということらしい。
まぁその意図はいいけど、
いやいやいやいや、、、、、大変失礼とは百も承知ですが、
そして協会のお偉方に対して、こんな私のような者が意見するのは
失礼極まりないとは存じますが、言わせてくださいまし!
『 誠に稚拙な内容と構成の舞台でした 』
今回の舞台は、現代舞踊協会とのコラボで、これほどまでに大々的なイベントとして扱い、
フラメンコ協会を代表する方々?が総出演なさって、
お客さんや、現代舞踊協会の方々にも、「これが日本のフラメンコです」 と、
あの立派な芸術劇場で、5000円の金額を取っての舞台だったのだ。
多数出演していたその中で、わずか数人の、現役でガッチリ踊れる実力者たちが
いたにもかかわらず、稚拙な構成のせいでか、良さを発揮する事が出来ず、
気の毒な事に、完全に全体のレベルの低さにすっかり飲み込まれてしまった。
師匠の岡田マサミーは、足の怪我で長い間動けなかったせいで少し不安定だったけれど
マサミーはクラシコ、フラメンコ、クラシックバレエ、など、(今でも)
舞踊の勉強に命を懸け続けてきた人だ。
舞台の上でそれは自然と出る。
彼女の威厳と貫禄はピカ一で光り、存在感は圧倒的でした。
しつこい私です。
この舞台を創られたのがどなたか存じませんが、すみません、もう一度言わせてください。
恐ろしく、舞台内容が稚拙で、舞踊レベルの低いプロがたくさん踊った舞台でした。
なぜ、あのような舞台内容になったのか、
そしてなぜあのような人選になったのか、理解できません。
スペインのフラメンコとは、本来カンテ(歌)が中心となってで成り立っている文化だけれど、
日本フラメンコは、舞踊で成り立っている全く別の文化だ。
それも、大多数の人が、今まで踊りを一切やったことのない大人になってから
フラメンコの踊りを始め、振り付けのいくつかをマスターするだけで
日本では簡単にプロになれちゃう、という世界で成り立っている日本フラメンコ界なのだ。
既にこういうものだから、ここで私なんぞが口をはさんでも仕方ないけど
しかし、「舞踊」がメインで日本フラメンコが成り立っているのだから、
フラメンコの勉強はもちろんのことだけど、それでもフラメンコの勉強が足りない分、
舞台に立つために必要とされるフラメンコとは別の、
世界共通の舞踊基礎も徹底的に勉強し、
創作をしたいなら、創作をするための舞踊知識もちゃんと勉強した上で、
舞台で場数をこなし、人々から批判も受けながら、舞踊家として実戦で鍛え上げ、
さらにフラメンコはスペイン人アーティスト達と仕事をして徹底的に鍛えられ、
そうして、どの芸術のジャンルの人達から見られても、(特に舞踊の世界の人たち)
全く恥ずかしくない、”フラメンコ舞踊家” としてのレベルを
維持しなくてはいけないのではないだろうか。
フラメンコも下手、踊りも下手、踊りの知識もなしじゃあ、もうお手上げじゃん。
もし、高い値段のチケットを買ってプロのフラメンコの舞台を見に行った時、
劇場の舞台に立てるレベルにまるで達していない踊り手だったり、
立派な劇場や舞台に反して、安っぽいペラペラの衣装だったり、汚い靴だったり、
髪の毛など構わないボサボサの頭だったり、
お粗末な振付けだったとしたら、お客は怒っていいと思う。
「何なんだ、この酷い舞台は」 や 「金返せ~」 と言っていいと思う。
フラメンコの雑誌や関係者たちは、この舞台も褒め称えるんだろうな。
だから、このブログや私にバッシング来るだろうな。。。
でも、この舞台は日本フラメンコが重要な立ち位置で発表した舞台だと思うし、
私はスペインのフラメンコを心から愛し、
日本のフラメンコも色んな角度から応援しなくては、と思っているので、
今回はバッシングを受けてでも、言わなくては、と思ってしまったのです。
「祝典」の楽しい舞台なんだろうけど、
裏を返せば、「舞踊」で支えられている日本のフラメンコというものを
真剣に考えなくてはいけない事がたくさん詰まっている気がしたのです。
5月29日
▲ by amicielo33 | 2014-05-29 23:00