岡田昌已先生の公演

地獄のような忙しさの4月が過ぎ

もう5月になっちゃった。。。

4月は、忙しくて短く感じたんじゃなくて

忙し過ぎて、そして精神的に本当に大変過ぎて

ものすごく長~~い4月に感じられた。




4月25日・26日と開催された、恩師である岡田昌已先生のリサイタル。

このリサイタルの1週間後に、生徒発表会が控えているので、

昌已先生の舞台準備と、生徒発表会の準備が重なってみんなに迷惑をかけないように

練習日日程と、時間と、内容の進行を、このアホな頭で緻密に計算した。

なので、発表会についての進行は、なかなか上手く進んだのだけど、

マサミ先生の舞台準備は、週末はもちろん、クラスが終わってからもダッシュで駆けつけ、

毎日毎日、帰りが深夜になることが続いた。



それにしても、マサミ先生の、想像をはるかに超える あのパワーは何なんだ?

失礼だけど、あの年齢なのに、その辺の20代~30代の男たちより遥かに勝る、

恐るべき情熱とパワー。

まるで噴火直前の火山のマグマのようで、練習中、マサミという人間でなく、

怪獣マサミが火を噴いている姿にしか見えなかった。 
  ↑
 先生がこれ読んだら、怒ってホントに火噴くぞ

スタジオには、スペインからの男性舞踊手からミュージシャン達、

そして、あのエスペランサ・フェルナンデスも加わり、スペインからの団体様一同で

ゴッチャゴチャにスタジオが埋まってしまう。



みんな礼儀正しい紳士淑女の集まりだけど、

それでも自分の演じるものには熱が加わり、

自己主張が次々と始まる。

が、、その瞬間には、怪獣マサミが、ガオオオーーーッと炎を噴き、

さらに、マサミ先生の、スペイン人ですらも負ける、機関銃のような言葉の数で、

彼らをいっきょに黙らせる。  

シーン、、、 スペイン人達の沈黙。 

恐るべし、、、、マサミ。



マサミ先生は、昨年、膝の大手術をした。

このお年でのこんな大手術は、普通なら、数年かけてようやく歩けるようになるくらいで

膝に負担のかかる動きや、ましてや激しい運動やダンスなど、まさに御法度。

なので、膝に大負担をかけるサパテアードもやるフラメンコなんて、「ありえない」 のだ。

しかし、怪獣マサミは、やはり怪獣なのだ。

膝が痛くてたまらない、と言いながらも、

サパテアードもガンガンやるし、バンバン動くし、

酷使している分、膝に筋肉が付いてきて、日々身体の動きとキレがよくなっていったのだ。

あそこまでマサミを突き動かすものは、いったい何なんだろう。。。

スペイン舞踊に対する情熱?

自分に対する挑戦?そしてプライド?

本当に、本当に、本当に、ひたすら 脱帽 としか言いようがない。



このように書いていると、私は一歩引いて、冷静にスタジオでの状況を見ていたり

楽しんいたりしたように感じられるかもしれないけど、

いえいえいえいえ、

と~~~でもございません。
精神的にまいってしまうほど、ホント~~~にホント~~~に 大変でした。008.gif007.gif

出番はそれほどないのに、

怪獣マサミに絶えず激しい炎を噴かれ、

なんだろう、、、あの例えようのない、精神的な負担。

思い出しただけで、極度の疲労がドーッと出るので書くのはや~めとこっと。




でも結果としては、本当に素晴らしい舞台となり、

お客さんほぼ全員が興奮冷めやらぬ状態だったほど。

毎回、スペイン人達と舞台を一緒させてもらう度に痛感すること。

それは、やっぱりフラメンコはスペインのものであり、

どんなに外人が必死に頑張りまくったところで、決して、彼らのようには出来ない、ということ。

やっぱり、スペイン人はすごいや。

それも、今回のマサミ先生の舞台に、ハイレベルのスペインからのアーティスト達が

総出演して、そして彼らは全力を出して演じたので、

そりゃあもう すごい舞台になりまっせ。




でもでも! この舞台で一番スゴイことって、

こういう一流の凄いスペイン人達の総監督として、マサミは彼らをまとめ上げ、

台本から作り上げ、その内容にふさわしい人選をするために

何度もスペインに足を運んで、マサミの目と耳でアーティスト達を選び、交渉し、

エスペランサ・フェルナンデスも、本当ならこういう舞踊公演の形で来日するなんて

あり得ない事なんだけど、

マサミが、何ヵ月も前から、毎日毎日エスペランサに交渉して契約に至ったのだ。

「こんな情熱的に交渉する日本人は初めて!」 と言って、彼女がOKを出したのだ。

なんでマサミはこんなに凄いパワーがあるんだろう。




病気になりそうなほど大変だった日々だったけど、

マサミの生き様を見せつけられ、

一流のスペイン人達と一緒に演じる事が出来、

たくさんのフラメンコの栄養を吸収する事が出来た。

怪獣マサミに心から感謝。

あ、失礼!
恩師・岡田昌已先生 本当にありがとうございました!040.gif

それにしても、ホント、先生、疲れましたヨ~~~!!!




次に出演させてもらえる面白い舞台は (HP担当の人がGWでいなくて更新出来ない!)

8月4日(木)~7日(日) 草月ホールにて

上田遥さん振付けの 「カルメン ~ドン・ホセの告白!~」 

というのに出演しま~す。 上田遥さんの振り付の舞台は本当に面白いですよ!

カルメン役に、バイオリニストの川井郁子さん

ホセ役に、東山義久さんが語り演じます。

東山義久さんがリーダーである、DIAMOND DOGS というグループの

メンバーみなさんも出演。

彼らは超人気なので、チケットが売り切れてしまうことがあるそうです。

私のHP担当の人が戻ってきたら、すぐに詳細を載せますね。




でもその前に、4日後に迫る生徒発表会が無事に大成功しますように!

生徒達、ホントに素晴らしく頑張って練習して、メキメキと上達してます。

★発表会のチケットは、完売してしまい、当日券は出せません  すみません!

生徒達、みんなガンバレ~~!!!

                                    5月1日


いつもゴチャゴチャしてるスタジオ
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暑くてもダウンをずっと着てたエスペランサ
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踊り手ダビ・ペレスと音楽担当のオスカル
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これすごくない?舞台の上にいながら私のスマホで撮ったゾ!マサミとエスペランサ
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毎日、毎日、クラスの後に
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# by amicielo33 | 2016-05-01 21:14  

  前回の続編? セビージャとの出会い

もう、3月に入って2週間も経っちゃった。

時間が経つのが早過ぎるんだっつーに。

5月にやる生徒の発表会の準備も着々と始まり、

それに重ねて、岡田昌已先生のリサイタルの練習も重なり、

かなり、頭がグチャグチャな日々が続いている。



で、前回のスペイン生活のスタートの苦労話が、

読んでくださった方々にわりと受けたので、

こうなりゃ調子に乗って続編を書くべ!と思ったけど、

その続編の前に、私のその後の流れをちょっと書きたいと思う。




28年前にマドリッドに渡り、フラメンコを死ぬほど勉強し始めた6ヵ月目の時に、

セビージャで、ビエナル・デ・アルテ・フラメンコという、

昔から続いている大々的なフラメンコのフェスティバルが行われ、

そのビエナルの中で、「日本人の日」というのを、

ぺパ・モンテスという、その当時の有名な踊り手が企画して、

ぺパによるオーディションがセビージャで行われる、というニュースを耳にした。

フラメンコを勉強しにスペインに留学したからには、

ぜひこのチャンスを捕まえたいと思ったし、

‶いつかは、フラメンコが盛んなセビージャの土地も訪れねばなぁ” 

くらいの考えで (その当時、私はマドリッドの勉強が全てだと思って満足+充実していた)

そのオーディションを受けに1週間の予定で、セビージャの地を初めて踏んだのだ。

その当時は、もちろんAVE(スペインの新幹線)なんていう画期的な移動手段はないから、

オンボロの汽車に揺られて、8時間以上かけて行った。



そういえば、、、

途中のなんかわからん駅で汽車を乗り換えなくちゃいけなくて、

でも駅のアナウンスなんてもちろんないし、

「この汽車はセビージャに行きますか?」と聞いたら、

10人が10人、全く違う事を、自信を持っていうので、

こうなりゃ、イチかバチかだ!と運に頼り、目の前の汽車に飛び乗った。



発車して、ホームから出発した時に、一瞬不安がよぎったので、

この汽車は、セビージャ行きかどうか聞いてみたら、

こういう時に限って、車内の乗客たちが同じ意見で、口を揃えて、

「これはセビージャと正反対の方向に行く汽車だよ!」 と大声で叫ぶ。



ゲゲッ!!! えらいこっちゃ!!! 

でも汽車はもう、低速ながらもプラットホームから離れている。

えーっ!エーッ!どうすりゃいいの!!! と、私はパニくる!

そしたら、乗客全員が、

「飛び降りろ!!!今なら まだ間に合う!!!」 と、抜かすではないか。

えーーー!!!だって、汽車、走ってるじゃん!!!



すると、一人のオヤジが、私の荷物をガッと掴んで、

私を背中からグイグイ押して、走っている汽車の扉まで連れて行く。

さらに、何十メートルか先の方で線路の工事をしているオヤジ達に、

「今から、このChinita(チニータ)←中国の女の子 が飛び降りるから、

みんなで受け止めろ!」 と大声で叫ぶ。

そして乗客のオヤジは、先に私の荷物を汽車から投げ、

そして3、4人の工事のオヤジ達が工具を捨てて、汽車に走り寄ってきて、

Ven!!! Salta!!! 来い!こっちに飛べ!と、必死に手招きする。

乗客のオヤジは、ヨッシャ!行くぞ!と、私を扉から投げ落とした。

ギャッ!!!

そしたら、線路工事のおやじたちが、汽車から放り出された私を全力で受け止める!



ナ~イスキャッチ!!!

なんて、言ってる場合じゃない。 怖かったぁ~。

見事に私を受け止めてくれた工事のオヤジ達に100回以上のグラシアスを言い、

生まれて初めて味わった恐怖と興奮でヨロヨロしながらホームまで線路伝いに歩いて戻った。

昔は、このように、汽車に乗るのも本当に怖かった。

駅のアナウンス一切なし。

人々は、100%違ってても、全て知っているかのように自信を持って説明してくれる。

定刻になんて絶対に絶対に、汽車は出ないし来ない。

行先を書いた看板みたいなのも、間違ったままにしてあるから、わかりゃしない。

だから、その後、1992年のセビージャ万博のためにマドリッドとセビージャを結ぶ

AVEの新幹線が開通した時は、まさに「奇跡の乗り物」に思えた。



えらく、話が脱線してしもうた。

で、こうして命がけでようやくセビージャに着いた時、

カリカリに乾燥しているマドリッドに比べて、

なんとまぁ湿気のある土地だろう、というのが第一印象だった。

そして、ビエナル出演のオーディションを受けた後に、←結果、受かった

せっかくだから、セビージャのフラメンコスタジオを

ちょっと見学してみようと思い、

イスラエル・ガルバンのパパ(ホセ・ガルバン)が、やっているスタジオを訪ねてみた。




そこで私は、ハンマーと金づちで頭を思い切りブッ叩かれたほど、

人生最大とも言えるショックを受けたのだ。

この日が、私がフラメンコと本気で向かい合うきっかけとなった、人生初の日となったのだ。

というのは、、、、

スタジオには、5歳くらいから15歳くらいまでのガキンチョばかりが習いに来ている。

(もちろんその中に、ガキのイスラエルも、妹の小さなパストーラもいた)

そしたら、たまたまホセに突然用事が出来たとのことで、30分くらいスタジオから消え失せた。

ホセがいなくなった途端、ガキンチョ達はスタジオの中で遊び始めた。

男の子が半分以上いるので、ガキの典型的な遊びが始まって当たり前なのに、

なんと、ここのガキンチョ達は、「このパソカッコいいだろ」 てな感じで、

事もあろうに、プレリアのパソとコンパスで、

実に自然に、実に普通に、フラメンコで遊び始めたのだ。

5歳くらいの、ちっちゃいアリンコみたいな子達でさえ、

事もあろうに、3人くらいで向かい合って、キャッキャキャッキャと、

ふざけながら、タンゴのパソをやり合っているのだ。


‶ここまで、こんな小さなガキの遊びとフラメンコが自然体で密着してるんだ”

神様か誰かが、思いっ切り、私の頭をハンマーでブッ叩いた。


その近くで、ガキンチョのお母さんたちも、ホセがいなくなったので、

お母さん同士で盛り上がっている。

お母さんたちは、自分の子供達が、近々ホセの紹介の舞台に出るとの事で、

どんなフラメンコの衣装を作るか(お母さんたちの手作り)盛り上がり、

そして、その舞台で、ホセからいくらお金をもらえて、それを食費にするとかで、

自分の子供を将来フラメンコで稼がせるために、親が付きっきりで見張っている。

日本のように、お稽古事や趣味でなんかフラメンコはやらない。

こんな小さな子供でも、今から 「生きていくため」 の仕事を獲得するためなのだ。



‶生きていくために、ここまでフラメンコと生活が密着しているのか”

もう一度、神様か誰かが、金づちで思い切り私の頭をブッ叩いた。


あまりのショックで、ホテルまでの帰り道も、どうやって帰ったのかも何も覚えていない。

今まで見たこともない、聞いたことも、感じたこともない、

生まれて初めて知った、現地の生のフラメンコ。

子供の時から、生きるための手段として獲得しなくてはいけない、彼らのフラメンコ。

そして音の乗り方も、音の取り方も、踊りの振りの感じも、

ブラソ一つの動きも、足の音一つでさえも、

自分が、今まで信じて必死にやってきたものと、全然違う。

あまりにも違う。。。



いったい私は、マドリッドで何を勉強しているんだろう。。。

死にもの狂いで勉強しているフラメンコって、

技術を磨いているだけの、

フラメンコだと思い込んでいた、表面的なフラメンコの飾りの部分じゃないか、、、

私は、何をフラメンコと思って勉強していたのだろう。。。




今の時代なら、一瞬にしてネットでセビージャのフラメンコも、

どの土地のフラメンコも簡単に見れてしまうけれど、

あの時代の私は、セビージャとマドリッドにフラメンコの違いがあるなんて知りもしなかったので

実際にそれを初めて知った時の、打ちのめされるほどの大ショック。

今でもハッキリと、そのショックを受けた感覚を覚えている。



ここ、アンダルシアのセビージャで、本気で腹をくくってフラメンコの勉強をしないと、

私はスペインでフラメンコを学んだなんて、決して言っちゃいけない!

セビージャに住もう、いや、今から住まなくてはいけない!

身体から火が出たんじゃないかと思う程の、熱い想いが全身を駆けめぐり、

その強い決意で、即座に9ヵ月過ごしたマドリッドの生活に終止符を打ち、

セビージャに移り住み始めたのだ。

ここから、私にとって本格的なフラメンコとの闘いと、

そして、日本では決して味わえない、生活の苦労との闘いが始まったのだ。



フゥ~、042.gifここまで書いて、疲れた。

なんだか、自伝みたいになってきたゾ。

でも、いいよね、記憶の底に閉まってあった、

私の人生で最も、濃くて、辛くて、深くて、(ほんのちょっぴり幸せな時もあった)

フラメンコとの闘いの日々。

私の人生の整理として、こういう記録を書くのも、ま、いいか。

お時間のある方は、チラリと読んでやってください。


また、続編書きます。


                                3月13日
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# by amicielo33 | 2016-03-13 20:25  

      思い出した昔

今朝やっていた番組で、

「一人旅をしたい」 という言葉が芸能人たちの口から出て、

「一人で外国旅行をちょっとした時でも、

なんか、新しい自分、強くなった自分を感じられる」

という言葉を聞いて、

そうだよなぁ~、一人で見知らぬ外国に旅行したら、

さぞや、喜びと緊張と、そして怖さを味わって、

何かしら、自分に対して強さが生まれるんだろうなぁ~、

私も知らない外国に、旅行してみたいなぁ~」



と思った時に、

「充分に、自分で経験してるじゃん!!!」 

と叫び、

そっか、そうだったよな~~~ っと、何故か、たまらなくしみじみと、

過去の自分を思い出してしまったのだ。




今の時代、前回のブログに書いたように、

片手にスマフォさえ持ってりゃ、

その手の平サイズの機械で、

いつでも、どこでも、

その場で、超簡単に、

それも、ありとあらゆる情報を、瞬時に手に入れる事が出来る。

なんという、便利で贅沢な環境。

ガラケーしか持ってなくても、

家でも、仕事場でも、パソコンで簡単に情報が手に入っちゃう。




でも、私がスペインに留学した、今から28年前は、電話しかなかった。 

ファックスすらもなかった。

(私よりもっともっと昔に渡西した方達は、もっと不便だったと思う)

そして、私の若かりし頃の性格は、

‶もし何かあったらどうしよう” なんぞという、先の事を考えたり心配する事が出来ず、

行かねばならぬ、と思ったら、

とにかく行かねばならない、のみの、他の事はゼロの思考回路で、

スペインへフラメンコ留学に旅立ったのだ。




今の私なら、

スペインに着いたら、まぁホテルは日本から予約するとしても、

スペイン語を全くわからないで、その後の生活は?

と考えただけで、心臓バクバクになり、

冷汗が出て、トイレに飛び込みたくなる。


でも、昔の私なので、

片道の航空券だけを持って ←日本に帰る、ということは全く頭になかった

1週間滞在用のホテルだけ予約してもらって ←旅行会社で頼んだ

この二つだけを準備して、スペインに渡った。

もちろん、両親は心配でたまらなくて、色んな事を私に言いまくっていたのだけど、

完全に私の耳にフタをして、周りの人の心配してくれる言葉も一切耳に入れないようにした。



師匠の岡田昌已先生には、

「マドリッドのアモール・デ・ディオス(有名なフラメンコのスタジオ)は

アントン・マルティンという駅にある」

という事と、

「スタジオに行ったら、

メルチェ・エスメラルダ(あの時代、スペイン第一線の踊り手)のクラスを受けたらいい」

とだけ言われていた。



こうして、何も考えずに、イノシシのようにして日本を飛び出し、

旅行会社で予約を入れたホテルの位置とスタジオの位置関係もよくわからないまま、

夜遅く、マドリッドのバラハス空港に着いて、紙に書いたホテルの名前を

タクシーのオヤジに見せて、中心からかなり離れたホテルまで行った。

部屋に着いた夜中、喜びの全くない恐怖に包まれて、ほとんど寝られなかった。

ホテルは1週間分の予約を入れてあったので、

その1週間が全ての勝負の時、と決意して、

次の日から、本当に暗中模索状態でスタートした。



スペイン語がいっさいわからないので、聞くにも聞けず

とにかく、色んな地下鉄に乗り継ぎまわり、

ようやく、アントン・マルティン駅に着いた。

実際、駅から目と鼻の先にあるスタジオだけど、

生まれて初めて見る外国の、全てが石で出来ていて、犬のウンコまみれの路地。

スタジオがどこにあるかなどという、住所も電話も位置も、予備知識ゼロで、

手に持っている地図にフラメンコのスタジオなんて載ってるわけじゃなく、

道を聞くにも言葉もわからないし、人も歩いていないので、

結局、道に迷いまくり、泣きそうになりながら、

あの治安の悪い地区を歩き回って、ようやく、外からは全くわからない(看板などない)

アモール・デ・ディオスに奇跡的にたどり着いた。


門番の男性に ジェスチャーで、中に入っていいか聞いて、

やっとこさ、夢にまで見たスタジオの中に入ると、

夢とは真逆の、薄暗くて、汚くて、寒くて、穴ぐらかつ、恐ろしいほどの迷路のスタジオ。

嬉しさも、感動も、一切なく、

スタジオの仕組みも、システムも、どうなってんのか全くわからない。



それでも、「自習は毎日しなくてはいけない」 という、かたくなな思いはそこでも発揮し、

どうやってスタジオの門番の人に頼んだのか覚えていないのだけど、

とにかく、自習するために、空いているスタジオをジェスチャーで頼んで

毎日2時間ずつ、1週間分の予約だけはした。

自習してスタジオに通えば、

クラスがどのように行われているのかなどわかるので、

クラスを少しずつ取っていけばいいと思った。



次の日から、朝早くから自習でスタジオに入ったものの、

2月のクソ寒い時期で、あの古くてボロいスタジオには暖房なんてものは一切ないので、

寒くて、暗くて、みじめで、不安で不安でたまらなく、

でも、話す相手も誰もいなくて、

自習スタジオの椅子に座ったまま、涙がボロボロ出て、

そこで初めて、

「これからいったい私はどうなるんだろう。。。」、という

先が全く見えない、恐怖と不安で泣くしかなかったのを、今でも、鮮明に覚えている。




そして、2日、3日と日が過ぎ、

クラスは、全てのクラスを見学させてもらい、

3日目には、スタジオのシステムがわかってきたところで、クラスを2つくらい取り、

そこ辺りから、恐ろしく不安になり始めたのは、

1週間のホテルの滞在が終われば、

いったい私は、どこでどう生活をすればいいのか、という問題だった。



今考えれば、日本にいた時に、下宿先などの準備をしておけばよかったのに、

それすらも思い付かず、どうにかなるという、恐ろしい猪突猛進の考えだけしかなかった

超アホバカ思考なので、

そこで初めて、生活の場をどうしたらいいのか、途方にくれたのだ。

地球の歩き方の本も、ネットも、予備知識、情報は全く持っていなかったけど、

マドリッドにある、日本の銀行に行けば、日本人がいるはずだと思い、

いきなり、中心地の大きな三菱銀行に行き、

そこで、

「フラメンコの留学で来たのですが、スペイン語がわからず、

明後日からホテルの予約も終わり、生活する場所がないので、

本当に図々しくて、本当に厚かましくて申し訳ないのですが、

どうやったら、部屋をお借りできるのか

教えていただけますでしょうか?」 と、

最敬礼をしてお願いしたのだ。



きっと、私の顔は、切羽詰まった、必死の形相だったのだろう。

長年マドリッド在住の女性の方が直ちに、応対してくださり、

彼女の知り合いの、スペイン人のピソ(マンションみたいなもの)に連れて行ってくださり、

あっという間に、一部屋お借りすることが決まった。

その下宿先となるピソは、マドリッドの中心地の超高級地区にある、

昔からの典型的なマドリッド式の古い立派なピソで、

住んでいる未亡人の老婦人も、家系の良さそうな、エレガントな方だった。

だけど、その年代のご老人達は、昔はお金持ちだったとしても、

スペイン内戦の、経済的にも大変厳しい時代を生きていらしたから、

想像を絶するほどの、ケチだった。



借りていた部屋の、机の電気と天井の電気を付けて

椅子に座って、日本の家族に手紙を書いていたら、

そのご老人は、すぐに部屋に顔を出して、

ニコニコしながら 「勉強しているの?」 とか何とか私に話しかけながら、

片手はスッと、壁にあるスイッチに手が伸び、

天井の電気を消される。



シャワーを5分浴びていると、

「シャワーの時間が長いわね」、と言う。

台所のガスコンロを5分使うと、

「ガスをかなり長く使うのね」、と言う。


だから、シャワーは、頭を洗うのも含めて、極力3分弱、

食事も、冷凍野菜でご飯つぶがほんのちょっと入っている

日本円で100円くらいのものを、3分弱で炒めて、毎日それを食べていた。

部屋でも、机の電気だけでストーブもなかったから、

寒くてたまらなかったけど、

それでも、スペインでの生活が正式に始まり、

自炊もさせてもらえて、

「さぁ、これから本当に自分のスタートの時が来た!」 と、

この頃になって、ようやく、ほのかな喜びが湧いてきた。



と、長々と書いたけど、

今朝、この事を思い出して、

たまらない懐かしさと、(また次の機会に書くけど)スペインの生活の苦労を数々と思い出して、

自分がアホだった故に経験した山ほどの事と

あの時代だったから体験できた様々な事、があったからこそ、

自分が形成され、そして強くなったんだ、

と、しみじみと感じてしまったのだ。



それで、心の中で、思い出だけにしておくのもいいけど、

文字にして残しておきたいなと思って、ブログに書いてしまいました。



本当に、今の時代は、何をするにも便利だ。

しかし、なかなか情報が入らなくて、一つの事をするのにも

四苦八苦して探し求めて、やっと手に入れた時の喜びを知る、

そんな時代を過ごしてきた体験を通して得たものは、

今の自分の、最高の宝だと思う。

そして、その苦労が、今でも、自分を支える大きな柱となっているのを感じ、

『不便な時代を過ごした大切な経験』 に、心からの感謝の気持ちが強くわいてくる。



そういえば、電気や、電話や、、、、

あ~~~、セビージャでどんだけ苦労したか!

また書きます!


                                    2月19日
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# by amicielo33 | 2016-02-19 18:50  

  最近特に思うこと

今日は母の1回忌の日だった。

早いなぁ~、もうあれから1年が経つなんて。。。

天国から両親が応援してくれていると思って、

今年も頑張るからね!と、お墓で手を合わせて小さくつぶやいた。




ところで、今回書きたかったことなんだけど、

毎日のクラスで、つくづく思う事があるので、それを書こうと思う。

ここ5年前くらいから、特に感じるのだけど、

生徒達の、「観察力の低下」、

これが非常に激しいのだ。



私がフラメンコを目指していたペーペーの練習生の頃、

いつも先生方に言われていた。

「先生の教える動きや音を 『目と耳で盗みなさい』」 と。


これは大工さんや料理人や美術工芸品など、

身体や感覚を使って、一級品を作り上げる世界では、

きっと何百年も前の時代から、

師匠たちは、修行の身である弟子たちに、この言葉を言い続けてきたと思う。

なので弟子たちは、眼を全開にし、耳の穴をかっぽじって、

全神経を集中して、

師匠の一瞬の動きでも、空気の流れでも、

力の抜き具合でも、間合いでも、呼吸でも、どんな音でも、

何か一つでも、何としても、自分の身に付けたい一心で、

「目と耳で盗もう」 と、必死だったはずだ。



私ももちろんそうだった。

自分の目をカメラと化し、必死で自分の眼のシャッターを切りまくった。

そして耳もレコーダーと化し、良い音、悪い音、心地いい音、不愉快な音、

そして、心に届く音、など

人間の足で打つ音に、これだけの様々な音色が出る事に驚きながら、

それを一つでも自分の身に付けたくて、必死に、耳をダンボのようにして

音を盗み、それを自分で再現出来るまで、ひたすら練習をし続けた。



でも、便利な世の中、果てしなく便利になりまくり、

カセットテープからMDになり、それから高音質のレコーダーとなり、

最近では、携帯で録音し、その日に学んだ新しい振付を録画し、

クラスを休んだ仲間達には、それをLINEでポンと送り、

振付けやパソの、表面的なものは、超カンタンに手に入れる事が出来る。

だから、いつでも録音と録画が出来て、

どこにいても、その録音と録画に頼れて、という状態なので、

自らが必死になって観察しよう、というものが、

完全に薄れてきてしまっていると思うのだ。




大自然の中で生きている動物たちが、

厳しい環境の中で生き抜くために

絶えず、視覚と聴覚と嗅覚を研ぎ澄ませていなくてはいけないのに対し、

動物園で何の危険も、何の生活の変化もなく、

一方的に、何でも「与えられる生活」に慣れてしまっている動物たちは、

動物が持って生まれた「五感」が、すっかりと衰えて、

完全な受け身の生活に慣れてしまっている。



そう、人間の世界もこれだけ便利なグッズが世の中にあふれている今、

あまりにも、受け身の生活で成り立ってしまっている。

一方的に、情報が自分の手元に流れ込んでくる生活。

行動はもちろん、恐ろしい事に、思考回路ですらも受け身。

これからも、もっともっと限りなく、便利な世の中になっていくのだろう。

便利なのはいいけれど、

人間だからこそ出来る、新しい発想、発想による大きな変化や展開、

それによって成し遂げられる、大きな夢。

こういう事がどんどんと希薄になっていくのだろうか。。。



書いているうちにスケールがどんどん大きくなっちゃって、

収拾がつかなくなってしもうた。

ま、簡単に言うと、

踊りなどの稽古事は、

この瞬間を取らないと、もう二度と一生、手に入れられないと思う位の気持ちで、

「目と耳で盗む」。 (機械じゃダメなんです!)

そして、

「なぜ、あの瞬間を(先生は)感じた?」

「なぜ、あの動きをこの瞬間に(先生が)思いついた?」

などを、考える!
これをやんなきゃ、ダメなのだ!033.gif



と、私一人で、キーッとなったところで、

すっかりと、この便利な生活が身に沁み込んでいる人々は

一切変わるわけなく、

結局、同じ状況が続くのです。

ジャンジャン。
はい、終わり。015.gif


                                 2月12日

































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# by amicielo33 | 2016-02-12 23:50  

   思いは伝わる!

毎年恒例、カサ・デ・エスペランサの3日間の新春ライブ。

今年も無事に終了いたしました。

立ち見も出るほどの満員御礼になり、嬉しい限り。

新春ライブは、普段、交流があまりない踊り手の人たちと一緒に楽屋で過ごせることが楽しい。

リハの後、メークから出番までの短い時間だけど、

日本のフラメンコのアーティスト達って、みんな明るくて、本当にいい人ばかりで、

すぐに心を開いてくれて、ずっと昔からの友達のような感じで話してくれて、

おまけに飛び交う話が面白いので、とっても楽しい。



で、自分の事だけど、

最終日の新春ライブ。

2部のステージで、私を抜いて、全員がステージに上がり、クワドロ方式で踊った。

そして、最後の出番で、私がまるで女王のように客席から出て、ステージに立った。

こういうのって、私の性格上、すごぉぉぉ~く気が引けて、みんなに申し訳なくてたまらなくなる。

ごめんねぇ~、私だけエラそうに最後に出て。。。と、心で思いながらステージに上がる。



で、何が怖いかって、

ステージの最後を締めるために、女王+大御所 のごとく出て来て、

そして、私の踊りに全員が全力でパルマやハレオで助けて盛り上げてくれる。


ってぇ~ことは、、、

死んでも、ズッコケ踊りをしちゃいけないこと。


だから、雑念にすぐ振り回される私にしては珍しく、

全神経集中を最後まで切らさないようにして、

そして私にとっても今回ラストの踊りだったので、

残っていた力を大爆発させ、

私にしては、ホント~に珍しく、よ~頑張って踊った。



そして、やはり、『カサ・デ・エスペランサの新春ライブ』 を

オーナーの田代淳さんが、温か~くて、大きな気持ちで、出演者みんなの事を思って

あの、エスペランサで、この、恒例の新春ライブを準備してくださるのが、何よりも嬉しい。

田代淳さん、そして一緒に出演してくださったアーティスト達に心から感謝です!
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最終日メンバー 左から川島桂子さん 河内さおりさん 渡部純子さん 私 島崎リノさん



まだ今回のブログ、終わっちゃぁござんせんよ。

そして!!! 

私にとって、本当に、本当に、本当に、うれしい出来事があったので、それもご報告しちゃう!



名前はちゃんと書かないけれど、

フラメンコが大大大好きだった女優のY・Tさんが、

私に習いに来始めてくれたのが、約20年前。

あの当時、私はスペインに住んでいたので、日本のテレビに関しては浦島太郎状態で、

彼女が日本で一番人気の女優さんだとは全然存じ上げなかった。

私は当時、日本に来る度にクルシージョの形式で

色んな貸しスタジオを借りてクラスをやっていた。

彼女は多忙な中、レッスンを受けに、各スタジオに足しげく通ってくれたのだけど、

姿かたちを隠してスタジオに入っても、クラスが終わるころは、

いったい、いつ、誰が、どうやって、情報を得るのかわからないけれど、

彼女のファンたちが、スタジオの出口でズラリと待っていて、

ファンの情報網のスゴさを初めて知った。



とにかく彼女はフラメンコに熱心で、レッスンに通い詰め、

さらに彼女の家の中にもスタジオを作り、

私がやるクルシージョ以外でも、彼女の家のスタジオで個人レッスンをずっとやっていた。

私が住んでいたセビージャにも長期滞在したりして、

特に最初の6年間、本当にミッチリと一緒にレッスンして、フラメンコを共に楽しんだ。



とまぁ、これは昔の彼女との流れを話したのだけど、

何が言いたかったかというと、

彼女は、人として女性として、本当に、本当に、素晴らしくて素敵な人なのだ。

いつも物事に対して、研究熱心で、誠実で、素直で、絶対に自分を飾る事をしない。

そして冷静な目で客観視と判断が出来る人で、

余計な事は一切言わず、

人が本当に困った時に、スッと、自然に救いの手を出してくれる、そんな女性なのだ。

私は彼女に、どれほど助けてもらったか。

仕事に、踊りに、人生に、私が辛くて、苦しみ続けていた時、

私は性格上、自ら自分の苦しみは口に出さないタイプなので、

外から見たら、私が辛い思いをしているのはまず、わからない。


でも、彼女は絶対に私の心を感じていて、絶対に私の心を理解してくれていて、

何も言わずにそっと横に来て、

一番短い言葉をかけてくれる。

その、わずか一言、二言が、苦しい泥沼のどん底でもがいていた私を、

一瞬にして上に引き上げて、救ってくれる、そんな言葉を言ってくれるのだ。

そんな彼女を、私は大大大好きで、そしていつも心から感謝していた。



でも、仕事の関係で、少しずつフラメンコから離れていき、

レッスンに来なくても、私の舞台には必ず足を運んでくれていたけれど、

それも、海外での仕事で段々とフラメンコから足が遠のき、

私も日本に帰国し、忙しくしているうちに、連絡が途切れてしまった。




それから10年が経ち、

で、2年前くらいから、無性に彼女が懐かしく、無性に会いたくなってきた。

でも、昔の電話は使われていないかもしれないし、

事務所を通してだと、事務所の人に断られそうだし、

どうやって彼女に連絡していいのかわからないまま

毎日どんどん彼女に会いたい気持ちが積もり、

そのうちに夢まで見るようになって、何度も彼女が夢に出て来て私と会話している。

目が覚めてから、あ~、夢だったんだ、とガッカリする。

テレビに突然、彼女が登場すると、

「もうフラメンコは完全に飽きちゃってるんだろうなぁ。。。」、と寂しく思い、

それでも、都心のどこかで彼女がロケをしている現場に、偶然にも居合わせたら、

どれだけ私は狂喜乱舞するだろう、、、と、そんな思いを、

特に去年の暮れから膨らませて、

最近の化粧品のコマーシャルで、彼女がテレビに写る度に、

‶〇〇〇〇 ←(彼女の呼び名)、会いたいよ~!” と心の底から願っていた。




そうしたら・・・・ (ここで今回のブログの題にたどりつく!)

思いは伝わったのだ。 

彼女から、先週連絡が来たのだ。 

「アミさぁん、元気?! 今、セビージャに旅行で来てるよ。 

数日後に帰るから、そしたらまたフラメンコ、アミさんに習いたくて連絡したの」 

と、留守電に彼女の声が!



てなことで、彼女はまたフラメンコをやるために、旅行先のセビージャで

しこたまフラメンコの靴を買ってきて、

昨日からレッスンを開始した。

彼女は彼女で、フラメンコを完全にやめたつもりは全くなく、

2年前くらいからフラメンコ復帰を考え、

1年前から私に連絡しようと思いながら、調整できず、、、ということで、

今回に至った、とのこと。



20年前に、あれだけフラメンコをやっていたので、

最後にやめてからの12年くらいの完全ブランクがあろうと、

身体はやはりちゃんと覚えている。

でも、「フラメンコがどれだけ、頭と身体を使うか、

どんだけ自分の頭がボケてるのか思い知ったぁ~」、と彼女はレッスン後に言った。



レッスンの後、2人で話してて、でも12年会っていなかった感覚は全くなく、

あの時代と全く同じ。

私にとって、一生忘れられない彼女と、本当にまた会えた。

「本当に、また会えたね~!」、と彼女も言って、

帰り際、両手を広げて強くハグしてくれた。



「強い想いと願い」 は必ず通じる。

会いに来てくれた彼女に心からの感謝。

そして、父と母の遺影にも手を合わせて、

きっと2人を引き合わせる協力をしてくれたんだろうと、心からの感謝を伝えた。


                                     1月22日
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# by amicielo33 | 2016-01-22 15:05