理解できなかった事の調査報告

書きついでに、もう一つ。

ずーーーーーっと、何年にも渡って私にとって理解できない事があり、

ずーーーーーっと、その理解できない事を理解するために観察を続け、

やっと自分なりに結果をだしたので、それを書きたいと思う。

ただし、くっだらない事なので、読み飛ばしてくださいマシ!



その理解できない事って、

なぜ日本人は一か所に集まる習性があるのだろう、ということ。



まず最初に、

毎回、私にとってイラッとする闘いの場でもあるのだけど、

癒しとなる「立ち寄り湯」に私はよく行くのだけど、

そこには必ず大量のロッカーがある。

私の行く時間は、だいたい夜遅い時間なので、

ロッカーはほとんど空き空き状態。

そしてその中で、当然、左右上下、誰も使っていない場所を選び、

そのロッカーに私の洋服やカバンを入れて入浴。

よ~く身体も温まり、心もホッコリ癒されて出てロッカーに戻ると、

95% ←観察結果! 私のロッカーの横を誰かが使っていて、

そのロッカーの使用人も入浴を終え、私の着替えと重なり、

うんと広い更衣室の中なのに、

私の着替える場所だけ混んでて、

その横のオンナと肩や体が触れないように

気を遣いまくりながら着替える羽目になる。

癒されていたのに、頭からは怒りの噴火!133.png122.png



最初から混んでいて、ほとんどのロッカーが満杯で、

それで少しずつみんなが帰って、

私と横の人が偶然残った、ってな話なら、わかる。



しかし、例えば、21時の段階でほとんどのロッカーが空いていて、

その中の一つを私が選んで、お風呂に入り

23時近くにお風呂から出て自分のロッカーに戻ったら

真横のロッカーが使われているという事は、

私が入浴中に、その誰かが来場し、更衣室に入り、

空いている大量のロッカーの中、

わざわざ、

使用中のロッカーの真横を、好んで選んで使っている、

ということではないか!

もーーーー!!! なんで他のロッカー使わないのよー!!!



このロッカー現象は、もう3年以上観察し続けていて、

その結果で、ほぼ95%の確率になるという答えが出ている。←AMI調査

もちろん、毎回、全ての場所を試してみた。

私の好む場所が、他の人たちの好みと一致?

浴場に入る場所に近くて有利な場所?

少し隠れ気味の、ひっそりとした場所?

本気で毎回、全ての場所の試みをしてみた。



たまたまそれを、日本在住のイギリス人の友人に話したところ、

彼女も「そーーーーなの!!!私も不思議に思ってた!」とのこと。

彼女は、スポーツクラブで毎回ロッカーを使用していて、

ほとんど空いているロッカーだらけの中、

彼女の使用したロッカーの、真下か真横のロッカーを、

毎回誰かが使うとのこと。

彼女も不思議に思い、毎回いろんな場所を試してる、とのこと。

「日本人って、何でわざわざ横に来るの?」と。

と言われても、私も日本人だけど、それで私も怒っているのだよ。




浴場内でも同じ。

全部空いている洗い場で、私が身体を洗っている、その私の、

わざわざ、真後ろに来て、身体を洗う。

もーーーーー!!!身体をせっかくきれいに洗ったのに、

シャンプーやボディー石鹸のキッタない汁が

こっちに飛んでくるじゃない!!!

ここでまた、頭から爆発!133.png122.png



これは、頭から爆発じゃなくて、もう笑っちゃんだけど、

クラスで、身体や足を大きく動く事に慣らすために、

スタジオ中を使って、自由に移動する事を指示すると、

ほとんどの生徒は、絶対に、誰かの後にピタッとひっつき始め、

まるでカルガモ一家のように、行動の動線をつくる。

さらに、うちのスタジオはまぁわりと広いんだけど、

その広いスタジオの、3分の1の場所にみんな無意識に集まって来て、

わざわざ、せまぁ~~いスペースにして、

混み混み状態になっても、誰も気が付かないで、その狭い場所で踊ってる。

それを見ている私がいる場所は、

スタジオの3分の2にあたる、広々としたスペース。

そこに私一人がいて、スタジオの3分の1の場所に、

10人以上が、キツキツ、混み混みで踊り続けている。

なぁ~~~~~んという、不思議な光景なんでしょう。



こうして、様々な日常生活の中で繰り広げられる、

「誰かの横にピタッと寄ってくる習性」

これは、”日本人の持って生まれた性質” であるかも。

日本だって広々とした敷地があるのに、

昔の時代から、全体の空間面積を見ずに、

わざわざせっまい場所に、キッツキツに住んだり、集まるし。

そして、学業における団体行動の中でも、

『空間を詰めないと他人の迷惑になる』

という教えが子供時代に叩き込まれ、それが常に根底にあって、

大人になっても多くの人は、それが無意識に脳に残っているのでは?

「空きを作らずに、前か横に詰めないといけない」と。



これが、AMI調査から得た結果である。ハハハ105.png

そういう性質の中で、個人行動や、伸び伸びとした状態が心地よい事に

気が付いた人が、集団行動の中から少しずつ脱出して、

まぁ、アタシみたいなキツキツの空間が大嫌いな性格となり、

ロッカーで毎回頭から爆破の火柱が立つ人間になるのだろう。



でも、最近はロッカーでの事は諦めて、

自分の使うロッカー以外、左右のロッカーも同時に使う事にしている。

最近のロッカーはお金が戻ってくるし、

混んだ時間帯は、こんな非常識なことはしないけど、

空いている時間は、着替えも伸び伸びとしたいではないか。



長々と、どーーでもいい事に熱弁を振るってしまいました。

でも、日常生活の中において、

もうちょっと胸と目線を上げて、

全体の空間を見て、

迷惑かからない範囲で、のびのびと出来る空間を自分で確保しようヨ!

  ↑

これを立ち寄り湯に、夜遅く来る人に言いたい!136.png

                         
                       4月6日

























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# by amicielo33 | 2018-04-06 17:53  

     足の指の大切さを痛感

前回のブログから、あっという間に2ヶ月も経っているではないか!

ビックリ!

前回ブログで騒いでいた足の小指の怪我だけど、

脱臼と骨のヒビ、ということで(お医者さんでなく、スポーツ治療院での結果)

一ヶ月、激痛で全くフラメンコの靴が履けなかった。

あんな小さな小指が、どれほど重要な役目をはたしてくれていて

ご主人様に認められることもなく、

一生懸命に身体を支えてくれているか、改めて痛感した。

ほんと~に今まですみませんでした! と、足の小指に何度も謝った。



2月6日の夜中に負傷して、ソロライブが1か月後の3月10日にあったけど、

とにかく腫れが引かないし、激痛でどーにもこーにも靴が履けないので

腹をくくって、裸足で1ヶ月の間、練習を続けた。

裸足で練習すると、普段、何気なく出来ているつもりでやっている事が

どれだけ出来ていないか、が次々と発覚する。

ありゃりゃ、今までえっらくごまかしてやってたんだ、と大反省。

いやいや、これが本当にいい勉強になりました。

怪我しなきゃこんな勉強はしなかったし、

まさに怪我の功名。

でも、裸足とは言え、つい靴を履いているつもりになっちゃって

床を無意識にバンバン打っちゃうから、

結局は腫れがいっこうに引かず、

寝る前は、徹底アイシングと湿布をはってテーピングの日々が続いた。



てなことで、ライブの1週間前になって、

冷や汗をかきながら靴を履き、←痛くて

ウギャ!ヒーッ!を何連続も言いながら、←痛くて

通常通りの本格的な練習をして

本番3日前に、歌のディエゴとギターのエミリオと合わせをやり、

本番は痛み止めの薬を飲んで踊った。

人間不思議なもので、スポーツマンもダンサーも、

怪我をしていてもアドレナリンくんが全開になり、

どんな痛みも本番中は感じなくなる。

ホントに不思議。。。



すごく良いカンテとギターに酔いしれて、

そして久しぶりに靴を履いて思い切り踊れる事に

喜びもMaxになり、

そして踊りの説明やおしゃべりも間に挟んでやったので

お客さんが楽しんで一緒にステージに参加してくださる

心地よい手応えを、直に感じる事をとてもできて、

なのでこちらも楽しくて、4曲踊っても全く疲れず、

もっと踊りたい気持ちだった。

ソロライブから1ヶ月も経って、今頃お礼を言うのは失礼だけど、

本当にありがとうございました。




お家に帰って、小指がズキズキ痛み始め、真っ赤に腫れていたので、

再度、足の小指くんに平謝りに謝って、手厚い看護をした。

多くのスポーツマンを診ているスポーツマッサージ治療院の先生曰く、

足の小指のヒビや脱臼は、治ってからも腫れが引かないのが特徴とのこと。

まさにその通りで、

未だに、うずく痛みがあり、

未だに、赤く腫れて小指の付け根がかなり太い。

生徒が、ちいさな明太子みたいでカワイイと言って笑うんだけど、

本当にその通り。



怪我して毎日痛感するのだけど、

この足の小指と薬指を強打する可能性のものが

日常生活の中に溢れかえっているのがわかる。

全ての家具、全ての家の中の柱や角。

ちょっとしたタイミングで、大怪我に繋がるから、

皆さん、お家の中で、裸足になることの多いこれからの季節、

足元によく気を付けてくださいね。

普段、全く存在感のない、こんなちっぽけな足の小指だけど、

大事で、なくてはならないヤツなんです!

守ってあげてください!!!

「全国足の小指を守る会」会長からのメッセージです。



なーんてことないけど、

どうぞ気を付けてくださいね。

あ、私の怪我を気にして、大量のコラーゲンや湿布をくれた生徒のみんな、

本当にありがとうございました。

優しい気持ちに心からの感謝!

                           
                         4月6日






















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# by amicielo33 | 2018-04-06 15:47  

   私の主義

本日のクラスが終わり、

昨日書いたブログを読んで、こんなマイナスな気持ちではいかんのだ、と

自分のお尻をたたいてからライブのための自習をしようと思ったところで、

再び足の指の激痛を感じたので、思わずブログを書いてしまっている。



ちょうど6日前の日曜日の夜。

狭い我が家で、ストーブの位置を何気に置き換えた場所が、

角のある家具のすぐ横であり、

2m先のカーテンを閉めようと、わざわざそのストーブと、

角のある家具の間に発生した細い隙間を、

元気よく踏み込んだところ、

左足の小指と薬指の間を、この家具の角部分で思い切りひっかけ、

その瞬間、あらぬ方向にこの2本の指が向いたようで、

ウギャぁぁぁ!!!

と、叫んで、えっらく激痛なんだけど、

でもそのまま無視して、カーテンを閉めた。




私って、こういうところが昔からあって、

激痛が起きた箇所を、その場で見ない&確認しない性格なのだ。

頭の中で、「何でもない、大したことない、気にするな」

という命令文が発令されるのだ。

5分くらいたってから、それでもあまりにも痛くて歩けないので

仕方なく靴下を脱いで確認した。

足の小指、薬指、中指の付け根部分に

真紫色の内出血が広がり、付け根の関節全体が腫れ上がっている。

ちょっとちょっと、今、骨が折れたら困るのだよと、

ライブに向かって練習の山場の時なのに~!




てなことで、私流で折れていないか確認した。

折れていれば、もっとスゴイ激痛のはずだから、

これくらいの激痛はきっと大丈夫だろう、と判断。

もちろん冷やして、湿布貼ってなるべく動かさないようにしてるけど、

まだ、ハッキリ言って激しく痛い。

でも、お医者さんには絶対に行きたくない。

行ったところで、湿布もらうだけで、後は我慢しながら

痛みが治まるまで時の流れに身を任せる、てこと。




3年前に、オペラの舞台練習で男性と踊った時に男性のサポートのやり方が悪く、

その男の力で私の肋骨にヒビが入った。

激痛で何日も寝られず、でも踊らなくてはいけないので練習は日々続行。

痛みで脂汗をかきながら最後まで医者に行かずに舞台本番まで我慢。



2年前に、コンテンポラリーの人との舞台練習で、高い台から飛び降りる場面で

足首を思い切りねじった。

腫れ上がったけど、医者にはもちろん行かず、舞台の誰にも言わず、

ガマンしながら3週間、舞台練習を毎日続けた。

本番の頃には治った。



小学生の頃、祖父母の田舎の家の廊下をダッシュして、

今回と同じに、恐ろしい力で足の小指と薬指の間を廊下の柱の角にヒット。

さすがにその時、指の骨を折ったのはわかった。

でも、祖父母に絶対に心配させたくなかったので、

祖父母の前では、何もなかったかのように普通に歩いてるように見せかけ、

数日間の滞在中、その怪我と骨折を隠し通した。

家に戻って、さすがに親に見つかったのか記憶にないんだけど、

外科に連れて行かれたらしく、

完全に変な方向に2本の足の指が向いてしまっているのを見たお医者さんに

「なんて野蛮な子なんだ!」

と言われたのを、今でもハッキリと覚えている。



私の外科系の怪我のスタートがこの言葉だったからか

骨折、ヒビ、やけど、外傷、とかでは

医者に行くのがいやなのだ。

絶対に行かないのだ。

ガマンしていれば治るのだ。

    ↑
バカボンみたいな文章なのだ。



さすがにアキレス腱断裂とか、ボッキリと太い骨を折ったら

さすがに医者には行きます。

でも、小骨なら、、、ガマンしちゃうなぁ。

てなことで、今現在、かなり痛い足でケンケンしながら、

それ以外の元気な手足で、自習を始めようと思う。

変なブログですみません。

         
                       2月10日













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# by amicielo33 | 2018-02-10 17:39  

    暗い自分にウンザリ

もう2月も中旬に近づいている。

なんて月日の経つのが早いのだろう。

1月から、大事な用事が同時に7つくらい重なってしまい、

それも全てタイムリミットがあるものだから、

ひたすらそれに追われ続け、

頭掻きむしって一つずつ片付けていった。

それにしても、重なる時って、なぜこうも重なるものなのかと不思議になる。




そんな中、久しぶりに姉と叔母と3人で昼食を食べたのだけど、

顔を見合わせるやいなや、

来年なんか生きてるか死んでるかわからない、と始まり、

10年後は私が一番に死んでいる、

いや、私が先に死んでる、

いやいや、私ヨ。

お墓の掃除と墓参りを頼むぞ! 

そんな話しばかりで盛り上がったので、最後になって3人で反省した。

これじゃぁダメだ、と。

希望に満ちて、前に向かって明るく進んでいく、そんな話題が

いつも出るような精神でないと、

それこそもう我々は、暗い老後しか歩めないぞ、と。




絶対にすごいアーティストになってやる!と

全身がメラメラと火に包まれるような暑い情熱をたえず持ち続け、

灼熱の太陽の下で誇りに満ちた姿で立ち続ける

セビージャのヒラルダの塔の女神さまを

私の心の全てとして、

毎日、ヒラルダの女神さまを泣きたくなるような思いで

見続けながらスタジオに通っていた、そんな自分が、

今ではもう、あと数年でフラメンコやめてやるとか、

リサイタルも今年でもう終わりにしようとか、

みんなからも忘れられて、もうすぐ私なんぞ消えていくんだとか、

そんな超マイナスな自分になっているのはなぜだろう。




それでも、心のどこかでは、フラメンコに対する熱い情熱と

バリバリに踊れる身体の準備は出来ているので、

それを爆発させて、色んな舞台を創って、色んなライブもやって

フラメンコを色々な形で表現して伝えたい!という

強い、強い、熱意はあるのだ。

でも、その心に反して、世の中で必要とされている枠には

もう入れない事を、年々肌を刺すように感じるからこそ、

弱気になってしまうのだろうか。




メチャメチャ燃えている熱い自分と、

いつまでフラメンコをやるのだろう、という自分と、

その二つの間で、昔のピンボールのゲームマシンみたいに

あっちの壁にぶつかっては跳ね返され、

また別の壁にぶつかっては元の道に戻りと、

そんな自分の心に振り回されている毎日だ。




なので、これじゃいけない!と、自分でお尻を叩いて

ステージに立つことを決めた。

3月10日(土)のソロライブ。

思い切り自分のやりたい事が出来るステージに対する楽しみと、

思い切り楽しんで踊れる幸せがあるのだから、

この小さなソロライブに立てる幸せを感じなきゃ!

と自分を奮い立たせながら、心のどこかで、

”来年はソロライブなんて出来るのかなぁ” なんて思ってる。

もう、どーーーしよーーーもない。

いつまで続くかなぁ、この気持ち。

いやいや!!!3月10日(土)のソロライブ、頑張ります!

楽しいライブになりそうです! 観にいらしてくださいね!
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最後に、1月22日の関東大雪の日。

スタジオの近くの蚕糸の森公園の夜中の写真です。

あまりの美しさに感動しました!

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                    今日は平昌オリンピック開幕の日!

                               2月9日





































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# by amicielo33 | 2018-02-09 19:50  

今年の反省 そして来年

本当に、あっという間に1年が過ぎようとしてる。

なんて月日の経つのが早いのだろう。

今年は、精神的に行き詰ることばかりで、

どうしてもブログを書く元気がなく、

でも、今年の最後の日はちゃんとブログを書いて、

一年のけじめをつけようと思う。



今年は、舞台数は少なかったけど、

春夏と、大きな舞台の出演で何かと長期間振り回され、

最後は自分のリサイタルで、まさに大型台風を背中に背負って生きていた、

そんな感じの4ヵ月を過ごした。



今年一年も、自分が世の中の何かの役に立ちたいと、

でも自分が出来る事はフラメンコしかないので、

フラメンコを通して役に立てないか、という事ばかり考えていて、

だからせめて、リサイタルの場を使って何らかのメッセージを発し、

”心に届くフラメンコ” を踊る事が、

ちっぽけな事だけど、自分として役に立てる何かかもしれない、

そんな想いで、必死で舞台を創った。

というか、今回のリサイタルだけじゃなくて、

ずっと前から、私の創る作品を通して、

自分なりにメッセージを発してきたつもりだった。




自分で言うのが恥ずかしくなるくらい大きなテーマだけど、

6~7年前までは、

悪=闘い・死 → 常に客観的に見て考えなくてはいけないこと

このテーマで、何作品も作った。

2013年に私の生徒達が、フラメンコ協会の群舞で賞を取った

「羽と叫び」もそうだ。

それから5年前くらいからは

過去に親からの虐待を受けたり、激しい家族の問題を抱え

激しく苦しみ続けているそんな人々と会い、

その人たちに対して、何としても生きて前に進んでほしい

という私の想いの詰まった作品や、

私が両親を亡くして、初めて知った様々な想いなどから、

”母親” というもの、それを様々な角度で再認識してもらいたいと、

そのテーマで、いくつか舞台を創ってきた。



そして一番最近の「Madre ~母~」の舞台を終えたりして、

それに対して賛否両論の意見をいただき、

ずっと今までの自分のやってきたことに対して

やっと気づいた事がある。




「私の器では、フラメンコでそんな大それた事なんぞムリ」 

ということ。 

そして、「フラメンコは、こういうものに似つかわしくない」

ということ。

どんなに自分が良いと思って、死にもの狂いで創っても、

「フラメンコの大好きな人たちには、受け入れられない」

ということ。



もし私が優れた振付の才能があり、

さらに、飛びぬけたフラメンカな味と香りがあれば、

きっと人々を魅了する作品が出来ていたと思う。

でも、そんなスゴイ器は私には、ぜ~んぜんないのだから、

こんな大それたテーマは、私なんぞがやっちゃあいけないんだ、

と、恥ずかしい話、今になって、心から思ったのだ。



そんな大事な事に、気が付いたのが遅すぎたのかもしれないけれど、

それが、「私」。

気が付くまでものすごい時間と労力をかけないと、

私という人間は気が付かない。

でも、今まで必死にやってきたことは、無駄にはなってないだろうと

過去の経験を信じて、来年の自分に自分で背中を押そうと思う。



自分の器のサイズを自覚して、

無理な背伸びをしないで、もっと気を楽にして、

「フラメンコと私」

だけに絞っていこうと思う。

でも、もう残された、踊れる時間はとても少ないので、

一つ一つの舞台を、丁寧に、大切に、そして

これだけは昔も今も、決して曲げない強い信念、

「心に届くフラメンコ」

この大切な心で、踊りたいと思う。




今年も色々とありがとうございました。

2018年、どうぞよろしくお願いいたします。

                         

                      12月31日 大晦日































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# by amicielo33 | 2017-12-31 20:09