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   ついに壊れたマイ・パソコン

パソコンのキーボードで、

【カ行・ハ行・パ行・ワ行・ラ行】 が打てないないだけで、

どんだけ不便か、よーーーくわかった。



6年間使ってきた、マイ・パソコンがついにご臨終っぽくなってきた。

システム自体は、普通に動くのだけど、このキーボードだけが、

なぜか答えてくれない。


だから、ネットで普段よく使うものへアクセスしようと思っても、

パスワード自体が打てない。

メールは受信できても、返信の文章が書けない。


それでも、その動いてくれないキーボードを、15秒間くらい押し続けると

やっと答えてくれることは2~3日前までしてくれた。

でももう、昨日の夜からは、まったく動いてくれない。


こういう時に限って、緊急な大事なメールを返信しなくてはいけない事が重なって、

「ちょっと!ちょっとぉぉぉ!動いてヨォォォーー!」と

キーボードに向かって叫び続け、一文字ごとに怒り狂っていたのだけど、

だんだんやけくそになって、このまま書き続けたらどーなるんだろうと、

メールの返信を書いてみた。


「おせあになっておいます。 ウラメンオのAMIです

おんじつ、ご指定のおうざに、たしあにおうりおみいたしました。」



アハハハハハ、おっもしろ~~~い! ( ̄▽ ̄)


なんて、面白がっている場合じゃない! 



「お世話になっております。フラメンコのAMIです。

本日、ご指定の口座に、確かにお振込みいたしました。」



と、書いたのですヨ。

一人で受けるわ、焦るわ、腹は立つわ、大汗かくわ、で

あ~~~どーしよどーしよーー!と騒いでいたけど、

とにかく可決の道はたった一つ。

新しいパソコンを買うしかないのだ。


ということになり、ダッシュでビッグカメラに行き、

バカでもチョンでも出来るパソコンください! と言って

おニューをかかえてスタジオに戻ってきた。



その、試し書きのブログです。

初めてで、何もかもやりにくい~~~~~!!!

今日は、まったく内容のない話ですみません。


まだこれからパソコンのややこしい作業を山のようにせねば。。。

こんな難しいこと、まったくわからないよーーー 

 
       もう吐きそう。。。


                              7月29日
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by amicielo33 | 2013-07-29 23:59  

       結局、自己反省

連夜、スペイン・バルセロナから中継していた

世界選手権のシンクロナイズド・スイミングを見ていた。

終わるのが3時半頃なので、また寝るのが遅くなってしまうと思いつつも、

世界強豪たちの出演が2時過ぎくらいからなので、

面白くてついつい見てしまう。

でも、昨日でやっと終わってくれたので寝られる(かな)。



それにしてもシンクロって、水中であれほどまでの体力と技をマックスで使って、

さぞや、苦しかろーに、辛かろーに。

それなのに、笑顔を絶やさず、光り輝き、

人魚のごとく水面と水中を泳ぎまわり、

頭が下がるほど美しく伸ばし切った足とつま先、そして指先を

信じられないほどのスピードと角度で

次々と形を作り、音や感情を表現していく。

両足が作り出す形で、音と感情を表現するってスゴいなぁ。



見てる方が、選手達は水中で死ぬんじゃないかと思うほど、

長時間、水中で両腕を巧みに使って、上半身を垂直に維持しながら

水面に出ている両足を、様々な角度や開脚で形を作る。

そうして、ああ!やっと呼吸が出来る!と(見てる方が)ホッとして、

選手が水面にパッと浮かび上がった時には

満面の笑顔、もしくは、作品を表現している感情たっぷりの顔。



なので、シンクロを見ていると無意識に、こっちも選手と一緒に呼吸を止めて、

何もしてないのに、 く、く、くるしいよー!早く息を吸わにゃぁ!と、

こっちが呼吸困難になってハァハァ言ってる。 (すぐその気になる単純さ)



シンクロ大国であるロシアの演技は圧巻。

団体、デュエット、ソロ、全てが、技術・表現共に完璧。

彼女たちこそ、まさに人魚。

特に、ソロで優勝した、スベトラナ・ロマシナ選手の「マリリンモンロー」は最高だった。

技術はもちろん最高だけど、プリップリにお尻を出して、可愛くてチャーミングで。。。



それにしても、どの競技も、どの舞踊も、

日本人と外国人との体力と精神力の差って、ここまで違うものかと毎度考えさせられる。

もちろん日本人でも、突出した能力を持つ人も多々いる。

でも一般的に外国人は、シンクロのような競技も舞踊も、動き始めの時から、

身体からワンワンと発せられる、パワーとオーラが本当にスゴイ。

食べ物はもちろんだけど、自分の意見や主張、自己表現をハッキリ出す国民性を

持ち合わせていない日本人だからこそ、意志、主張、そして自己表現を

最大に発揮しなくてはいけない場面で、出せないのだろうと思う。



「演技のために訓練して作った表現」より、本番の強度の緊張、

プレッシャーに対する恐怖と不安、それこそが本心なので、

やはり、本番に本心が出てしまうのだと思う。



だから、経験がものをいう。

経験を積むと、場慣れするので、強度の緊張やプレッシャーが

無くならないけど少しは和らいでくる。

なので、芸術関係は、スポーツ選手のように現役の寿命が長いので、

年齢を重ねるごとに経験をたくさん積めるので有利(というのも変だけど)だと思う。


その点、シンクロ、フィギュアスケート、新体操などの競技は、

だいたい30歳前後までの短い寿命内での勝負なので、

人生経験も競技経験も、熟年の芸術家と違ってうんと少なく、

わずか20歳台の若者の身で、緊張とプレッシャーを封じ込め、

MAXの力を出しながら自分の想いを最高の状態で表現しなくてはいけないので、

そりゃあそりゃあ、想像するだけでも大変だと思う。

世界のひのき舞台に立つ選手たちの「精神力の強さ」というものは、

我々一般人には想像できないほど強靭(にならなくては)と想像する。



一挙にレベルダウンする話をします。

自分が舞台の上で踊っている時に、

「あ~~集中できないよ~、 またミスやっちゃったよ~、ダメだこりゃ、サイテーだ~」

などと思っている時、時々、フィギュァスケートの高橋大輔くんや真央ちゃんを思い出す。

これ自体、(舞台の上なのに)恐ろしく気が散っている証拠なんだけど、

〝若いのに、世界の人たちが見ている中であれほど集中してなんてエライんだろう。 

それに比べて、なんじゃ?この軟弱な精神のワタシ・・・”

と思うことがある。



今こうして書いていて、突然、ものすごーーーーく思った!

若くして、一般人には決して出来ない過酷な猛訓練をひたすら続け、

若くして、短い演技時間にすべての結果を出そうと命を賭けて頑張っている

そういう選手たちを見ている時に、

スゴイなぁ、エライなぁ、頭が下がるよなぁ、なんて思いながらも、

「日本人は精神的に弱いんだヨナ、だめじゃん、あれじゃあ優勝ムリ」


なあああーーんて、(*_*;


エッラそうに、恐ろしいほど自分の事を棚に置いて、

選手の事をアレコレ言うのは絶対にやめよう!

と言うか、長々と今、こうしてブログに書いているではないか!

す、す、すみません!!!

失礼いたしました!!!



ということで、結局、突然の自己反省になってしまった本日のブログでした。

      
                大反省!



                                7月26日
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by amicielo33 | 2013-07-26 11:52  

   夜中に出る変な癖

自分で自分に腹が立つ癖が、私にはある。

それは、「夜中になると、掃除がしたくなり、やらないと気が済まない」事。


かといって、家の中がメチャメチャきれい、ということはない。

家には寝るために帰るくらいで、ほとんどスタジオにいるので、

家の中は、かなりゴチャゴチャしている。

雑誌とか、着ない洋服を長期間山積みにしておくと、

それは一種の「景色」になり、その景色も、意識の全くない存在にまでなる。

なので、その山積みになった洋服を、数ヶ月後に初めて認識し、

「こんな洋服が、なぜココに?」と思うことがしょっちゅうある、

だらしない私なのでアル。



でも、スタジオは、仕事場なので、できるだけキレイにしておきたいので、

まぁこまめに掃除はいつもしている。

少なくとも、トイレは絶対にきれいでないと気が済まない。

スタジオの床も、指でなぞって、床の汚れがついたら、

心の中で、ウアアアア~~!となるので、急いで掃除する。

それだけの話。



それで、自分の家での話だけど、普段、掃除がなかなか出来ないので、

だからこそ、時間に関係なく、汚い場所が目に入ったら、

やらなければ気が済まないのだ。

それも、夜中になると、やたら気になりだす。

これは、自分に非常に腹が立つ。



例えば、仕事でかなり疲れているうえに睡眠不足の時、

今日こそ早く寝なくちゃ!と、何度も自分に言い聞かせているのに、

そういう時に限って、それも夜中になると、汚い場所が目に入るのだ。

そう、昨夜は、、、台所の換気扇の油汚れ。



うわぁ。。。油汚れがちょっと溜まってる。。。

と、頭にこの言葉がよぎったので、

いかん、いかん、絶対にいかん!

寝るのだよ、私は。 

今夜は絶対に早く寝なくちゃ、また睡眠不足が続くじゃないのー

と、自分に言い聞かせながら、

意志に反して、自分の手は、すでに換気扇に手が伸びている。



換気扇に触ったら、もう最後だぞ!

触るな!触るな!触るなぁぁぁぁぁ!


あ~~~あ、換気扇の分解が始まっちゃった。。。。


なんでこーなるの?

バカ、アホ、マヌケ、と思いながらも、手はどんどんと換気扇の板を取り外し、

換気扇周りの壁にも、シュッシュシュッシュと油除去のスプレーをかけまくり、

台所も、換気扇から取り外した板でいっぱいにして、

それから、ゴシゴシゴシゴシ、洗剤やら、油除去専門の液体やらで、洗いまくる。



なんで、こーーなんだろう。。。

この掃除でまた1時間半は費やされる。

自分で自分に腹が立って、なんてバカなんだろう、と何度も何度も自分に言う。

これって本当にイヤな癖だ。

で、、、結局昨日も、寝たのが4時。



3~4日に1回は、私の住む家の、何か、汚い場所が気になる。

それも、夜中になると、気になる。

何でだろう。



夜中になると、落ちている自分の髪の毛が気になって、拾いまくる。

夜中になると、廊下とかの、隅にたまっているホコリが気になり、

ハンディーモップでホコリ取りに必死になる。

夜中になると、いろんなものを洗濯したくなる。

夜中になると、台所の流しのヌメリが気になる。

何でだろう。



こうして書いてみると、掃除ばかりしているのようで、

家の中がものすごくキレイなはずなのに、

どうしてゴチャゴチャと、キッタない場所がたくさんあるんだろう。



こういう癖を持ってる人って、、、私以外もいる?・・・ヨネ?

昨日、換気扇を掃除して、ものすごく自分に腹が立ったので、

くっだらない内容だけど、思わず書いてしまいました。

今夜は、ぜ~ったいに掃除しないゾ!

 
                                 7月21日
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by amicielo33 | 2013-07-21 23:06  

   ありがたい歌い手

7月になって再び、やたらめったら忙しくなってアップアップしている。

忙しくなる時って、これでもかーこれでもかーと、用事が重なって襲ってくる。


そして7月から本格的にリサイタルの準備が始まった。

まずは、事務仕事はもちろんだけど、形としてはチラシ制作から。

たかがチラシと思うけど、チラシは作品の顔になるので、本当に重要なのだ。

だから、チラシ制作の準備にずーーっと振り回されている。



そして今日は、私のリサイタルに出演してもらう、ダビ・ラゴス について書きたいと思う。

私のリサイタルで、前回も前々回も彼に歌ってもらっている。

ダビの歌は、ガンガン前に出ていく、強くてぶっといタイプの歌い方ではない。

繊細さ、強さ、巧妙なテクニックを持ち合わせ、さらにベテランの貫録をただよわせる。

長い呼吸の中で、声が一挙に駆け上がったり、落ちてきたり、渦を巻いたりする中、

絶対に揺るがないフラメンコの味と香りとコンパスが、ガッチリを全体を支えている。

そんな彼の歌が、私は大大大好きだ。



そして何よりも!なぜ彼に、毎回私のリサイタルの仕事をお願いするかと言うと、

歌がうまいだけじゃない。 私にとって大切な理由があるのだ。

とにかく、カンテについて博学。

多くの場合、有名なスペイン人のプロの歌い手でも、自分の得意とする歌以外は歌わない。

だから、持ち歌は素晴らしいけど、それ以外の歌は知らないし、

ゆえに歌ってくれない、というのが非常に多い。

でも、ダビの場合(他にも博学な歌い手はたくさんいるけれど)、

ものすごい数の引き出しがあるみたいで、

万が一、私が要求した歌が、彼の知らない歌とか、歌い難い歌とかだった場合、

それに代わるアイディアをたくさん出してくれる。

制作側にとって、「必要とする内容に応じてくれる」、というのが非常に重要なのだ。



そして、何より、全力で協力して助けてくれる。

彼に作品の内容とテーマを伝えると、それについて、ものすごーーく

真剣に、それも日々考えてくれて、そして各場面・場面で必要となる、

「意味を表す歌」を、多くの歌の中から次々と探し出してくれる。

それから、歌の持つ深い意味を教えてくれる。

そして、私が気に入るかどうか、振り付けのイメージが深まるか、

作品に役に立つかなど、私の意見を尊重して、そして歌ってくれるのだ。

良い歌詞がみつからない時には、自ら作詞もしてくれる。

本当にありがたい!



フラメンコを舞台上で演じるにあたって、カンテが最も「核」となるのは痛感しているけれど、

やはり、我々のような外人にとっては、その「核」の部分が、無知であるから恐ろしく、

最も行き詰ってしまう、一番弱点となる部分なのだ。

だからこそ、彼のように次々とアイディアを与えてくれて、

私の想像力を膨らませてくれる歌い手は、心から感謝の気持ちでいっぱいになる。

ホント~~に、ありがたや~~~ありがたや~~~、なのでアル。



さっきも、作品に合う一つの歌を思い出した、と言ってメールを送ってきてくれた。

前回のブログにも書いたけど、カンテには、少ない言葉数の中に、

深い深い意味があって、たった一言の中に大きな意味をどーんと含んでいる。

歌詞を読んで、本当に胸がぎゅーっとなって涙が出た。

私が表現したい事の、ど真ん中の的に見事に矢が命中した感じがした。



なので、過激して彼に即座に返答した。

「ありがとう! あまりにもスンバらしいから、この調子で考えて、

もっと素晴らしい歌をたくさん思い出して準備しといてチョ!」 と。



読み返して、エッラい、ずーずーしい返答だなぁ、と思ったけど、

ま、イイか、と思い、送信した。


舞台をやる度に、歌い手のチョイスで頭を抱えるけど、

こういう素晴らしくて、ありがたい歌い手と仕事が出来る時って、

本番までの死ぬほど大変な準備も、辛い練習も、

カンテが耳に入ってきた瞬間に、全ての苦労が消えて、

「ああ!!!何という幸せ!!!」、と心の底から思う。


そして、踊りながら、歌の上手さに感動し、

歌に泣かされ、歌に心が震える。

「フラメンコを踊る」、正に至福の時だと思う。


だから、どんなに準備が大変で辛くても、、、

その瞬間と出合うために、頑張れるのだ。



                                 7月18日
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by amicielo33 | 2013-07-18 23:20  

   表現について

ずっと前の事だけど、急に思い出したことがある。

友人のギタリストが、「また変な事を言う女に会った」と、教えてくれた。

彼がその女性に今日初めて会って挨拶をした時に、その女性が

「私は、ずっとずっと引っ越しを繰り返している人生を送っているんです。

だから、わたしは心も身体も、ヒターナ。(ジプシー女)」

と、真面目に言ったそうな。

思わず噴き出した。 アホッ!



フラメンコは、ヒターノ達によって生まれたものが多い。

歴史では、彼らはかなりの迫害をされ(まぁ、盗み事をよくしていたから、らしい)、

生活の場を求めてヨーロッパを放浪し、最後にスペイン・アンダルシア地方に着き、

そこに残ったヒターノ達が、彼らの生活苦からくるカンテを歌い、

そしてもともといたスペイン人の土地の歌と混ざって、フラメンコの歌が定着していった

という歴史がある、とのこと。 (メチャおおざっぱ説明!)


だから、放浪=ヒターノ(ジプシー)で、カッコいいと思う人がいるらしいけど、

だからといってねぇ、日本で、それも家付き、ガス・水道・電気までついて、

それで引っ越しを繰り返しても、ジプシーにはなれませぬ。



というように、冗談ではなく、日本では本筋から外れて、

平気でそういう事を言う人ってわりといるのだ。

何十年とフラメンコ界で生きてきて、そして日本人フラメンコ愛好家たちと多数、

接点を持ったけど、本当に信じられない位、

スペインのフラメンコの、表面的な部分だけを真似して、

それでスペイン人やヒターノ達と私も同じ、と思い込みをしている人を

ものすご~~~く、よく見てきたのだ。



これはもうご存知だと思うけど、スペイン人やヒターノ達のパワフルさって、

日本には存在しないほどの、エネルギーフル回転の元気力なのだ。

生まれた時から、豆類、イモ、肉類をしっかり食べて育っているのだから、

そこから発生する力は、草食動物とは違う。

それに重なって、抜けるような青空、刺すような太陽と暑さ、乾燥した空気、

夏は夜の9時まで日が暮れない、など、日本と全く違う土壌の元に人々がいて、

それも、スペイン人とヒターノ、という違う人種がいて、

さらに、生活習慣、食べ物、土地柄、言葉の使い方などがあるからこそ

その生活環境の中で生まれる感情は、当然その土壌と合ったものになる。

外部からの攻撃を受けない島国、湿気ジメジメ、重っくるしい空気、

脂っこいものより、サッパリと蕎麦やそーめんを好む日本人と、

そりゃ違ってくる。

だって、日本国内だって、やれ埼玉県人はどーの、青森県人はどーの、って

それぞれの県によって大きく、人柄や感情の表し方が違う。



スペインの中でも、スペイン人とヒターノは全く違う人種であって、

今の時代ではほぼ、生活環境がスペイン人とヒターノが同じ条件であっても、

ヒターノ達が背負ってきた迫害の歴史を経て生まれ出た感情や感覚の違いは、

当然、スペイン人とは違うものがある。

ま、簡単に言うと、土地、生活、人種が違うのだから、みんなそれぞれ違うのだ。



嬉しい、悲しい、悔しい、怒る、などの感情は、人間なのだから共通している。

ただ、その感じ方が違う。表現の仕方が違う。

日本人の好む笑いのエッセンスと、スペインで受ける笑いは違う。

人が死んだから悲しい、とかに対する涙は同じだけど、

それ以外の、日本人が涙を流す繊細な感情と、スペインで涙を流すポイントは違う。

怒りの表現法も、日本とスペインでは違う。

人を愛する力も、愛を表現する方法も、スペインと日本では大きく違う。



おおざっぱに書いても、これだけある。

スペインに長く住んで、スペイン人やヒターノ達の生活や習慣を観察して、

彼らとたくさん接すると、こういう事がたくさんわかる。

こういう彼らが、長い歴史を経て作ってきた文化が、「フラメンコ」なのだ。



だから、フラメンコを踊りやギターやカンテで勉強している人たちは、

スペイン人っぽく真似しよう、なんて簡単に考えて真似したら、

結局、中身を理解しないままの表面的な模倣になる。



じゃあ、どーすればいいの?っていうことになるけど、

ハッキリ言って、どうしようもない。

人種が違うのだから、どうしようもない。

スペイン人が踊っている顔の表情をyoutubeで繰り返し見てマネするとか、

普段の生活や格好を、ちょっとスペインの人らしくふるまってみようとか、、、

まぁ別にその人の勝手だけど、やっぱ、表面だけ真似しても、、、ねぇ。



だけど、彼らと表現方法がたとえ違っても、

最終的にたどり着く、最高の幸せの瞬間、どん底の悲しみと苦しみ、狂うほどの怒りなど、

究極の状態での感覚は、人種関係なく、同じだと思う。



なので、ここで一挙に前回のブログにつなげるつもりはないけれど、

何らかの出来事で、究極状態の感情を感じたことがあれば、

きっと同じ感覚を感じ合えて、ヒターノとスペイン人が表現するカンテを

同じ時点で感じられると思う。

(もちろん私だって日本人だから、理解できないカンテの感覚は山ほどある)



日本人が日本人の感覚のまま、フラメンコの踊りの振り付けだけをなぞっても

顔の造り以外、スペイン人と違って見えるのは当たり前。

だって、「日本人が踊っている」のだもの。

踊りで、たとえカッコいいマルカールしようと、高速の強いサパテアードをしても、

スペイン人ぽい感じを出しているように見えても、

今踊っている踊りがカッコいいだけなのか、

心からフラメンコのカンテを愛して、本当のフラメンコを知っているのか、

やはり、フラメンコがわかる人には、すぐに見透かされてしまう。



ま、別に、フラメンコの人に見透かされても、

〝フラメンコの踊りが好きなんです!踊っている自分が幸せなんです!″ って

割り切って踊るのも、そりゃ人それぞれの自由だからいいのだけど、

でも、せっかく日本と違う、フラメンコの文化を勉強しているのだから、

振り付けとか、技術とか、表現力が足りないからどんな顔をしてこの曲を踊ればいいの?

とか、表面的な事ばかり考えていないで、

もっともっと違う角度で目を向けて、勉強を深めていったら、

必ず、本当のフラメンコがたくさん見えてくる。



フラメンコ舞踊を長く教えていて、いつも思う事。

習う人の、「視野の狭さ」。

(本物の目玉から見える、視野の狭さじゃないのヨ (>_<))

足元だけ見て勉強してちゃダメですよ。

(本物の足元じゃないのヨ(>_<))



プロ・アマ関係なく、フラメンコが本当に好きと思うのなら、

いつも 『フラメンコとは?』 という観点から発想を広げていって、

常に考え、模索しましょう。

そうしてから、今習っているマルカールやパソに焦点を合わせてみると、

ああ、フラメンコだからこそ、こういう感覚、こういう表現でやらなくてはいけない、

という、マルカールとパソだけ見て練習している人とは、

絶対に違う、フラメンコの答えがたくさん見えてきます。



「フラメンコが好きなんですぅ」、と無邪気に言うアナタ!

フラメンコに魅かれるのは素晴らしいことだけど、

フラメンコというダンスが好きなのと、フラメンコが好きとは、

実は、ま~~ったく違うんですよ~!



                                    7月10日
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by amicielo33 | 2013-07-09 23:42  

       表現力の続き

一般的な踊りは、台詞のない演技をするというか、

台詞の代わりに、身体を使って、感情を表現することも多い。



「好きなの!私を見つめて!」

「あっちいってよ!顔も見たくない!」

「悲しくて胸が苦しい!」とかを動きで示すとなると、

誰もが思い浮かぶ、日常で誰もが使う動作を想像すると思う。

つまり、胸に手を当てたり、手で振り払って相手を拒絶したりと、

感情を説明する明確な「動き」をする。

明確な説明の踊りだけじゃ成り立たないので、それに加えて

技術面や躍動感を見せどころとする箇所を加え、

それに曲が付いて、さらに顔の表情を付けて完成品になる。



しかし、しかし! これがフラメンコ舞踊となると、、、、???

ご存知のように、感情を具体的に説明する動き、振り付けがない。

悲しいからって、泣く振り付けがあるわけではなく、

手首クルクルまわして、どーやって感情を表現すりゃいいの?って思う人たくさんいるはず。


あ、そういやぁ、ちょっと話がずれるけど、

アレグリアス=楽しい曲だから 思い切り幸せそうな顔 とか、

ソレア=悲しい孤独の曲だから 眉間にシワを寄せて悲痛な顔 とか、

グァヒーラ=魅力的な女を表現する曲だから 色っぽい表情 とか、


ちょっと!ちょっと!ちょっと!軽々しく思ってるアナタ!

フラメンコの感情表現って、そんな表面的な、くっだらないものじゃないんですよ。

そんなふうに思って踊ってるアナタ!

踊りではなく、フラメンコの一から勉強しなさいヨ!

と一発、喝をいれたところで、再び本題に戻りまする。



真剣に聞いてくださいよ、私の話!

具体的演技より、もっともっともっともっと凄いものが、

フラメンコに凝縮しているではないですか。

フラメンコ =(イコール) カンテ が、超濃縮・人間感情そのものなのですよ。



特に、フラメンコの歌は、余計な飾り言葉がなく、

短い歌詞の中に、恐ろしいほど深い意味と激しい感情が含まれている。

(全部の歌が、ではなく、もちろん、ま~ったく意味のない歌も山ほどあります)

だからこそ、カンテを聞いていて、ぐぐぐーーー!と、はらわたに重いものが刺さり、

さらに、その歌詞の奥に隠されている真の意味を知った時、

あああ、、、と、思わず言葉を失くす。



その、人間の極みの感情を歌ったフラメンコのカンテに対して、

フラメンコの「バイレ・踊り」があるのだ。

フラメンコの踊りが主役みたいに思われているけれど、

超濃縮・感情表現のカンテに応えなくてはいけないのが、踊りである。

だからこそ、フラメンコを踊るには、絶対に、絶対に、表現力が必要とされる。

というより、カンテに対して、「表現しないではいられない」 ものなのだ。



じゃあ、超濃縮・感情表現のカンテを、具体的な動作や演技なく、

どうやって感情表現をすればいいの???と、

超軽いMちゃんなどはスグに言うと思う。 ハハハ



ここで言います。

徹底的にスペイン人の素晴らしいカンテを聞くこと。(ただし、義務で聞かないこと)

スペイン語を徹底的に勉強すること。


この二つは絶対不可欠。

それに贅沢を言えば、「スペインの人々を徹底的に知ること」かな。

彼らの、なぜこのように感情表現をするか、どれくらいの深さや強さで

感情表現をするかなど、生活の面からも知ると、もっと根底の部分が見えてくる。



そして、、、

人生経験をたくさんたくさん積むこと。

喜びはもちろんだけど、人生経験で心の激しい痛み、心の激しい苦しみ、

激しい悲しみ、激しい怒り、を知ること。

そして、激しく落ち込み、激しく自己反省し、激しく自分を叱咤激励し、

死にもの狂いで苦しみを乗り越えて、歯を喰いしばって前に進む。

我が身を持って経験するのだから、同じに苦しんでいる人を見たら、

同感してあげられるはず。

本当の優しさがわかるはず。



フラメンコを、地声で振り絞るような声で歌っているのを聞いて、

「意味はわからないけれど胸にグッときて涙が出マス」、と言う人をよく聞く。

もちろん、感動するのだから素晴らしい事だけど、

それは本筋から数センチずれたところでの感動。

スペイン語で歌われているカンテの意味を知って、人生の厳しさを知っている人は

カンテを聞いた時、心の痛みや震える喜びを、はらわたと体中の細胞で感じられるはず。

それを知った時から、カンテに対して自然に表現をして踊れるはず。






集中して書いたので、夜中過ぎちゃった。

家にこれから帰ります。

表現力についてもうちょっと書きたいので、またすぐに書きます。


                                   7月4日
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by amicielo33 | 2013-07-04 23:52  

    表現力

今日は、「表現力」について。


人間誰しも感情があって、生きていれば必ず、日々何かしら、

感情を動かされる事に出会う。

喜び、悲しみ、怒り、などを、笑ったり、泣いたり、イライラしたりと、

心で感じることを、顔や身体を使って表すわけだ。


だから、何かに対して「感じること」は、人間であれば全員、経験者であり、

生きている限り、自分の感じたことを表現することで、

他人はそれを感じとり、相手に配慮したり、自分とはその感性が合う、

合わないなどの判断をして、人間関係保持に役立てたり、目安としたりする。

時には自分だけの世界で、無意識にニヤニヤ、ウフフ、と顔がほころんだり、

わんわん泣いたり、一人で空間に向かって遠慮なく自己表現したりする。

とにかく、人であれば絶対に、感情を表現して生きているノダ。



しかし、それが 〝踊りを通して表現する” となると、

人によってはエライ大事であり、ものすごーく難しい事になる。

なぜ、今回このテーマについて書いているかというと、

先々週にあったスタジオコンサートで、ソロで踊った生徒達の踊りを見たばかりで、

表現力について、いつにも増して考えさせられたのと、

今、新人公演の振り付けをしている中、表現力が絶対に必要な踊りなので、

そんな中、ど~~~~~~しても、表現出来ない生徒達がいて、

それで、どうやって、指導してあげたらいいのか、

ものすごおおおく、頭をかかえているからなのだ。



表現力が足りない、もしくは表現力のない人の共通点がこれだ。

 
    ■ 表現すべき感情を想像して、再現できない(らしい)
 
      そして技術面ばかりをいつも気にする 


例えば、《 両手を、天に向かって差し出すような振り付けがあるとする 》

  
例えば、悲愴かつ、壮大な曲で振付けているとして、

両手を差し出す振りのニュアンスを伝えるために、

「自分の大切な人が目の前で死にそうになっている時、泣き叫びながら

天に向かって、『お願いです!助けてください!』 と、

両手を差し出した時を想像してみて。そんな気持ちで両手を差し出す感じなの」

と、このように説明して、そして見本を見せるとする。



表現が出来る人は、すぐに、まさにその通りの気持ちを再現できるのだけど、

表現が苦手な人は、やはり何度やっても、要求する表情がなかなか出てこない。

やろうとしているのは、わかる。  

でも、顔に、身体に、その感情が出ない。




そういう人たちを見ていると、どうもそういった場面の想像が出来ないのか、

もしくは〝場面″ は想像しても、その 〝感覚″ を想像できないのか。。。

長年の指導をして、技術ではなく、表現力不足の生徒たちを見てきて、

想像力はあるはずなんだけど、「想像して感情の再現する」ことがわからないみたいなのだ。

そして、「両手の角度が悪いんですよね」とか、「もっと顔を上に上げないと

いけないんですよね」、とか、表現より技術の事ばかりをいつも気にする。

ということは、大切な人が死にそうな状況、親や家族や、好きな人が

実際にそういう状況に陥って、どん底の悲しみや恐怖を味わった、という

人生経験がないから、技術のことしか考えられないのか。

はたまた、技術の事ばかりを気にしているから、想像力の妨げになっているのか。




日常生活で、やれ、気分がブルーだとか、

胸がキュンとなってナミダ出た、とか、

そういう普通の表現では、芝居や踊りでは足りず、観ている人に伝わりづらい。



日常生活の中でも、特別な何かが起きて、そして特別に強烈に感じた時と

同じくらいの感覚を再現して、それを表情に表すと、ハッキリと人に伝わるのだ。

だから、その強烈な気持ちを経験する、日常生活での出来事がないと、

その気持ちが理解できないし、もちろん想像できないと思う。

そう、これこそが、人生経験。

人生経験を豊富に体験している人は、幸せより、究極の痛みと苦しみを

経験した割合の方が多く、それゆえ、いつでも、経験した痛みと苦しみを

すぐに思い起こすことが出来るようなのだ。






急に書き疲れちゃった(^_^;)

話も長くなってしまったので、続きは、またすぐ書きます。


おまけに、お腹空きすぎて、集中力不足ナリ。

お家に帰って、ご飯食べます!


                                 7月2日









 




     
   

   
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by amicielo33 | 2013-07-02 18:02