人気ブログランキング | 話題のタグを見る

観光文化編 エッセイ3「闘牛のお話 後半」

先ほどから雨が降り出したけれど、

いよいよ東京も梅雨入りだ。

ムシムシジメジメの日々スタート。

さて、駅の近くにある薬局は、

本日ポイント10倍デーなので、

おお!この日を待ってました!

買うぜよ!と鼻の穴を膨らませて

勢いよくお店に入った途端、

超ジメジメとムシムシと自分の気力が

一気にマスク内で反応し、

マスクから火が噴き、顔が火の玉になり、

汗がドバーッと吹き出し始めた!

買い物の間もずーっと汗ダラダラが止まらない。

マスクして目をキョロキョロ、

そして商品を前に、大量の汗をかいている私・・・

これじゃぁ初犯の万引き客に見えるじゃないか!

間違えられたらエライこっちゃ💦

なので、買い物リストを書いたメモ用紙で

大げさにバタバタと風をあおいで、

暑さに苦しんでいる客であるアピールの

ジェスチャーを、各商品の前で何度も

立ち止まっては、必死に演じた。


” 監視カメラは必ず、無実であるこの私の姿を

映しているから、今、警察たちが万引き犯を

捕まえようとダダダッと店内に駆け込んできて

もし私を取り押さえ、店の裏にある小部屋に

後ろ手にされて連れて行かれても、

私は、監視カメラの画像を確認するよう

警察たちに叫び続ければ、

彼らは私が何一つ商品を盗まないで

必死にメモ用紙であおいでいる姿を見るはず。

だから、それで私が犯人ではないことが

彼らに証明できる!

大丈夫!私はマスクで汗をかいているのであって

万引き犯でないのだから!!!” 


と、強く確信した瞬間、

動きを完全に止めて、

どこか一点を見つめたまま、

毎度の癖で、どっぷりと想像の世界に

入り込んでいる自分に気が付く。

あ~あ、まただよ、バカみたい。

また想像が止まらなくなってるじゃん💧

一生この癖は治らず、

いつも、どこでも、毎度この現象が起きる。

何かのきっかけでスイッチが入り、

突然、想像がブワ~ッと広がり始める・・・

癖というより、一種の病気です😓

              6月11日

*****************************************

「闘牛のお話 後半」

さていよいよ、闘牛の最高の華、「マタドール」の登場。
牛の最後のとどめをさす、闘牛士の登場である。
片手にムレタという、世の中でお馴染みの真っ赤な布で
牛を操る。ここからが闘牛で一番の見どころだ。

ムレタで牛を闘牛士の身体と密着するくらいまで
引き寄せて、牛を右へ左へと誘導する。
かなり牛が弱っているとはいえ、500キロ以上の巨体の
闘牛の牛に、自分の身体をスレスレまで寄せていくのは
想像を超えるくらいの勇気が必要だ。

素晴らしい場面はそうめったに見られないが、
闘牛士の持つムレタと牛の間に、定規で測られたような
〝ある空間” が、闘牛士の周りに美しいラインのように
生まれる時があるのだ。本当に不思議で、絶妙で、
まるで空気が止まったような、なんとも言えないような
不思議な空間が生まれる瞬間があるのだ。
牛を引き寄せて、最後にムレタをスーッと空間に抜く。
言葉で説明するのは難しいのだけど、牛と闘牛士の間に
生まれる一瞬の不思議な空間に、ムレタで空気の流れを
作って最後の瞬間にスッと抜くのだ。
その瞬間瞬間に、観客はうなり声で「オ~レエィィ」
というのだ。引っ張る空気感が長ければ長いほど、
その感覚に観客も一体となり、オとレの間も伸びる。
オォォォォ~~~~レェィィだ。
スッとムレタを抜いた時は、オにアクセントのある、
短い「オレ!」だ。
このような瞬間を見るチャンスに巡り合えたらとても
ラッキーであるが、残念ながらこういう芸術的な
闘牛はめったに見られない。

多くの闘牛は闘牛士によって牛を操るタイプが分かれて
おり、動きが派手で、勇気を売りとしている闘牛士、
技術派の闘牛士、渋めの闘牛をする闘牛士など様々。
いずれにしても、牛が弱っている状態とはいえ、
最後の花形のマタドールが闘牛している間は、
やはり観客席の盛り上がりはものすごい。
皆さん、パソ・ドブレという音楽を聴いたことが
あると思うが、素晴らしい闘牛になると、バンドの
演奏者たちが、まるでご褒美のように、闘牛士が
闘っている間、客席からパソ・ドブレを演奏するのだ。

そしていよいよ、とどめの時。
パソ・ドブレの演奏も止まり、闘牛場は一瞬にして
シーンと静まり返る。闘牛士は剣を持つ手の角度を変え、
牛の背中の、首の後ろ辺りにほぼ直角に刺せるように
一定の距離を取って構える。
観客も息をのんで、牛に最高のとどめの一刺しが
決まる瞬間を待つ。

・・・・・・・・!

刺した瞬間、観客全員、オレィ!と叫ぶ。
一刺しが見事に決まると、牛もキョトンとしたまま
ドゥと倒れる。いっさい苦しまない。お見事。
しかしながら、刺す場所が悪いと何度も剣を刺したり
抜いたりすることとなり、牛は大量の血を吐いて
苦しみ、かわいそうで見ていられない。
それでも死なないので、最後は小刀で延髄を刺して殺す。
この場面は何百回見ても牛が気の毒で、思わず目を
伏せてしまう。

さて、マタドールが見事な闘牛をしたときは、観客が
一斉に白いハンカチを振って、主催者に闘牛士への
ご褒美を与えるように求める。そのご褒美が「いい闘牛」
なら、殺した牛の片耳。「もっといい闘牛」なら両耳。
「最高の闘牛」なら尻尾である。尻尾を獲得した闘牛士は
完全にヒーローであり、牛を倒して尻尾を受け取った後、
闘牛場の第一扉から人々に肩車されて闘牛場から出る。

とはいえ、こんな素晴らしい闘牛はめったいにないが、
素晴らしい闘牛を見ることが出来たら、闘牛士が命を
懸けて観客に見せてくれた「闘牛の芸術」の瞬間を
一生忘れることが出来ないと思う。
動物愛護団体がどんなに批判しようと、あれは確かに
「闘牛の芸術」と言える。
今まで何人もの闘牛士が牛に刺されて命を落とした。
闘牛士が命を懸けて演出した芸術かもしれない。

余談だが、殺された牛は即座に、闘牛場の一隅にある
解体場に運ばれ、短時間で解体されていく。
観客で、もし牛の角が欲しければ、その場で買うこと
が出来る。値段はそれほど高くもなかったと思う。
闘牛用の牛は食用でないので、肉質が硬い。
解体された全ての肉が何に使われるか知らないが、
闘牛場の周りにあるバルでは、解体された牛の
シッポの煮込みのタパスが必ずあり、それはよく
煮込まれているので柔らかくてとても美味しい。

最後に、闘牛場と言っても、セビージャやマドリッド
などの大都市の中心地にある闘牛場と、村々にある
小さな闘牛場とは、雰囲気が全く違う。
やはり、歴史、建物の重厚さ、誇り、大きさなど
全て立派で品があり、とても落ち着いた感じがする。
そして観客席には、特に一番値段の高い席には
超大金持ちがズラリと座り、必ず正装していて、
男性は必ず葉巻を口にしている。
女性たちも正装でとにかくエレガント。そして
フラメンコで付けるようなペイネタではなく
正装用の大きなペイネタとレースを頭に付けたり、
レースのマントンを羽織る。一般の人たちはラフな
格好だけど、それなりに都会らしい雰囲気だ。

それに対して田舎の闘牛場は、何とも言えない、
のんびり感に溢れ、(でもちゃんと闘牛はやります)
素朴さとファミリー感に包まれている。そして観客の
オジサン、オバサンが親切この上なく、山のように
食べ物を持ち込み、コレ食え~アレ食え~と、
闘牛の間中、ず~っとうるさいくらいに、次々と
食べ物や飲み物をふるまって構ってくれる。
お腹パンパンになるまで食べさせてもらって、彼らと
一緒に”オレ~~!”と叫びながら見るのも実に楽しい。

セビージャの闘牛場、レアル・マエストランサの
プラサ・デ・トロス・デ・セビージャで闘牛する事は
闘牛士にとって最高の名誉だという。
フラメンコも、このセビージャの地で演じるのが
一番名誉であり恐ろしいと、歴代のアーティストたち
が口にしていたのを聞いた。
フラメンコはもちろんだが、闘牛も繰り返し見てきて、
そして感じてきて、ようやく闘牛とフラメンコには
共通するものすごいアルテ(芸術性)があるのが
よくわかった。貴重な体験ができたことに感謝したい。
闘牛の好き嫌いは別として、スペインに行ったら
一度は見ることをおすすめします!

※今の時代は、上記のスタイルの闘牛は法律で禁止
されてもう見ることはできないそうです

****************************************

by amicielo33 | 2020-06-11 18:56  

<< 闘牛の話の続き 観光文化編 エッセイ3「闘牛のお話」 >>