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   私の恩師 その1

私の人生で、幸運にも2人の恩師に出会った。

クラシックバレエの千葉先生。

そしてフラメンコの岡田昌已先生。

この恩師2人に出会うことが出来たからこそ、今の自分がいると思う。



今回は、最初に出会った、バレエの千葉先生について書きたいと思う。

元・東京バレエ団のプリマであった、旧姓・安井千香先生。

私がまだ24歳という恐ろしく若い頃、私のフラメンコ人生で一番最初に所属していた、

佐藤桂子先生の舞踊団員で、イヤでも年功序列で舞踊団の上の方に立たされていた。


その当時、舞踊団の上の存在なのに、ひとつのターンすらも出来ず、

「何一つちゃんと出来なくて恥ずかしい~」、という言葉だけが

頭にへばりついていて、でも、誰も何も教えてくれないのでどうすることも出来ず、

毎回のレッスンや舞台で、なんとも言えない重い気持ちで踊っていた。



その頃、体操の金メダリストである塚原光男さん(月面宙返りを生み出した人)が

主任としてやっていた朝日生命の体操クラブで、私はアルバイトとして、

女子の床運動の生ピアノ伴奏と美容体操の助手をしていた。


そして、機械体操の選手でもあり、美容体操の指導もしていた、私と同様、

自分の体操の演技に悩みまくっていた2人がいた。

その2人がある日私に、

「美容体操クラスに、東京バレエ団のプリマを引退したての人が入会してるヨ!」、

と興奮した顔で言ってきた。 そして、その2人は私に、

「ダメでもともと。 思い切って3人だけのバレエのクラスを頼んでみようよ!」と言ってきた。

こんなチャンスはない! もう、藁にもすがる思いで、千葉先生にクラスを懇願した。



それから、私含めて3人だけの、特別バレエクラスが始まったのだ。

3人とも、クラシックの基礎など本当に何もわからず、

そして、ひたすら何一つできず、

でも、今の自分に絶対に必要な内容が、詰りまくっている豊富な内容なので、

死にもの狂いで習得しようとするのだけど、

クラシックバレエというのは、幼少の頃、遅くても10代の頃からやっていないと、

どーにもこーにもついていけないので、

ひたすら、悔しナミダ、悲しナミダ、残念ナミダ、をこらえてのレッスンだった。

でも、週2~3回のレッスンは、スペインに留学するまので6年間、

絶対に、絶対に、休まずに行き続けた。

持続は力なりの言葉を信じて。



まぁこれは私たち側の様子だけど、

今回書きたかった事は、千葉先生の指導方法だ。


   『 強い熱意をもって、全力で生徒を指導し、全ての内容を伝える 』



ゼロの状態の私たちを、実に根気よく、そして強い熱意と愛情で、

私がスペインに旅立つまで、全力で指導をしてくださった。

私はバレリーナを目指しているわけではなく、

ただひたすら、舞踊基礎を身に付けたい一心で頑張り続けたのだけど、

とにかく出来なくて出来なくてホント―――に出来なくて、

何百回もくじけて、何百回もやめようかと思ったけど、

私たちの想いを受け止めださる、千葉先生の強い愛情と熱意による指導があったからこそ、

どうにかこうにか、舞踊基礎を理解し、そして身に付けていくことができたのだ。



クラスの時、よく私たちが千葉先生に対してこう言った。

「先生! 先生が長年、汗と苦労と努力で得た最高の技術を、

こんな、何も出来ない私たちに惜しげもなく指導しないでください。

あまりにももったいないです!」 と。

本当に、もったいなさすぎだ!と思い続けてのレッスンだった。

だから逆に、その先生に報いりたくて死にもの狂いで頑張れたのだと思う。



千葉先生が、長いクラシックバレエの人生の中で得てきた、

ハイレベルな技術、プリマとしての舞台経験、それらから得た特別な「何か」。

そういう、正に血と汗の、長年による結晶を、

私たちのクラスでは、惜しげもなく1分で教えてくださる、そんな指導だった。




しかし、実に厳しいレッスンだった。(感情で怒ることではないですヨ)

ほんの少しのごまかしやミスは、厳しい指摘を次々とされる。

あの頃は、千葉先生もプリマの地位を引退して間もない若いダンサーだったし、

私たちも、命がけでレッスンに喰らいついていくような心でクラスを受けていたので、

緊張した糸が、クラスが始まる前30分からピーンと張って、

真剣勝負の試合のような雰囲気だった。



バーレッスン(基礎レッスン)での、ちょっとの、いい加減さやごまかしは、

バーを離れての、フロアーでの応用に全て出る。

ということは、小さなごまかしをスルーすると、

すぐに自分にマイナスになって戻ってくるという事も、この時代に徹底的に学んだ。




その時代、自分が出来ない分、最高峰のバレリーナたちの踊りを見るのが大好きだった。

もちろんフラメンコはフラメンコで必死にやっていたけれど、

頭の半分はクラシックバレエの踊りの技術、はもちろんだけど、それよりも

世界のトップのバレエダンサーたちの、輝き、個性、オーラ、感性を

見て感じるのが何よりも好きで、

レッスンと仕事で夜中に帰宅して、それから明け方まで、

数々のダンサー達の踊りを、ビデオで繰り返し、繰り返し、繰り返し、何百回となく

飽きることなく見続けた時代だった。

あの時代があったからこそ、「舞台」を常に意識する自分がいるのだと思う。

あの時代があったからこそ、「舞台芸術」を意識する自分がいるのだと思う。



もちろん、スペインに留学してからも、帰国してからも、今も、

ずっとずっと交流はあるし、私の全ての舞台にご招待をして、

千葉先生に私の踊りと舞台を観ていただいている。


ある日、先生はこう言われた。

「アツコ(私)をレッスンしていた時代と、もう今は全く違うのよ。

あの時代にしていたレッスンを今の生徒達に同じようにすると、

『怒られるのでやめます』 と言って、簡単にやめちゃうの。

本気の熱意がある人が減り、指導を受ける意味と意義をわからない人が増えたの。

だから、もう昔の私をやめて、生徒がちゃんとやらなくても、

イイね、すごいね、と言って、生徒が満足するように、

アツコたちのような熱意で受ける生徒でなければ、そうしてるの。 

今の時代の生徒に合う自分に変えたの」、と、

すごく寂しそうな表情で話してくださった。



この先生の意見は、私も心から同感する。

指導者が、その人の間違っているところを直してほしいがために、

そして、生徒が間違った事をした瞬間に伝えないと、

後になって言われても、生徒は理解できないので、

思わず、その瞬間に強く言ってしまう事が多々ある。

しかし、決して怒っているわけでは決してなく、

その瞬間だからこそ、理解してもらいたくて、そして伝えたくて

こちらとしては必死に言うのだけど、

それを、「怒られた! 厳しい!」、と取る人も多くいる。



もちろん、それを、私が千葉先生の想いを理解して、

ありがたく注意を受け止めていたのと同様に、私の想いを理解して

ついてきてくれる生徒は、もちろん今いる生徒達だけど、

そうでなく、「怒られた 厳し過ぎる」と思って、去っていく生徒達には、

自分の指導方法が悪いのかと、頭を抱える事がよくある。



でも、そんな時は、いつも千葉先生に習っていた時代のレッスンを思い出す。

こちらの熱意も相当なものだったけど、

千葉先生が、いつも全力で、いつも強い愛情を持って、

私たちを育ててくださった、あの指導方法は、絶対に間違っていないと。

どれだけ多くの事を学べたことか。

どれだけ自分の成長につながったことか。



千葉先生とのレッスンの経験は、今の私にとって宝物だ。

一生、千葉先生を恩師と仰ぎ、感謝の気持ちは絶えない。



恩師に出会えるというのは、実に幸運な事だと痛感する。



                             1月31日

by amicielo33 | 2014-01-28 19:12  

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