表現について
2013年 07月 09日
ずっと前の事だけど、急に思い出したことがある。
友人のギタリストが、「また変な事を言う女に会った」と、教えてくれた。
彼がその女性に今日初めて会って挨拶をした時に、その女性が
「私は、ずっとずっと引っ越しを繰り返している人生を送っているんです。
だから、わたしは心も身体も、ヒターナ。(ジプシー女)」
と、真面目に言ったそうな。
思わず噴き出した。 アホッ!
フラメンコは、ヒターノ達によって生まれたものが多い。
歴史では、彼らはかなりの迫害をされ(まぁ、盗み事をよくしていたから、らしい)、
生活の場を求めてヨーロッパを放浪し、最後にスペイン・アンダルシア地方に着き、
そこに残ったヒターノ達が、彼らの生活苦からくるカンテを歌い、
そしてもともといたスペイン人の土地の歌と混ざって、フラメンコの歌が定着していった
という歴史がある、とのこと。 (メチャおおざっぱ説明!)
だから、放浪=ヒターノ(ジプシー)で、カッコいいと思う人がいるらしいけど、
だからといってねぇ、日本で、それも家付き、ガス・水道・電気までついて、
それで引っ越しを繰り返しても、ジプシーにはなれませぬ。
というように、冗談ではなく、日本では本筋から外れて、
平気でそういう事を言う人ってわりといるのだ。
何十年とフラメンコ界で生きてきて、そして日本人フラメンコ愛好家たちと多数、
接点を持ったけど、本当に信じられない位、
スペインのフラメンコの、表面的な部分だけを真似して、
それでスペイン人やヒターノ達と私も同じ、と思い込みをしている人を
ものすご~~~く、よく見てきたのだ。
これはもうご存知だと思うけど、スペイン人やヒターノ達のパワフルさって、
日本には存在しないほどの、エネルギーフル回転の元気力なのだ。
生まれた時から、豆類、イモ、肉類をしっかり食べて育っているのだから、
そこから発生する力は、草食動物とは違う。
それに重なって、抜けるような青空、刺すような太陽と暑さ、乾燥した空気、
夏は夜の9時まで日が暮れない、など、日本と全く違う土壌の元に人々がいて、
それも、スペイン人とヒターノ、という違う人種がいて、
さらに、生活習慣、食べ物、土地柄、言葉の使い方などがあるからこそ
その生活環境の中で生まれる感情は、当然その土壌と合ったものになる。
外部からの攻撃を受けない島国、湿気ジメジメ、重っくるしい空気、
脂っこいものより、サッパリと蕎麦やそーめんを好む日本人と、
そりゃ違ってくる。
だって、日本国内だって、やれ埼玉県人はどーの、青森県人はどーの、って
それぞれの県によって大きく、人柄や感情の表し方が違う。
スペインの中でも、スペイン人とヒターノは全く違う人種であって、
今の時代ではほぼ、生活環境がスペイン人とヒターノが同じ条件であっても、
ヒターノ達が背負ってきた迫害の歴史を経て生まれ出た感情や感覚の違いは、
当然、スペイン人とは違うものがある。
ま、簡単に言うと、土地、生活、人種が違うのだから、みんなそれぞれ違うのだ。
嬉しい、悲しい、悔しい、怒る、などの感情は、人間なのだから共通している。
ただ、その感じ方が違う。表現の仕方が違う。
日本人の好む笑いのエッセンスと、スペインで受ける笑いは違う。
人が死んだから悲しい、とかに対する涙は同じだけど、
それ以外の、日本人が涙を流す繊細な感情と、スペインで涙を流すポイントは違う。
怒りの表現法も、日本とスペインでは違う。
人を愛する力も、愛を表現する方法も、スペインと日本では大きく違う。
おおざっぱに書いても、これだけある。
スペインに長く住んで、スペイン人やヒターノ達の生活や習慣を観察して、
彼らとたくさん接すると、こういう事がたくさんわかる。
こういう彼らが、長い歴史を経て作ってきた文化が、「フラメンコ」なのだ。
だから、フラメンコを踊りやギターやカンテで勉強している人たちは、
スペイン人っぽく真似しよう、なんて簡単に考えて真似したら、
結局、中身を理解しないままの表面的な模倣になる。
じゃあ、どーすればいいの?っていうことになるけど、
ハッキリ言って、どうしようもない。
人種が違うのだから、どうしようもない。
スペイン人が踊っている顔の表情をyoutubeで繰り返し見てマネするとか、
普段の生活や格好を、ちょっとスペインの人らしくふるまってみようとか、、、
まぁ別にその人の勝手だけど、やっぱ、表面だけ真似しても、、、ねぇ。
だけど、彼らと表現方法がたとえ違っても、
最終的にたどり着く、最高の幸せの瞬間、どん底の悲しみと苦しみ、狂うほどの怒りなど、
究極の状態での感覚は、人種関係なく、同じだと思う。
なので、ここで一挙に前回のブログにつなげるつもりはないけれど、
何らかの出来事で、究極状態の感情を感じたことがあれば、
きっと同じ感覚を感じ合えて、ヒターノとスペイン人が表現するカンテを
同じ時点で感じられると思う。
(もちろん私だって日本人だから、理解できないカンテの感覚は山ほどある)
日本人が日本人の感覚のまま、フラメンコの踊りの振り付けだけをなぞっても
顔の造り以外、スペイン人と違って見えるのは当たり前。
だって、「日本人が踊っている」のだもの。
踊りで、たとえカッコいいマルカールしようと、高速の強いサパテアードをしても、
スペイン人ぽい感じを出しているように見えても、
今踊っている踊りがカッコいいだけなのか、
心からフラメンコのカンテを愛して、本当のフラメンコを知っているのか、
やはり、フラメンコがわかる人には、すぐに見透かされてしまう。
ま、別に、フラメンコの人に見透かされても、
〝フラメンコの踊りが好きなんです!踊っている自分が幸せなんです!″ って
割り切って踊るのも、そりゃ人それぞれの自由だからいいのだけど、
でも、せっかく日本と違う、フラメンコの文化を勉強しているのだから、
振り付けとか、技術とか、表現力が足りないからどんな顔をしてこの曲を踊ればいいの?
とか、表面的な事ばかり考えていないで、
もっともっと違う角度で目を向けて、勉強を深めていったら、
必ず、本当のフラメンコがたくさん見えてくる。
フラメンコ舞踊を長く教えていて、いつも思う事。
習う人の、「視野の狭さ」。
(本物の目玉から見える、視野の狭さじゃないのヨ (>_<))
足元だけ見て勉強してちゃダメですよ。
(本物の足元じゃないのヨ(>_<))
プロ・アマ関係なく、フラメンコが本当に好きと思うのなら、
いつも 『フラメンコとは?』 という観点から発想を広げていって、
常に考え、模索しましょう。
そうしてから、今習っているマルカールやパソに焦点を合わせてみると、
ああ、フラメンコだからこそ、こういう感覚、こういう表現でやらなくてはいけない、
という、マルカールとパソだけ見て練習している人とは、
絶対に違う、フラメンコの答えがたくさん見えてきます。
「フラメンコが好きなんですぅ」、と無邪気に言うアナタ!
フラメンコに魅かれるのは素晴らしいことだけど、
フラメンコというダンスが好きなのと、フラメンコが好きとは、
実は、ま~~ったく違うんですよ~!
7月10日
友人のギタリストが、「また変な事を言う女に会った」と、教えてくれた。
彼がその女性に今日初めて会って挨拶をした時に、その女性が
「私は、ずっとずっと引っ越しを繰り返している人生を送っているんです。
だから、わたしは心も身体も、ヒターナ。(ジプシー女)」
と、真面目に言ったそうな。
思わず噴き出した。 アホッ!
フラメンコは、ヒターノ達によって生まれたものが多い。
歴史では、彼らはかなりの迫害をされ(まぁ、盗み事をよくしていたから、らしい)、
生活の場を求めてヨーロッパを放浪し、最後にスペイン・アンダルシア地方に着き、
そこに残ったヒターノ達が、彼らの生活苦からくるカンテを歌い、
そしてもともといたスペイン人の土地の歌と混ざって、フラメンコの歌が定着していった
という歴史がある、とのこと。 (メチャおおざっぱ説明!)
だから、放浪=ヒターノ(ジプシー)で、カッコいいと思う人がいるらしいけど、
だからといってねぇ、日本で、それも家付き、ガス・水道・電気までついて、
それで引っ越しを繰り返しても、ジプシーにはなれませぬ。
というように、冗談ではなく、日本では本筋から外れて、
平気でそういう事を言う人ってわりといるのだ。
何十年とフラメンコ界で生きてきて、そして日本人フラメンコ愛好家たちと多数、
接点を持ったけど、本当に信じられない位、
スペインのフラメンコの、表面的な部分だけを真似して、
それでスペイン人やヒターノ達と私も同じ、と思い込みをしている人を
ものすご~~~く、よく見てきたのだ。
これはもうご存知だと思うけど、スペイン人やヒターノ達のパワフルさって、
日本には存在しないほどの、エネルギーフル回転の元気力なのだ。
生まれた時から、豆類、イモ、肉類をしっかり食べて育っているのだから、
そこから発生する力は、草食動物とは違う。
それに重なって、抜けるような青空、刺すような太陽と暑さ、乾燥した空気、
夏は夜の9時まで日が暮れない、など、日本と全く違う土壌の元に人々がいて、
それも、スペイン人とヒターノ、という違う人種がいて、
さらに、生活習慣、食べ物、土地柄、言葉の使い方などがあるからこそ
その生活環境の中で生まれる感情は、当然その土壌と合ったものになる。
外部からの攻撃を受けない島国、湿気ジメジメ、重っくるしい空気、
脂っこいものより、サッパリと蕎麦やそーめんを好む日本人と、
そりゃ違ってくる。
だって、日本国内だって、やれ埼玉県人はどーの、青森県人はどーの、って
それぞれの県によって大きく、人柄や感情の表し方が違う。
スペインの中でも、スペイン人とヒターノは全く違う人種であって、
今の時代ではほぼ、生活環境がスペイン人とヒターノが同じ条件であっても、
ヒターノ達が背負ってきた迫害の歴史を経て生まれ出た感情や感覚の違いは、
当然、スペイン人とは違うものがある。
ま、簡単に言うと、土地、生活、人種が違うのだから、みんなそれぞれ違うのだ。
嬉しい、悲しい、悔しい、怒る、などの感情は、人間なのだから共通している。
ただ、その感じ方が違う。表現の仕方が違う。
日本人の好む笑いのエッセンスと、スペインで受ける笑いは違う。
人が死んだから悲しい、とかに対する涙は同じだけど、
それ以外の、日本人が涙を流す繊細な感情と、スペインで涙を流すポイントは違う。
怒りの表現法も、日本とスペインでは違う。
人を愛する力も、愛を表現する方法も、スペインと日本では大きく違う。
おおざっぱに書いても、これだけある。
スペインに長く住んで、スペイン人やヒターノ達の生活や習慣を観察して、
彼らとたくさん接すると、こういう事がたくさんわかる。
こういう彼らが、長い歴史を経て作ってきた文化が、「フラメンコ」なのだ。
だから、フラメンコを踊りやギターやカンテで勉強している人たちは、
スペイン人っぽく真似しよう、なんて簡単に考えて真似したら、
結局、中身を理解しないままの表面的な模倣になる。
じゃあ、どーすればいいの?っていうことになるけど、
ハッキリ言って、どうしようもない。
人種が違うのだから、どうしようもない。
スペイン人が踊っている顔の表情をyoutubeで繰り返し見てマネするとか、
普段の生活や格好を、ちょっとスペインの人らしくふるまってみようとか、、、
まぁ別にその人の勝手だけど、やっぱ、表面だけ真似しても、、、ねぇ。
だけど、彼らと表現方法がたとえ違っても、
最終的にたどり着く、最高の幸せの瞬間、どん底の悲しみと苦しみ、狂うほどの怒りなど、
究極の状態での感覚は、人種関係なく、同じだと思う。
なので、ここで一挙に前回のブログにつなげるつもりはないけれど、
何らかの出来事で、究極状態の感情を感じたことがあれば、
きっと同じ感覚を感じ合えて、ヒターノとスペイン人が表現するカンテを
同じ時点で感じられると思う。
(もちろん私だって日本人だから、理解できないカンテの感覚は山ほどある)
日本人が日本人の感覚のまま、フラメンコの踊りの振り付けだけをなぞっても
顔の造り以外、スペイン人と違って見えるのは当たり前。
だって、「日本人が踊っている」のだもの。
踊りで、たとえカッコいいマルカールしようと、高速の強いサパテアードをしても、
スペイン人ぽい感じを出しているように見えても、
今踊っている踊りがカッコいいだけなのか、
心からフラメンコのカンテを愛して、本当のフラメンコを知っているのか、
やはり、フラメンコがわかる人には、すぐに見透かされてしまう。
ま、別に、フラメンコの人に見透かされても、
〝フラメンコの踊りが好きなんです!踊っている自分が幸せなんです!″ って
割り切って踊るのも、そりゃ人それぞれの自由だからいいのだけど、
でも、せっかく日本と違う、フラメンコの文化を勉強しているのだから、
振り付けとか、技術とか、表現力が足りないからどんな顔をしてこの曲を踊ればいいの?
とか、表面的な事ばかり考えていないで、
もっともっと違う角度で目を向けて、勉強を深めていったら、
必ず、本当のフラメンコがたくさん見えてくる。
フラメンコ舞踊を長く教えていて、いつも思う事。
習う人の、「視野の狭さ」。
(本物の目玉から見える、視野の狭さじゃないのヨ (>_<))
足元だけ見て勉強してちゃダメですよ。
(本物の足元じゃないのヨ(>_<))
プロ・アマ関係なく、フラメンコが本当に好きと思うのなら、
いつも 『フラメンコとは?』 という観点から発想を広げていって、
常に考え、模索しましょう。
そうしてから、今習っているマルカールやパソに焦点を合わせてみると、
ああ、フラメンコだからこそ、こういう感覚、こういう表現でやらなくてはいけない、
という、マルカールとパソだけ見て練習している人とは、
絶対に違う、フラメンコの答えがたくさん見えてきます。
「フラメンコが好きなんですぅ」、と無邪気に言うアナタ!
フラメンコに魅かれるのは素晴らしいことだけど、
フラメンコというダンスが好きなのと、フラメンコが好きとは、
実は、ま~~ったく違うんですよ~!
7月10日
by amicielo33 | 2013-07-09 23:42