表現力の続き
2013年 07月 04日
一般的な踊りは、台詞のない演技をするというか、
台詞の代わりに、身体を使って、感情を表現することも多い。
「好きなの!私を見つめて!」
「あっちいってよ!顔も見たくない!」
「悲しくて胸が苦しい!」とかを動きで示すとなると、
誰もが思い浮かぶ、日常で誰もが使う動作を想像すると思う。
つまり、胸に手を当てたり、手で振り払って相手を拒絶したりと、
感情を説明する明確な「動き」をする。
明確な説明の踊りだけじゃ成り立たないので、それに加えて
技術面や躍動感を見せどころとする箇所を加え、
それに曲が付いて、さらに顔の表情を付けて完成品になる。
しかし、しかし! これがフラメンコ舞踊となると、、、、???
ご存知のように、感情を具体的に説明する動き、振り付けがない。
悲しいからって、泣く振り付けがあるわけではなく、
手首クルクルまわして、どーやって感情を表現すりゃいいの?って思う人たくさんいるはず。
あ、そういやぁ、ちょっと話がずれるけど、
アレグリアス=楽しい曲だから 思い切り幸せそうな顔 とか、
ソレア=悲しい孤独の曲だから 眉間にシワを寄せて悲痛な顔 とか、
グァヒーラ=魅力的な女を表現する曲だから 色っぽい表情 とか、
ちょっと!ちょっと!ちょっと!軽々しく思ってるアナタ!
フラメンコの感情表現って、そんな表面的な、くっだらないものじゃないんですよ。
そんなふうに思って踊ってるアナタ!
踊りではなく、フラメンコの一から勉強しなさいヨ!
と一発、喝をいれたところで、再び本題に戻りまする。
真剣に聞いてくださいよ、私の話!
具体的演技より、もっともっともっともっと凄いものが、
フラメンコに凝縮しているではないですか。
フラメンコ =(イコール) カンテ が、超濃縮・人間感情そのものなのですよ。
特に、フラメンコの歌は、余計な飾り言葉がなく、
短い歌詞の中に、恐ろしいほど深い意味と激しい感情が含まれている。
(全部の歌が、ではなく、もちろん、ま~ったく意味のない歌も山ほどあります)
だからこそ、カンテを聞いていて、ぐぐぐーーー!と、はらわたに重いものが刺さり、
さらに、その歌詞の奥に隠されている真の意味を知った時、
あああ、、、と、思わず言葉を失くす。
その、人間の極みの感情を歌ったフラメンコのカンテに対して、
フラメンコの「バイレ・踊り」があるのだ。
フラメンコの踊りが主役みたいに思われているけれど、
超濃縮・感情表現のカンテに応えなくてはいけないのが、踊りである。
だからこそ、フラメンコを踊るには、絶対に、絶対に、表現力が必要とされる。
というより、カンテに対して、「表現しないではいられない」 ものなのだ。
じゃあ、超濃縮・感情表現のカンテを、具体的な動作や演技なく、
どうやって感情表現をすればいいの???と、
超軽いMちゃんなどはスグに言うと思う。 ハハハ
ここで言います。
徹底的にスペイン人の素晴らしいカンテを聞くこと。(ただし、義務で聞かないこと)
スペイン語を徹底的に勉強すること。
この二つは絶対不可欠。
それに贅沢を言えば、「スペインの人々を徹底的に知ること」かな。
彼らの、なぜこのように感情表現をするか、どれくらいの深さや強さで
感情表現をするかなど、生活の面からも知ると、もっと根底の部分が見えてくる。
そして、、、
人生経験をたくさんたくさん積むこと。
喜びはもちろんだけど、人生経験で心の激しい痛み、心の激しい苦しみ、
激しい悲しみ、激しい怒り、を知ること。
そして、激しく落ち込み、激しく自己反省し、激しく自分を叱咤激励し、
死にもの狂いで苦しみを乗り越えて、歯を喰いしばって前に進む。
我が身を持って経験するのだから、同じに苦しんでいる人を見たら、
同感してあげられるはず。
本当の優しさがわかるはず。
フラメンコを、地声で振り絞るような声で歌っているのを聞いて、
「意味はわからないけれど胸にグッときて涙が出マス」、と言う人をよく聞く。
もちろん、感動するのだから素晴らしい事だけど、
それは本筋から数センチずれたところでの感動。
スペイン語で歌われているカンテの意味を知って、人生の厳しさを知っている人は
カンテを聞いた時、心の痛みや震える喜びを、はらわたと体中の細胞で感じられるはず。
それを知った時から、カンテに対して自然に表現をして踊れるはず。
集中して書いたので、夜中過ぎちゃった。
家にこれから帰ります。
表現力についてもうちょっと書きたいので、またすぐに書きます。
7月4日
台詞の代わりに、身体を使って、感情を表現することも多い。
「好きなの!私を見つめて!」
「あっちいってよ!顔も見たくない!」
「悲しくて胸が苦しい!」とかを動きで示すとなると、
誰もが思い浮かぶ、日常で誰もが使う動作を想像すると思う。
つまり、胸に手を当てたり、手で振り払って相手を拒絶したりと、
感情を説明する明確な「動き」をする。
明確な説明の踊りだけじゃ成り立たないので、それに加えて
技術面や躍動感を見せどころとする箇所を加え、
それに曲が付いて、さらに顔の表情を付けて完成品になる。
しかし、しかし! これがフラメンコ舞踊となると、、、、???
ご存知のように、感情を具体的に説明する動き、振り付けがない。
悲しいからって、泣く振り付けがあるわけではなく、
手首クルクルまわして、どーやって感情を表現すりゃいいの?って思う人たくさんいるはず。
あ、そういやぁ、ちょっと話がずれるけど、
アレグリアス=楽しい曲だから 思い切り幸せそうな顔 とか、
ソレア=悲しい孤独の曲だから 眉間にシワを寄せて悲痛な顔 とか、
グァヒーラ=魅力的な女を表現する曲だから 色っぽい表情 とか、
ちょっと!ちょっと!ちょっと!軽々しく思ってるアナタ!
フラメンコの感情表現って、そんな表面的な、くっだらないものじゃないんですよ。
そんなふうに思って踊ってるアナタ!
踊りではなく、フラメンコの一から勉強しなさいヨ!
と一発、喝をいれたところで、再び本題に戻りまする。
真剣に聞いてくださいよ、私の話!
具体的演技より、もっともっともっともっと凄いものが、
フラメンコに凝縮しているではないですか。
フラメンコ =(イコール) カンテ が、超濃縮・人間感情そのものなのですよ。
特に、フラメンコの歌は、余計な飾り言葉がなく、
短い歌詞の中に、恐ろしいほど深い意味と激しい感情が含まれている。
(全部の歌が、ではなく、もちろん、ま~ったく意味のない歌も山ほどあります)
だからこそ、カンテを聞いていて、ぐぐぐーーー!と、はらわたに重いものが刺さり、
さらに、その歌詞の奥に隠されている真の意味を知った時、
あああ、、、と、思わず言葉を失くす。
その、人間の極みの感情を歌ったフラメンコのカンテに対して、
フラメンコの「バイレ・踊り」があるのだ。
フラメンコの踊りが主役みたいに思われているけれど、
超濃縮・感情表現のカンテに応えなくてはいけないのが、踊りである。
だからこそ、フラメンコを踊るには、絶対に、絶対に、表現力が必要とされる。
というより、カンテに対して、「表現しないではいられない」 ものなのだ。
じゃあ、超濃縮・感情表現のカンテを、具体的な動作や演技なく、
どうやって感情表現をすればいいの???と、
超軽いMちゃんなどはスグに言うと思う。 ハハハ
ここで言います。
徹底的にスペイン人の素晴らしいカンテを聞くこと。(ただし、義務で聞かないこと)
スペイン語を徹底的に勉強すること。
この二つは絶対不可欠。
それに贅沢を言えば、「スペインの人々を徹底的に知ること」かな。
彼らの、なぜこのように感情表現をするか、どれくらいの深さや強さで
感情表現をするかなど、生活の面からも知ると、もっと根底の部分が見えてくる。
そして、、、
人生経験をたくさんたくさん積むこと。
喜びはもちろんだけど、人生経験で心の激しい痛み、心の激しい苦しみ、
激しい悲しみ、激しい怒り、を知ること。
そして、激しく落ち込み、激しく自己反省し、激しく自分を叱咤激励し、
死にもの狂いで苦しみを乗り越えて、歯を喰いしばって前に進む。
我が身を持って経験するのだから、同じに苦しんでいる人を見たら、
同感してあげられるはず。
本当の優しさがわかるはず。
フラメンコを、地声で振り絞るような声で歌っているのを聞いて、
「意味はわからないけれど胸にグッときて涙が出マス」、と言う人をよく聞く。
もちろん、感動するのだから素晴らしい事だけど、
それは本筋から数センチずれたところでの感動。
スペイン語で歌われているカンテの意味を知って、人生の厳しさを知っている人は
カンテを聞いた時、心の痛みや震える喜びを、はらわたと体中の細胞で感じられるはず。
それを知った時から、カンテに対して自然に表現をして踊れるはず。
集中して書いたので、夜中過ぎちゃった。
家にこれから帰ります。
表現力についてもうちょっと書きたいので、またすぐに書きます。
7月4日
by amicielo33 | 2013-07-04 23:52