人気ブログランキング | 話題のタグを見る

フラメンコ編 エッセイ1「一番苦労したバタ・デ・コーラ その2」

今日も書き写しながら、考えていた。

もし私がセビージャに住んでいた時に、

YouTubeなどで、いつでも好きな時に

自分の好きなアーティストの踊りなど

常に簡単に見れる環境だったら???

絶対に、もっともっとも~~っと短時間で

メキメキ上達していたのではないか???

と思ったところで、過去は過去。トホホ。

今の若い練習生の環境が実に羨ましい。


そういえば、昔のバタの衣装の理想は、

床についているコーラのフリルが、

10㎝以上の十分な厚みがあり、

ある程度の重さもあるのが、

高級で良い衣装とされていた。

なので、師匠のミラグロスは、

私のレッスン用のバタに

5円玉を二回り大きくした形の、

合計40個の鉛の重りを

コーラの内側全体に縫い付けるように言い、

重いバタに慣れるように指示をした。

金物屋のオヤジに「何に使うんだ?」と聞かれ

バタに重みを付けるため、と言うと、

ジー―――ッと私の顔をして、それ以降、

言葉を一言も発さずに商品を私に渡した。

それを何時間もかけて必死に縫い付けた。


その重り付きコーラで、

何千回という蹴りの練習していると、

月日と共に鉛を縫い付けてる糸が劣化してくる。

バタを蹴ると、

〝ヒュン!カキーン!” と

蹴るたびに、糸から外れた何個もの鉛が

四方八方、シュリケンのごとく飛んで、

スタジオの壁にものすごい勢いで

ぶち当たって、跳ね返る。

こわっ!チョー危険物ナリ。

セビージャのレンタルスタジオの鏡を

もし割ろうものなら、、、、

倍の弁償額を請求されそう!と考えて、

結局はコーラに残っていた数十個の鉛を

泣く泣く全て取り外したっけ。

ああ、昔の懐かしい思い出。。。

            4月19日

*************************************************
「一番苦労したバタ・デ・コーラ その2」

私は元来負けん気が強いので、どんなことでも
絶対に弱音を吐くことはまずない。
そんなわけで、今までのフラメンコ人生のなかで、
習ったことで〝出来なくてどうしようもなく
辛かった” と思ったのは、ドミンゴ・オルテガという
踊り手に習ったときの「至難のコンパス」と、
このミラグロのコーラだけである。
本当に泣かされた。 ・・・・その続編。

とにかく〝できない” のである。
個人クラスの進め方は、たった一蹴りのテクニックを
「完璧に」できるまで3日でも4日でも費やすという
やり方だった。振付どころじゃない。
一蹴りで、である。
一日も早く一つでもマスターしたかったので、
自習では毎日一蹴りの技術に何百回もの練習をした。
それでも、なっかなか出来ないうえに、
支払いのことを考えただけで気が遠くなった。
サリーダだけで3週間が経ち、踊りが5分の4も
残っている!となると、振付け全ての個人レッスン代
の金額を考えただけで目玉が飛び出し、
床に崩れ落ちて、、とそこまでなるくらいの額だ。

正直に言うと、あまりの自分の出来なさと、
支払額を考え、一度だけ白旗を振った。
「もうできない」と、ナミダを浮かべて
ミラグロに言ったのである。
そうしたら彼女はこう答えた。
「アミが続けようと、やめようとそれは
あなたの勝手だから私はどうしろ、とは
言わない。ただ一つ言えることは、
世界一のコーラの技術を学ぶか、
もしくはそのチャンスを逃すか、の話なのよ」

それは、本当に〝世界一のバタ・デ・コーラ
を私は学んでいるんだ” と初めて気が付いた
瞬間だった。
彼女の踊りを好きではない人がこれを読んだら、
アホらしい!と思われるかもしれない。
しかし、私にとっては
『コーラの女王=ミラグロス=世界一』
なのである。
そして彼女はこうも言った。

「アミに教えているコーラの技術は、
私が家族を養いながらの踊りの人生で、
(彼女の両親は病気で働けず、15歳のときから、
踊ることで11人の家族を彼女一人で養っていた)
時間をかけて生み出したものなの。
だから、いい加減には絶対に教えたくない。
もし本気で学びたいなら全力でついてきなさい」

この時、彼女の生き方の強さと、自分の芸術に
誇りを持つ精神に心から恐れ入って、
〝この人に、とにかくついていかねば!”
と心に強く思ったのである。
それから再び、毎日毎日、涙チョチョ切れの
レッスンが始まった。コーラのアレグリアス1曲
の振付けがすべて完了したのが、なんと、
土日を抜いた毎日の個人レッスンで、5か月半後
のことだった。
本当に、何万回の蹴りの練習をしただろうか。

とはいえ、コーラの技術をもらい、
振りを習ったところで、私が踊ったらまったく
話にならないほどで、アレグリアスにならない。
もちろん技術的には、ほぼ完ぺきに踊れたけど、
ミラグロのようなアルテとコンパスに満ちた
アレグリアスには、当たり前だけど、
遥か一万光年くらいの差があるのだ。
何もかも完全に違う。どうやってもできない!

もちろんその後、彼女から他のコーラの踊りも
習ったし、バタでない普通の曲も何曲も習った。
彼女の人間性をもっともっと知って、
彼女のエッセンスを取り入れたかったからだ。
その間、スペインのコンクールにもいくつか出た。
すべて決勝に残ったけれど、自分自身が、
コーラをちゃんと踊らせていないし、
サボール(味)がないことを痛いほどわかっていた。
結局4年間、彼女に完全密着で学び続けた。

時間の過ぎるのは早いもので、彼女からコーラを
習って11年になる。どれほどバタの練習と研究
に費やしたかわからないほど、徹底的にやった。
でも、いつまで経ってもバタでアレグリを踊る自分に
自信が持てなかった。バタに加えて、本物のアルテが
表現できず、コンパスに乗れないのだ。
あまりの夢と現実のちがいに嫌気がさして、
何年もバタから離れる時もあった。

それがどうゆうわけか、2,3年前から、
バタで踊りたいと思うようになってきた。
最近になって、自分のなかで何かが変わり、
「今なら踊れるのでは?」というわずかな
自信のようなものが湧いてきたのである。

ミラグロは今は太っちゃって絶頂期の
面影はない。でも、今でも私にとっては彼女は
まちがいなく「バタ・デ・コーラの女王」だ。
コーラのレッスンがすべて終わった時、彼女が
くれた言葉はずっと守っている。
「これで私の持っているすべてのコーラの
技術を教えてたからね。〝私のすべての技”
を簡単に人に伝授しないようにね」

永遠に、絶頂期のミラグロのようには
私はコーラでカンテイ―ニャスを踊れない。
しかし「近づく」ことは出来るかもしれない。
彼女からせっかくもらった宝を今までは完全に、
宝の持ち腐れにしていたけれど、
今からが、〝本当に磨いていける時代に
差し掛かったかもしれない” と、
何となく手応えを感じる今日この頃である。
でも!ホントに難しいのダ~!!!

***************************************







by amicielo33 | 2020-04-19 13:23  

<< フラメンコ編 エッセイ1「コン... フラメンコ編 エッセイ1「一番... >>