空手&フラメンコ
2012年 12月 15日
先週の日曜日、とっても興味深い、とっても面白いステージがあった。
私の舞台を、昔からすべて見てくださっている空手の宗主・荒井先生という方がいらして、
その先生が、新たな試みとして、あの、タブラオ・カサ・デ・エスペランサで、
空手&フラメンコを組み合わせたステージを披露なさったのだ。
ゲ~~~~!!! フラメンコと空手~~~!? 変だヨ~~~~~!!!
と言うなかれ。
そして、『フラメンコの音楽とコラボして空手と一緒に踊るんですかぁ?!』なんて、
おったまげるほどアホなことを言わないでヨ。
私のブログに時々出る、ウルトラ軽い生徒のMちゃんは
案の定、想像していた通りに同じことを言ったので、
「アホッ」と心の中でつぶやいて、私の視界からMちゃんを消した。
このステージ、実に、実に実に実に勉強になる、それはそれは興味深いものだったのです。

(ステージ中央で、太極拳模範演技をしていらっしゃる荒井先生)
言っとくけど、、、
荒井先生は、ただのフラメンコ好きなミーハーな空手の先生じゃぁ、
絶対にあ~~~~りませんからね。
ただの軽い思い付きでやる、浅はかな空手の先生じゃぁ、
絶対にあ~~~~りませんからね。
それはそれは、すごい方なのです (@_@;)
私のようなヒヨっこが偉そうな説明をするのは、はばかれるのだけど、
武道の道を長年歩まれていらした荒井先生だからこそわかる、見える、そして感じる、
「観点・視点・感性」で、フラメンコを踊る人から生み出される動きと流れ、
そして武道の動きから生み出される動きと流れ、
その両者に “動きの「美」” があるという結果を見出し、
それをどのような形で発表できるかずっと考えていらして、
そしてようやく先週の日曜日のステージにつながったのである。
「美~無から無への狭間」という題。
フラメンコと武道。
共通するのもがないようで、実は、驚くほど、動きの本質に共通点がある。
もちろん動きの形も、背景も、意味も、文化も、全く違う異質のものだけれど、
特に空手の動きは、一切無駄がなく、流れ、軸、重心においては、まさにあっぱれ!
いやいや、空手の完成された形(かた)と動きは、フラメンコの動きと比べたら、
はるかに質とレベルが高いのがよくわかる。
フラメンコの踊りは、踊りとして独立させ、
空手、太極拳の武術は武術で独立させ、
武術をメインとして、荒井先生はステージを構成なさったので、
和のものに、異質のフラメンコを入れ込む不自然さもなく、
見ている側は、次々と目の前に繰り広がられる様々な動きに対して、
実に純粋に、そしてシンプルに、「へ~~~、すご~~~~いなぁぁぁ」を連発した。

(私の生徒のNちゃん)

(荒井先生のお弟子さん)
フラメンコやる人が、あのようなレベルの高い空手を見ると、かなり勉強になると思う。
最後の締めで荒井先生が、「静と呼吸だけの動き」から、究極の力を生み出し、
我々には全く見えない速さで、厚い板を一瞬にして、実に美しく割った時の驚き。。。
恐れ入りました。。。。
フラメンコ界、まだまだまだまだ、修行が足りんです。
力で体を動かすものではない。
力が抜けた、その瞬間と、その先端に、人の心を驚かすほどの、
気と緊張と静の世界が生み出される。
恐るべし、武術の世界。。。
フラメンコ舞踊界、動きの勉強も死ぬほどしないといかんわ、
フラメンコの勉強も死ぬほどしないといかんわ、
ホント、死ぬほど勉強しなきゃいけないことがあり過ぎ。。。
まさに、『勉強と反省のステージ』でした。

12月15日
私の舞台を、昔からすべて見てくださっている空手の宗主・荒井先生という方がいらして、
その先生が、新たな試みとして、あの、タブラオ・カサ・デ・エスペランサで、
空手&フラメンコを組み合わせたステージを披露なさったのだ。
ゲ~~~~!!! フラメンコと空手~~~!? 変だヨ~~~~~!!!
と言うなかれ。
そして、『フラメンコの音楽とコラボして空手と一緒に踊るんですかぁ?!』なんて、
おったまげるほどアホなことを言わないでヨ。
私のブログに時々出る、ウルトラ軽い生徒のMちゃんは
案の定、想像していた通りに同じことを言ったので、
「アホッ」と心の中でつぶやいて、私の視界からMちゃんを消した。
このステージ、実に、実に実に実に勉強になる、それはそれは興味深いものだったのです。

(ステージ中央で、太極拳模範演技をしていらっしゃる荒井先生)
言っとくけど、、、
荒井先生は、ただのフラメンコ好きなミーハーな空手の先生じゃぁ、
絶対にあ~~~~りませんからね。
ただの軽い思い付きでやる、浅はかな空手の先生じゃぁ、
絶対にあ~~~~りませんからね。
それはそれは、すごい方なのです (@_@;)
私のようなヒヨっこが偉そうな説明をするのは、はばかれるのだけど、
武道の道を長年歩まれていらした荒井先生だからこそわかる、見える、そして感じる、
「観点・視点・感性」で、フラメンコを踊る人から生み出される動きと流れ、
そして武道の動きから生み出される動きと流れ、
その両者に “動きの「美」” があるという結果を見出し、
それをどのような形で発表できるかずっと考えていらして、
そしてようやく先週の日曜日のステージにつながったのである。
「美~無から無への狭間」という題。
フラメンコと武道。
共通するのもがないようで、実は、驚くほど、動きの本質に共通点がある。
もちろん動きの形も、背景も、意味も、文化も、全く違う異質のものだけれど、
特に空手の動きは、一切無駄がなく、流れ、軸、重心においては、まさにあっぱれ!
いやいや、空手の完成された形(かた)と動きは、フラメンコの動きと比べたら、
はるかに質とレベルが高いのがよくわかる。
フラメンコの踊りは、踊りとして独立させ、
空手、太極拳の武術は武術で独立させ、
武術をメインとして、荒井先生はステージを構成なさったので、
和のものに、異質のフラメンコを入れ込む不自然さもなく、
見ている側は、次々と目の前に繰り広がられる様々な動きに対して、
実に純粋に、そしてシンプルに、「へ~~~、すご~~~~いなぁぁぁ」を連発した。

(私の生徒のNちゃん)

(荒井先生のお弟子さん)
フラメンコやる人が、あのようなレベルの高い空手を見ると、かなり勉強になると思う。
最後の締めで荒井先生が、「静と呼吸だけの動き」から、究極の力を生み出し、
我々には全く見えない速さで、厚い板を一瞬にして、実に美しく割った時の驚き。。。
恐れ入りました。。。。
フラメンコ界、まだまだまだまだ、修行が足りんです。
力で体を動かすものではない。
力が抜けた、その瞬間と、その先端に、人の心を驚かすほどの、
気と緊張と静の世界が生み出される。
恐るべし、武術の世界。。。
フラメンコ舞踊界、動きの勉強も死ぬほどしないといかんわ、
フラメンコの勉強も死ぬほどしないといかんわ、
ホント、死ぬほど勉強しなきゃいけないことがあり過ぎ。。。
まさに、『勉強と反省のステージ』でした。

12月15日
by amicielo33 | 2012-12-15 19:09