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エスペランサのライブが終わって。。。

先月3月17日に亡くなったエスペランサのオーナーの田代淳さんに

今年の1月突然、黄疸が出て、これはなんだ?ということになり、

検査をしたら、膵臓癌、それも肝臓に転移しているステージ4

という状態であることが発覚して、、、

でもその段階になっていても、ご本人に全く自覚症状がなかったのだ。

なので入院を前に、田代さんがいつも通りエスペランサのスケジュール

内容を決める時に、私にエスペランサでライブをやってほしい、

とリクエストしてくださり、

それで4月25日のライブが決まったのだ。



私としては、このライブを開く日にもし田代さんが

一時退院でも出来る状態なら、エスペランサの、

いつも田代さんがいらっしゃるカウンターにいてほしかった。

そして田代さんに今までお世話になった感謝の気持ちを

全てこめた私のフラメンコを、直接伝えたかった。

でも、1月中旬に癌が発覚してからわずか、

2ヵ月で亡くなってしまった。

あっと言う間の死で、悲しみより驚きの方が強かった。



フラメンコ人生で一番お世話になり、

フラメンコ人生で一番かわいがってもらい、

フラメンコ人生で一番いつも背中を押してくださった田代淳さん。

だから、これから時間をかけて御恩を返したいと思っていたのに

いなくなってしまったので、

たった1日のライブだけれど、

田代さんと約束した4月25日のライブの中で

私の感謝の気持ちを全て込めて踊りたいと思った。

(もちろん一生、田代さんへの感謝は絶えることはない)



メインのソレアを踊る時、ステージに上がり、

ソレアのサリーダを聞いている時、

フッと上を見上げたら、

ステージ中央の上の壁に

「ESPERANZA」という文字の飾りがあるのを初めて知って、


あ、、、田代さんの想いと願いがこもった名前、、、、

こんな場所に飾ってあったんだ、、、

今まで気が付かなかった、、、

田代さんの想いの全てが込められた「ESPERANZA」、、、


飾りを見ながら、様々なことが頭に蘇る。

そして同時に、


「エスペランサは俺の人生なんだよ」

「俺はエスペランサのオヤジが一番合ってるんだ」


田代さんがよく言っていたこの言葉も蘇り、

エスペランサへの田代さんの深くて強い愛情を

改めて心からしみじみと感じ、

私もこのエスペランサに育ててもらったんだ、

淳さん、本当にありがとうございます!!!

と、心が叫んだ瞬間、踊りが始まった。



説明が逆になるけれど、

このライブの日はコロナによる第3回目の緊急事態宣言発令の

スタートに、不運にも重なってしまった。

なので発令が出る数日前から、本当にライブが出来るのか

すごく心配でたまらなかった。

このライブを成功させるため、他のことは一切手に付けず、

ひたすら田代さんに思いを伝えたい!という事だけに

3ヵ月の間、全力集中をしてきたから。


でも、田代さんの奥様から連絡をいただき、

「田代との約束を果たしてくれるのがとても嬉しいから

ぜひライブを開催してください」

とおっしゃってくださり、

今のエスペランサを支えている悦子ママからも

許可を出していただいたので、

無事に開催することが出来たのだ。

もちろん、ソフトドリンクで。

見に来てくださったお客様も、私の田代さんへの想いを

しっかりと感じ取ってくださり、そして共演してくれた

踊りの渡部純ちゃんも、カンテの滝ヤン、桂子さん、

ギターのビーちゃんも全力投球してくださったので、

お客様もとても楽しんでくださり

私にとって心に残るライブになった。

田代さん、楽しんでくれたかな。



最後に、私は不思議な出来事をよく経験するのだけど、

今回もそれが起きたのでお話したい。
(ただの偶然かも、だけど)

3月12日の出来事なんだけど、夜のクラスが終わって

帰宅のため、自分の車を置いてある駐車場に行くと、

なんと私の車のハザードランプが点滅しているのだ。

ロックが自動解除されて、暗い駐車場の中で、

ピカピカと激しく点滅し続けている。

故障か、誰かが私の車のドアをこじ開けたのかと思い、

ゾッとして、ドキドキして車の中を見てみると、

何も荒らされていないし、普通のまま。

一応安心して車に乗り込み、運転して家に着き、

車から降りてロックをかけると、

即座に自動的にロックが解除されてしまい、

さかんにピカピカと激しく点滅を始める。

わぁ、車のロック機能が壊れてしまったんだ!と

ショックを受け、仕方ないので手動でロックをした。

でもなぜか、次の日からは正常に機能したので、

10日後の車検の時に原因を見てもらおうと思ってた。



そして車検の時、3月12日だけロックが自動的に解除されて

ハザードが点滅したことを伝えると、

技師の人が、車の開閉のロック履歴のデータを

プリントして見せてくれて

(全ての開閉をコンピュータに記録されているのにはビックリ!)

ロックが自動解除されて激しく点滅したとおっしゃる

3月12日には一切そんな記録は出ていませんよ、と確信して説明する。

確かに見せてくれたプリントに自動解除の記録が一切なく、

正常にロック機能が働いていた記録が残っている。

じゃぁ様子をみてみますぅ、、、としか言えなかった。


それで、何であの日だけ勝手にドアロックが解除され

ハザードが点滅する事が起きたんだろう。。。と

考えている時に、ハッ!!!と思ったのだ。

そうだ!3月12日は田代さんのお見舞いに行った日だ!

あの日は、田代さんに会えた最後の日だったんだ!

その5日後に亡くなったんだ、、、


そう、この私の車に田代さんは何度も乗って(奥様も一緒)、

私が運転をして、ドライブがてら美味しいものをご馳走になる、

という楽しい時間を、この車と共に一緒に何度も過ごしたのだ。

だから、田代さんに会えた最後となってしまった日に、

きっと田代さんが、私の車を通して何か言いたかったんだと。


それがとても腑に落ちて、みょうに心が落ち着いた。

田代さんが「アミちゃんは運転がうまいから安心して乗れるよ。

また美味しいもご馳走するからドライブに連れてってネ」

とよく言ってくださってたのを思い出す。



淳さん、、、何故、急にいなくなってしまったんですか?

と、未だに思ってしまう自分がいる。


                    4月28日
エスペランサのライブが終わって。。。_e0262970_22085583.jpg
2020年1月の新春ライブにて
中央が田代淳さん 右が悦子ママ


                    

# by amicielo33 | 2021-04-28 22:12  

コンパスの乗り

あっと言う間に3月。

簡単なご報告だけど、2月13日に行われた

日本フラメンコ協会主催のオンラインレッスンは、

予想とは違って、私としてはとても楽しいレッスンだった。

コンパスの乗りを口で学ぶレッスンだから、

もし、私のスタジオの多くの生徒のように大人しい人ばかりで、

どんなに私が「大きな声で言って~!」と繰り返し言っても、

絶対に小声でつぶやいて、すぐに黙ってしまう、

そんな人たちが集まったらどうしよう、と心配していたら、

外部から参加してくださった方たちが

元気に声を出して、一緒に気分も乗って

クラスを受けてくださったので、すごく嬉しかった。


フラメンコのコンパスって、

文面には書けない、独特の「乗り」というものがあり、

それを無くしては、絶対にフラメンコにならない。

これこそ、スペイン独特のものだから。

ソロコンパスのCDなどに頼って、

それにバッチリ合わせて踊っても

コンパスの乗りを感じながらやらなければ、

それは、スピードや音が正確になるだけの練習だ。

足の音だけじゃなく、マルカール、手や腕の動かし方にも

コンパスの独特の乗りがないと、フラメンコのエッセンスが

欠けてしまってフラメンコじゃなくなるのだ。

要するに、「ダンス」と「フラメンコの踊り」の違いが

こういうところに出てくる。

他のジャンルの優れたダンサーが、フラメンコの振り付けを

完璧に踊ったとしても、全然フラメンコを感じない。

でも、踊りの技術を全然知らない、スペインのジイさんバアさんが

チョロッと一振り踊っただけで、

オーーーレ!と、思わず叫んでしまう。

これはコンパスのエッセンスだけが凝縮されているから。

そう、コンパスの乗りのエッセンスを身に付ければ

フラメンコになるのだ。



私は毎回のクラスで、口を酸っぱくして生徒に伝えるのだが

なんせ大人しい生徒が多いのと、

このコンパスの乗りの重要性がピンとこないのか、

ほとんどの生徒が、口に出して身に付けようとしない。

「一番大切なのヨーー!!!」と、

マスクの中で声をからして言い続けているのに、

ブツブツとつぶやいて、しーーーん。

何でわかってくれないのか、イライラすることが頻繁。

ただ、ほんのわずかな生徒だけ、

素直に口に出しながら、それを習慣化していって

確実に身に付けてくれている。

それをやる生徒はやはり、フラメンカなコンパスの乗りが、

自然と身体に染み込んでいくので、

時間と共に、目に見えてスペインのフラメンコに近づいている。

こういうのを目の当たりにすると、

ものすごく嬉しい気持ちになるし、

ああ、この指導は間違っていない、という答えも見えるので

重ねて嬉しいことだ。

重要だぁ、大切だぁ、と言い続けてもスルーする生徒に対して

イライラするのは、もうさすがに疲れたので

受け入れる生徒にはしっかりと伝えて、

私も省エネにしようと決めた。

オンラインで受けてくださった地方の皆さんも

この前のレッスンのコンパスの乗りを

いつも口に出しながら練習していってほしい。


本当は、3月になったので、確実に感じる春について

書こうと思ったのだけど、

写真があったほうが素敵だし、

久しぶりにフラメンコについて書くのもいいかなと思い、

この内容にしたのでございまする。



2月は忙しかったなぁ。

確定申告で税理士さんに書類を渡すために

大量の領収書との闘いが続き、

私の大切な友人が重病になり、気が滅入る日が続き、

生徒のおさらい会というプチイベントもあり、

(このおさらい会、本番ではみんな驚くほどしっかりと踊って

拍手喝采の結果となりました。楽しかったなぁ!)

春と夏のライブ出演の話が急にいくつか出て来て

コロナで長い間ステージで踊っていなかったので、

急に焦りだして毎日の練習量を増やし、

昨年のコロナ自粛から始まった、私の「競歩」は

腕を大きく振る度に、安物の真冬の防寒ウェアが

驚くほどの音量でシャワシャワ鳴り響き、

あまりにも恥ずかしいので

「競歩」から「ランニング」に変更し(音が少しマシ)、

週4ペースで毎回8キロを走り、

持久力と基礎体力アップを維持し、

クラスの仕事は、まぁいつも通りに全力でやり、

これらだけで十分に忙しい日々の中、

Amazonプライムに入ったのをきっかけに、

人生ずっとアニメというものに興味ゼロだった私が、

世の中で大騒ぎしている「鬼滅の刀」とは

どんなものか、一応知っておかないと恥、と思って

チラ見した瞬間からドはまりし、

「行け~!たんじろ~!ねずこちゃぁ~ん!」

と、パソコン画面に向かって叫び、

鬼滅の刀の映画にも行って大泣きし、

次に、「進撃の巨人」にドはまりし、

シリーズ1から食い入るように見続け、

シリーズ4になると話がどんどん難しくなり

ちんぷんかんぷんで全く理解できず、

私はここまでアホなのか、とショックを受け

もう一度最初のシリーズから見直し、

などという、

超過密スケジュールの2月でした。



説明が長いんだっつーに。

では、近々、春についてのブログ書きます。

花粉症の方、お大事になさってくださいね。

コロナも続けて気を付けましょう!


                      3月1日



# by amicielo33 | 2021-03-01 21:27  

新年からの大宣伝

この前、令和2年の最後のご挨拶をしたのに、

もうあっと言う間に令和3年の1月30日。

今頃のご挨拶になってすみませんが、

本年もどうぞよろしくお願いいたします。



それにしても、新年早々、天地がひっくり返る、

そんな大ごとの連続で、寝られない日々が続いた。

その関係で、急遽決めなくてはいけない事が

連続して持ち上がり、急に忙しくなり、

昨年はコロナで、動物の ”なまけもの”

のような精神で日々を過ごしていたのに、

1月になって、一挙に忙しくなり

コロナ以前に日常茶飯事に口にしていた、

「ヒエ~、えらいこっちゃ!!!」の言葉を

久しぶりに吐きまくり、冷汗かきながら

ドタバタ&アタフタで過ごしております💦



ところで、今年一発目のブログ、

大宣伝をさせてくださいませ。

HPの「お知らせ」欄にも出しているように、

日本フラメンコ協会で

「歴代新人公演受賞者インタビュー」

というものが行われていて、

それで金曜日より、私のインタビューが

YouTubeにて見れるようになっています。

正直、この動画が流れるのは

めちゃくちゃ恥ずかしいのですが、

フラメンコ協会が私などを選んでくださったので

それにお答えしないと申し訳ないので、

頑張って宣伝させていただいております。

この動画は、フラメンコ協会のHPの

「お知らせ」からも見れる

ようですが、YouTubeからフラメンコ協会に

入って、見るのが本来の流れだそうです。

一応、こちらにURLを載せます。

https://youtu.be/OS9Va9K8LmM 



そして、2月13日(土)18:10~20:10 

フラメンコ協会主催で、

私のオンラインレッスンが行われます。

コンパスのセンティード(コンパスの乗り)を学び、

それを口で言いながら、勉強していく内容です。

多くの練習生が、ソロコンパスのリズムを流して

それに必死に入れて練習しているけれど、

それはもちろん大切な練習だけれど、

その全てに、必ずセンティードがあって、

それなしに、足や動きだけをキチッと入れても

フラメンコにならないのです。

ただの体操やダンスになってしまうのです。

なので、コンパスのセンティードという、

目に見えない、でもものすごく重要なエッセンスを

このオンラインレッスンでやろうと思っています。



もちろん靴は履かずに、お家で出来ます。

フラメンコ協会員でなくても受講できますので、

もしよろしければ参加なさってくださいね。

詳細は下のURLからどうぞご覧ください。

https://20210213ami.peatix.com/



と、宣伝してみました。

ひぇ~💦 こういうの、苦手。

色んな事を考えると、エラい緊張してしまう。

でも、今のところ、富山県と滋賀県からの2人が

申し込んでくれると連絡がきたので、

嬉し涙を流しております145.png



実は、インタビューを受けた後に事務局の方が

動画編集をしてくださり、それを確認のために見た時、

私のインタビューでの、言葉の多さ、

ず~~~~っと止まることなく話す私、

とにかく "本当によく喋るヤツ" と、

自分で自分にショックを受け、

本気で自己嫌悪に陥り、

何日間か、どよ~~んとしてました。

他のアーティストの方々のインタビューは、

言葉少なく、そして簡潔に話していらして

実に聞きやすい!

自分がここまで喋り倒す女とまでは

思っていなかったので、かなりショックでした143.png


ちょっとは言葉を慎もう。。。

1月に得た、自分への教訓でした。

もうちょっと静かにしますので、

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


                   1月30日


# by amicielo33 | 2021-01-30 18:20  

読んでくださりありがとうございました

毎回、ヘンテコリン+奇異なブログになり、

書き終えてから、

あ~~、修正した方がいいのかなぁ、、、

など考えつつも、

本音をそのまんま書いたから

ま、いいっか、

と、なり、そのまま投稿。

そんなブログを読んでくださった皆様、

心からお礼申し上げます。

読んでくださってありがとうございました。



今年一年、多くの方々が

同じに感じられたと想像しますが、

コロナで仕事に多大な影響が出て

私にはとっても辛いし、暗い一年でした。

でも、生徒たちからは温かい応援と

何よりも生徒たちの "やる気" が、

私を強く押してくれて

なんとか今年いっぱい頑張れました。



しかし、状況としてはコロナは相変わらず、

というか、今日は東京は1300人超えとのことで

たった今、エスペランサの田代さんから、

「新春ライブの初日から11日までは

コロナ感染を考え、延期とします」

とのこと。

今年の私の出演は、11日、16日、22日

の3日間なので、初日は延期決定。

11日分は「春祭りライブ」としてやるそうです。

16日と22日もどうなることやら。。。

また、心が落ちてしまった。。。



いやいや、落ちてる場合じゃない、

今日で2020年が終わるぞ。

辛い一年だったけれど、

常に、温かく私を迎えてくれた

私の amicielo スタジオにも

心からの感謝の気持ちを表したくて

3日前から、掃除ババア鬼と化して

隅から隅まで徹底大掃除をしている。

おっそろしいゴミと埃の量が出た。



さぁ、このブログ書き終えて、

残りの大掃除をして、

スタジオのカレンダー全部,掛け替えて、

お家に帰って、年越し蕎麦の準備して

大晦日を静かに楽しもうと思う。


来年は、コロナが早く落ち着いて

日本中の人々が、元気で、幸せで、

生き生きと仕事が出来ますように。

本当に今年もありがとうございました。

また来年も、ヘンテコリンなブログですが

よろしくお願いいたします。

来年は、気持ちが前向きになって、

書ける回数が増えたら嬉しいな。

自分に ”喝!” 入れます。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。


              12月31日


# by amicielo33 | 2020-12-31 18:09  

今ある私の理由・・・

5日前、クラスが終わってから

競歩+ランニングをしに出たら

外はすでに暗くなっていて、

善福寺緑地帯の公園も外灯のないところは

かなり真っ暗け。

なので、元気に育っている木々の根っこの

凹凸が全然見えず、

思いっきり、つまづいて、

思いきっり、前につんのめって、

思いきっり、転んだ瞬間、手で体を支えた。

痛ってぇぇぇえ!と思い、すぐに立ち上がり、

パンパンと手に付いた泥を落とした。

両手のひらだけが、火が付いたように熱い。

転んだから帰ろうかな、と一瞬思ったけど、

いやいや、せっかくのトレーニング中だから

痛いけど続行しちゃえと思い、

また走り出した。

手のひらだけが、激しくビリビリ痛い。

走りながら外灯の明かりで見ると、

オヨ!血がしたたり落ちてるじゃん!

と、思ったけど、

走ってたらそのうちに乾いて血が止まる、

と思い、走り続けながらずっと考えた。

「普通なら、そのまま急いで家に戻って、

傷の手当を直ぐにするんだろうな。

私って、なんでこうなんだろう」と。

野蛮だし、痛いのに痛いと受け入れない。

自分の身に何か起きても、

『ガマンすればいい』 と

そう思ってしまうのだ。



外灯のたびに手のひらをチラリと見ると、

手のひらが血で真っ赤。

でも転んでから1時間走り続けたので

さすがに乾いて血が止まっている。

スタジオに戻り、乾いた血を石鹸で

丹念に洗おうと、袖をまくろうとすると、

痛ッタタタタ! 

左肘が激痛で動かせない。

あ~あ、やっちゃった。。。


ガマンしてればそのうち治ると思って

二日間、肘の激痛に耐えたけど、

さすがにマズいんじゃないかと思い、

整形外科に行ってきた。

骨には異常ないけど、靭帯損傷。

これも時間がたてば治るし、

腕を失われた方々を思えば、私の怪我など軽い。

不便な片腕だけで、日常の動作をこなすのには、

色々な知恵を絞って動かなくてはいけない。

とても良い勉強になった。



と、前置きがメチャ長くなってしまった。

でも、「ガマンすればいい」という

私の昔からの精神が、

今回のテーマにも被っているので、

なので、前置きで書かせてもらったのだ。

まぁなんとか、読んでくださいマシ。



アメリカのドラマなどを見ていると、

彼らの人生の、本当の幸せって、

愛するパートナーと巡り合い、

結婚して子供を持ち、

強く愛し合える家族を築くことが、

人としての一番の幸せ、という根本的な思想があり、

「恋人を持たない独身者」

「結婚しない独り者」という身の人たちは、

愛する相手に巡り合えない

と~っても可哀想な人たちで、

でも、いつの日か必ず、いや絶対に

素晴らしいパートナーと巡り合えるから、

その日が来るのを信じて頑張って生きて!

と、温かく、そして強く励まして

次のエピソードに続く、、、

みたいな雰囲気モリモリに、必ずなる。

そういうシーンを何度も何度も見ていて、

”パートナーがいない人は不幸せなのかなぁ?”

と、いつも思ってしまう。



きっと、私の周りの人たちは、

● 私にパートナーがいないこと

● 独り身でいること

● 子供がいないこと

それらの理由は、

「踊り手一筋で生きていく事を選んだから」

「自由に生きたいから」

などと、思われていると思う。

どう想像されても、どう思われてもいいけれど、

私にはハッキリとした理由があるのだ。

パートナーも、家族も必要としない、という

そんな今の生き方に繋がった、過去の出来事。

誰にも、話したことはないけれど、

私が経験してきた人生は、

”昔の日本の社会” が反映されていて

面白いというか、興味深いかなとも思うし、

ブログで記録のように残すのもいいかと思い

書くことにする。

(※ 読んで不快になる内容もあると思います)



ということで、いきなりだけど、

私が一番影響を受けた時代というのは、

正に思春期~青春時代の、

女の子たちが、男性に対してとても敏感になって、

素敵な男性に憧れ、そして恋心が芽生える、、、

そんな幸せの思い出に満ち溢れる時代。

で、あるはずなんだけど、

私の場合は、

『ひたすら痴漢から逃れる』月日を過ごしたのだった。

今の時代は、セクハラだのなんだのと、

即座に問題に出来る時代であるけれど、

昔は今と真逆で、とにかく

「我慢して逃げる」のが当たり前だったのだ。

痴漢に対しても、今で言う”セクハラ”に対しても、

女性の立場は実に弱く、男性社会中心の色が

非常に強かったので、こういう問題に対して

誰も声にしなかったし、出来なかった。

ましてや、10代だった私など、何も言えなかった。



中学一年から電車とバスで通っていたため、

痴漢被害には、ウソでも大げさでもなく、

週に3~4回は必ず遭っていた。

中学から短大、短大過ぎても続いたので、

被害総数は軽く数えても何百回もある。

まずは制服を着ての中高時代。

私は健康体で、パツパツに肉付きがよかった。

それが男たちにはたまらない標的だったのだろう。

最初の経験は、13歳頃から始まった。

ご近所に住む、某・有名会社のお偉い方が

通勤で時々バスに乗られることがあり、

バス停で時々、通学の私と一緒になる。

そのたびに、私の横に立ち、

「お〇〇コ、舐めたい」と私の耳元で言うのだ。

まだ、卑猥な世界を知らなかった私は、

偉い人なのに何言ってんだろう?と思い、

とにかく気持ち悪いので、

バス停で会わないように時間をずらした。

これが、最低な世界を知るスタートだった。



電車に乗ると、毎回、私の後ろに男性がピタリと

身を寄せてきて、男性の手が私の制服のスカートを

少しずつたぐり上げていく。

太腿あたりでスローモーションのように動く

男の手の感触、そして耳元で聞こえる

ハァハァ、、、という吐息、

固く大きくなっている男の股間を

ぐーっと押し付け続けてくる。

私は吐き気と恐怖とおぞましさで、

半泣きになりながら全力で身をよじって逃げる。

けれど、とにかく電車が超満員なので

身動きができないし、

痴漢行為をしている男の顔すら確認できない。

日々、乗車時間を変え、車両を変えても、

スカートの中に入ってくる男性たちの手から、

身をよじって抵抗し続けても、

容赦なく触られ続けられる日々。

通学でない、私服で電車に乗る時でも狙われ、

時には、前からも後ろからも同時に、

さらに、左右前後4人に同時に

グループ痴漢に何回か襲われたこともある。



空いた電車で座っていると、

私の真正面の座席に男性が座り、

男性は新聞を膝の上で広げる。

その新聞の中では、ズボンのチャックが開き、

男性のイチモツがいきり立っていて、

それを私にだけ見えるようにしているのだ。

新聞があるので周りの人は一切気が付かない。

こういう男性たちは、目を赤く充血させたまま

まばたきを一切せずに、私をじーっと見つめて

私が赤面したり、慌てたりする姿を

待ち望んでいるのだ。

赤面よりも、思わず吐き気に襲われる。

このパターンも何回も遭った。


冬などは、前を開けたコートのポケットに

両手を入れて、電車で座っている私の

真正面に立つ。

これは、男性の興奮したイチモツを見せるため。

コートが壁のようになっているので、

私以外は、誰も気が付かない。

こういう場合も、じーっと上から私を見つめ、

そのイチモツにどう反応するかを

楽しんでいるのだ。

このケースも5回はある。

全て、同じ場所、同じ時間帯、同じ人物なら

警察にも言えるのだけど、

いつ、どこで、遭うか、全て違うので

どうにもできない。



通学で家を出ると、

バス停まで歩いている私の横に

知らない男の車がサッと横付けして、

「おい!早く乗れ!」と、ストーカーが。

電車から、降りたら降りたで、

カメラをスカートの中に突っ込んできて

写真を撮る男にも遭い、

別のパターンでは、体当たりでぶつかってきて、

その瞬間に胸を触ってきたり、

スカートに手を突っ込んできたりする男もいる。

一度は、渋谷駅で待ち伏せされていて、

凄い勢いで接近してきて、

顔と顔5センチのギリギリの距離で、

「待ってた。殺したい」と言われた。

さすがにその時は、学校に伝え、

何日間かは、警察がパトロールしてくれた。

これらは全て、大勢の人が行き来する場所。

でも、誰一人、気が付かないし、

もし見ても、見て見ぬふりで素通りされる。



ほぼ、365日、痴漢行為から逃げ続け、

やっと高校を卒業し、制服生活を終えて

私服で短大に通うようになると、

今までのパターンに加えて、

セクハラにも数多く遭った。

身体を触ってくる+嫌らしい言葉を耳元で囁く、

などは普通に行われ、ある仕事場では、

仕事が終わったら事務所で待ってなさいと上司が言う。

新しい仕事の説明があるとのこと。

イヤな予感がしていたが、やはり的中。

誰もいない事務所で、ビデオを何本も取り出し、

ボカシなし、全出しのエロビデオを

僕と一緒に見なさい、という。

「ここにもどーしよーもないアホがいる」と思った。



当時、扁桃腺が肥大して緊急手術。

入院を10日ほどして退院するときに、

担当医が私に話があるとのこと。

手術してくれた先生なので、何だろうと思い

看護婦も誰もいない病院の一室で会うと、

「僕をこれから、”先生”と呼ばないで」と。

この言葉にゾッとして、

尊敬していた医者の権威が私の中で崩れ落ちた。

また当時、クラシックギターが好きで

Y音楽教室に通って個人レッスンを受けていると、

熱心な先生が、足を組んでギターを弾いている

私の太腿に手を当ててきて、

その手で私の腿をさすりながらリズムを取る。

「ここでもか。。。」と心臓が冷たくなり、

もちろん、恐怖で音楽教室に通えなくなった。



夏、自宅でお風呂に入っていて、

暑いので、少しだけ窓を開けて身体を洗っていた。

突然、何ともいえないイヤな空気を感じたので

ふと立ち上がり、10㎝ほど開けていた窓から

外をのぞくと、男の顔が生首のように

窓にはりついて、こちらを凝視している。

私と男の顔の距離は5㎝。

目と目が合った瞬間、

男性はダッシュで逃げたけれど、

そういう時って、キャーだの、一切声が出ず、

洗い場から脱衣所に移動した際、

鏡に私の顔が映り、

おでこから、まるで漫画のように血の気が

引いていくのを生まれて初めて見た。


1人で映画館に行けば、

横に座った男が、膝に乗せたコートを

私の座席ギリギリまで置き、

映画が始まると同時に、コートから手を伸ばして

私の太腿を触ってくる。

新幹線の中でも、横に座った男性がコートを

膝の上にかけて自分の手を隠し、

映画館と同じパターンで私の太腿を触ってくる。

痴漢行為じゃないけど一番怖い目に遭ったのは、

夜道で空気銃で撃たれたこと。



まだまだ、挙げれば数限りなく書ける。

とにかく、中学~高校~短大~その後も続く

男性の卑猥な行為に襲われ続け、

どれだけの恐怖とおぞましさを味わったことか。

そして同時に、自分の運命をも呪った。

私は元来、可愛くふるまう、とか、

色気をアピールするとかが性格的に嫌いで、

どちらかというと、かなり男性的。

さらに痴漢に遭わないように、

どこでも極力、存在感を消し、身を潜め、

歩くときは必ず、わき目もふらずに、

かなりの速足で歩くのが習慣だった。

そんな私が、なぜこんな目に???

一人の女の子として普通の日常を過ごしたいのに、

なぜこんな恐ろしくて、吐くほど嫌な思いを

日々、私はしなくてはいけない運命にあるのか。

どう考えても理不尽極まりないので、

きっと前世で、何か悪い事があり、

それが現生の私が何らかの理由で、

罰を受けなくてはいけない運命なんだろうと、

無理にでも思うようにしていた。

それでも、1つだけ救いだったのは、

犯されるような暴行(撃たれたけど)は

受けなかったこと。



そして、私の中で、

一つだけ頑なに守ったことは、

こうした被害と恐怖を、

親にも、誰にも決して言わなかったこと。

親にもし言ったら、どれだけ心配するだろうと、

想像するだけで身の縮む思いがしたから。

そして、人に相談しても、中には

私が痴漢に遭っている自慢話を

していると、取る人もいるし、

色んなパターンの痴漢行為を私が話すので、

聴く側は、”へぇー!ウソみたいな話!” 

とすごく面白がって聞いてくれて、

私の心情までは理解してくれない。

もし私が痴漢に対して、時に勇気を振り絞って、

「やめてください!」と怒ったところで、

その時代、そんなことで誰も助けてくれないし、

痴漢行為をやめるような奴はいない。

そういう時代だったのだ。

だから、

『ガマンすればいい』

この考えで、ずっと過ごし、

これが私の中で、習慣化された。



そして痴漢に遭い始めて最初の4~5年は

恐怖と気持ち悪さとの闘いだったけれど、

そのうちに、

「男たちって、表では "立派な社会人" を演じ、

真面目なイメージの仮面を被っているけれど、

裏では、男の本能だけをむき出して、

女の体と、SEXしか頭になくて、

最低に卑劣で、最低に下品で、

最高にバカ野郎なやつども」

と思うようになり、

痴漢、セクハラする男たちに遭うたびに、

恐怖も、怒りも、全て通り越して、

氷のように冷めた冷静沈着な心で、

最強度の軽蔑の眼差しを送るようになっていった。

なので当然、男性不信にもなっていた。

そして痴漢行為を通して、

男の行動、目の動き、に対する私の観察力は、

長年に渡って鍛えられ、身に付いたので、

どんな男性でも、私は瞬時に

何を考えているか、何が目的かが、

手に取るように見えていたので、

だからいつも、多くの男性にゾッとしていた。



それでも、そういう被害に遭い続けたからこそ、

私の厳しいジャッジをクリアして、

男性として尊敬+信頼できる人には、

心から惚れ込んだ。

惚れて惚れられ、恋に恋して、

素晴らしい恋愛もたくさんして、

離婚したけど結婚もした。

男性の良き仕事仲間や友人たちにも恵まれている。

しかし、私の根底には今でも常に、

男性に対する非常に厳しいジャッジ眼があり、

痴漢被害を受け続けた時に味わった、あの恐怖と

凍るほどゾッとする嫌悪感は、今もしっかりと

細胞に焼き付けられている。



だから、そんな細胞を持った私、

もう残りも少ない私の人生、

あえて、新しいパートナーと知り合い、

最初はどんなに愛し合っても、

いづれ、相手の行動にイラっとしたり、

色んな事をガマンしてまでも、

一緒に生活などしたいとも思わない。

そして、良きパートナーでいたとしても、

常に男の根底にある、

"若き女性に対する男の欲望” を私は知っている。

だから、嫌だ。

そして、共に苦楽を積み重ねてきた結婚生活の

長い夫婦なら、相手が高齢で介護状態になっても、

きっと最後まで愛情を持って、愛する夫の

オムツの取り換えのお世話をするのだろう。

しかし、そんな結婚生活の歴史がないペアで、

老いたパートナーがダウンした時に、

若き日に、電車の中で見せられた、

いきりたったイチモツを思い浮かべながら、

パートナーの下半身の世話などしたくない。

逆に、私がもし寝たきりになったら?

相手は逃げ出すだろうな。

「ガマンすればいい」

もうこの年齢になったら、

”男性に対して” のガマンだけは、

絶対にしたくない。



今回はすごく長くなったけど、

私の歴史の一部を書くには、必要な長さでした。

『ガマンしてればいい』

実は、まだあるんです。

また近々、書こうと思います。

長々と読んでくださり、ありがとうございました。


                  11月27日



# by amicielo33 | 2020-11-27 16:34