時間がないけど、感想書きます
2013年 10月 12日
毎日毎日、寝る時間以外は、舞台の準備と仕事のみが繰り返されている日々。
恐ろしいほど時間の経過が早い。
早すぎる。
これはもう、地球滅亡を目の前に、地球自体が絶対に急いで自転していると思う!
ま、それはありえないけど、、、
とにかく時間の経過が早すぎる。
なので、前回のブログから、あっという間にこんなに間が空いちゃった。
死ぬほど忙しい毎日だけど、、、
(またここで、くっだらない話に反れるけど)
「虫にまとわる私の運命」は、このクソ忙しい中でも、ちゃんと続いている。
実は、スペインに行く前日、スペインに持っていくお土産を買おうと思って、
新宿に向かって電車に乗り、持っていたハンドバックを開けたら、
なぜか、ハンドバックの中から、ものすごい大きなアリが一匹出てきた。
ギャッと思って、あわてて払い出したけど、
私の生活の中で、アリに遭遇するチャンスは全くなく、
どこから、この巨大アリはやってきて、
そして、どーーーして、ハンドバックの中から出てきたのか、ずっと考えている。
ついでに、その日に偶然もう一つ、虫の話が重なった。
スペインに行って、万が一風邪を引いたらイヤだと思って、ドラッグストアに寄った。
風邪薬を選んでいるうちに、なぜか不思議な事に、無意識に奥の方にある、
風邪薬の箱を取りたくなって、背伸びして手を伸ばした。
そしたら、その風邪薬の箱に、おまけのようなグッズ?が付いているように見えた。
あれ?この風邪薬、オマケが付いてるぞ、ラッキー!と思って、
箱をつかんだら、
ギョエェェ~~~~!!!ウ、ウ、ウ、ウワッ!!!何コレ!!!
手にした箱に、オマケのように張り付いていた物は、
なんと、ものすごーーーーく大きな、スズメ蜂が、
カリッカリに乾燥して、その箱に張り付いていたのだ。
な ・ ん ・ で 、今、ここで、乾燥したスズメ蜂に出合わなくてはいけないのだ?!
スズメ蜂なんて、そうめったに遭えるもんじゃござんせんよ。
それも、カリッカリに乾燥してるし、
よりによって、手にしようとした風邪薬の箱に、何で張り付いているのだ?
スズメ蜂って、知ってる?!人を刺したら、死に至るほどの巨大殺人蜂ナリ。
私は前世、絶対に、虫と関連があるに違いない。
あ~ホントに腹が立つ。
とまぁ、こんな虫話しもあり、死ぬほど忙しくしている日々の中、
先週、3日間続いた「フラメンコフェスティバル」の通し券を買ってあったので、
新鮮なフラメンコのイメージをもらる事を楽しみに、会場に足を運んだ。
虫から、フラメンコに話をつなげるのもなんだなぁ。。。
それに、私のリサイタルに出てくれる、歌い手のダビ・ラゴスが
初日のベレン・マジャと、二日目のイスラエル・ガルバンの二日間共歌ったので
お客さんの立場として、彼の歌を思う存分聞けたのだった。
まぁ完全に、私の好みだけの話しだし、
時間がないので、はしょって書くけど、
初日の、ベレン・マジャの、あまりにも雑になってしまった踊りに驚き、
最終日の、観るのが拷問のような、ロシオ・モリーナの踊りに心底、疲れ果てた。
ベレンの独特の味と良さが、昔と比べて2~3割しか残っていなくて、
まぁ~なんと雑になっちゃったんだと、そればかりが目に入ってしまった。
最後のシギリージャは、お父さんであり、フラメンコの神様のようなマリオ・マジャの
昔踊っていたものを、引き継いで踊り、それがあったから何とか締まったけど、
なんかなぁ、、、、という感じだった。
ロシオは、途中何度も、眠りに落ちてしまい、
「足が異常に強いのも、身体が異常に良く動くのも、よーーーわかった。
アナタは偉い。だから、ちょっとはジッとしてて~!」、
と何十回も願い、、、しまいにゃ、
「早く終わって~!我々お客さんは、貴方を観ていて疲れ果てましたぁぁぁ!」
と、永遠に続くかと思われる舞台に、身をよじって心で叫び続けた。
フラメンコを、ちょっとでも感じさせてくれたら嬉しいのに。。。
今の彼女はもうイイや。
もっと年齢を重ねた時にどうなるか、そっちを楽しみにしよ~っと。
そんな中、中日だった、イスラエル・ガルバンの舞台は卓越していた。
イスラエルの生み出した、彼しか出来ない、彼の世界と、彼だけのスタイル。
どんな不思議な形でもいい。
何よりも、「筋金入りの、”どフラメンコ魂”」が、彼の体と心から貫いていて、
その揺るぎのない、筋金入りフラメンコ魂の鎧を身にまとって、
後は表面の飾りを、彼のスタイルで自由に遊び、あやつっていた。
しかし、全てが、まさに「完璧」。
つま先から、指の爪の先まで、オリジナルの動きが見事に、オリジナルのコンパスに入る。
まさに、目と耳が「釘づけ」。
イスラエルの舞台写真を撮ったら、100%、全ての角度から、全ての動きにおいて、
そして全ての瞬間も、完璧な動きとして、写真に納まるのだろうと思う。
舞台空間、音の効果、照明、全てお見事。
さらに、歌い手のダビ・ラゴスも、ダビ・ラゴスのお兄ちゃんの、
ギタリストのアルフレッドも、一番彼らのベストを出せる流れになっていて、
歌とギターを心の底から堪能できた。
本当に素晴らしいカンテとギターだった。
イスラエル一人で、そして、カンテとギター一人ずつで、
あれだけの舞台を、見事に、完璧に作り上げる事が出来るのは、
正に、秀でた実力者たちが集まったから、の結果だ。
イスラエル・ガルバンに、心の底から、脱帽。
想像を絶する練習量と、革新的な頭脳とセンスを持っていないと、
イスラエルのようなフラメンコの踊り手は生まれない。
それにしても、この3日間のイベントで、
歌い手とギタリストの名前すら、プログラムにも当日のお知らせにも
一切、お客さんに伝えようとしない、この失礼さには心底驚いた。
たとえ、バックのアーティストの変更がよくあろうとも、
少なくとも、当日紙に書いて張り出す、とか、
劇場内のアナウンスで伝えるとか、すべきではないかと強く思う。
失礼だと、言うのは、「彼らに対して」、だ。
もちろん、客側からにしても、あんなに素晴らしい歌を歌い、
ギターを演奏している人は、何という名前なのだろう、と絶対に思う。
たとえバックにいても、名前はもちろん、顔写真だって見たい。
見事に、「歌とギターは、舞台上での”飾りもの”」、という観念が表に現れている。
「フラメンコ=踊り」と、企画側も、お客側も思い込んでいる割合が圧倒的に
多すぎるからこそ、日本で本当のスペインのフラメンコが育っていかない
原因になっているのだと、今回のこのフラメンコフェスティバルでも、
またしっかりと、確信できた。
でもこれは、フラメンコ好きな人間の意見なので、
一般の人が、「フラメンコって、足が強くて、動きが切れて、スゴイ~!」って
喜んだら、それで十分なんだろう。
そう、世の中、感激するものに出会えたら、それでいいのだ。
ゴチャゴチャ言っちゃいけない。
とにかく、色々と刺激のあるフェスティバルでした。
おしまい。
10月19日
恐ろしいほど時間の経過が早い。
早すぎる。
これはもう、地球滅亡を目の前に、地球自体が絶対に急いで自転していると思う!
ま、それはありえないけど、、、
とにかく時間の経過が早すぎる。
なので、前回のブログから、あっという間にこんなに間が空いちゃった。
死ぬほど忙しい毎日だけど、、、
(またここで、くっだらない話に反れるけど)
「虫にまとわる私の運命」は、このクソ忙しい中でも、ちゃんと続いている。
実は、スペインに行く前日、スペインに持っていくお土産を買おうと思って、
新宿に向かって電車に乗り、持っていたハンドバックを開けたら、
なぜか、ハンドバックの中から、ものすごい大きなアリが一匹出てきた。
ギャッと思って、あわてて払い出したけど、
私の生活の中で、アリに遭遇するチャンスは全くなく、
どこから、この巨大アリはやってきて、
そして、どーーーして、ハンドバックの中から出てきたのか、ずっと考えている。
ついでに、その日に偶然もう一つ、虫の話が重なった。
スペインに行って、万が一風邪を引いたらイヤだと思って、ドラッグストアに寄った。
風邪薬を選んでいるうちに、なぜか不思議な事に、無意識に奥の方にある、
風邪薬の箱を取りたくなって、背伸びして手を伸ばした。
そしたら、その風邪薬の箱に、おまけのようなグッズ?が付いているように見えた。
あれ?この風邪薬、オマケが付いてるぞ、ラッキー!と思って、
箱をつかんだら、
ギョエェェ~~~~!!!ウ、ウ、ウ、ウワッ!!!何コレ!!!
手にした箱に、オマケのように張り付いていた物は、
なんと、ものすごーーーーく大きな、スズメ蜂が、
カリッカリに乾燥して、その箱に張り付いていたのだ。
な ・ ん ・ で 、今、ここで、乾燥したスズメ蜂に出合わなくてはいけないのだ?!
スズメ蜂なんて、そうめったに遭えるもんじゃござんせんよ。
それも、カリッカリに乾燥してるし、
よりによって、手にしようとした風邪薬の箱に、何で張り付いているのだ?
スズメ蜂って、知ってる?!人を刺したら、死に至るほどの巨大殺人蜂ナリ。
私は前世、絶対に、虫と関連があるに違いない。
あ~ホントに腹が立つ。
とまぁ、こんな虫話しもあり、死ぬほど忙しくしている日々の中、
先週、3日間続いた「フラメンコフェスティバル」の通し券を買ってあったので、
新鮮なフラメンコのイメージをもらる事を楽しみに、会場に足を運んだ。
虫から、フラメンコに話をつなげるのもなんだなぁ。。。
それに、私のリサイタルに出てくれる、歌い手のダビ・ラゴスが
初日のベレン・マジャと、二日目のイスラエル・ガルバンの二日間共歌ったので
お客さんの立場として、彼の歌を思う存分聞けたのだった。
まぁ完全に、私の好みだけの話しだし、
時間がないので、はしょって書くけど、
初日の、ベレン・マジャの、あまりにも雑になってしまった踊りに驚き、
最終日の、観るのが拷問のような、ロシオ・モリーナの踊りに心底、疲れ果てた。
ベレンの独特の味と良さが、昔と比べて2~3割しか残っていなくて、
まぁ~なんと雑になっちゃったんだと、そればかりが目に入ってしまった。
最後のシギリージャは、お父さんであり、フラメンコの神様のようなマリオ・マジャの
昔踊っていたものを、引き継いで踊り、それがあったから何とか締まったけど、
なんかなぁ、、、、という感じだった。
ロシオは、途中何度も、眠りに落ちてしまい、
「足が異常に強いのも、身体が異常に良く動くのも、よーーーわかった。
アナタは偉い。だから、ちょっとはジッとしてて~!」、
と何十回も願い、、、しまいにゃ、
「早く終わって~!我々お客さんは、貴方を観ていて疲れ果てましたぁぁぁ!」
と、永遠に続くかと思われる舞台に、身をよじって心で叫び続けた。
フラメンコを、ちょっとでも感じさせてくれたら嬉しいのに。。。
今の彼女はもうイイや。
もっと年齢を重ねた時にどうなるか、そっちを楽しみにしよ~っと。
そんな中、中日だった、イスラエル・ガルバンの舞台は卓越していた。
イスラエルの生み出した、彼しか出来ない、彼の世界と、彼だけのスタイル。
どんな不思議な形でもいい。
何よりも、「筋金入りの、”どフラメンコ魂”」が、彼の体と心から貫いていて、
その揺るぎのない、筋金入りフラメンコ魂の鎧を身にまとって、
後は表面の飾りを、彼のスタイルで自由に遊び、あやつっていた。
しかし、全てが、まさに「完璧」。
つま先から、指の爪の先まで、オリジナルの動きが見事に、オリジナルのコンパスに入る。
まさに、目と耳が「釘づけ」。
イスラエルの舞台写真を撮ったら、100%、全ての角度から、全ての動きにおいて、
そして全ての瞬間も、完璧な動きとして、写真に納まるのだろうと思う。
舞台空間、音の効果、照明、全てお見事。
さらに、歌い手のダビ・ラゴスも、ダビ・ラゴスのお兄ちゃんの、
ギタリストのアルフレッドも、一番彼らのベストを出せる流れになっていて、
歌とギターを心の底から堪能できた。
本当に素晴らしいカンテとギターだった。
イスラエル一人で、そして、カンテとギター一人ずつで、
あれだけの舞台を、見事に、完璧に作り上げる事が出来るのは、
正に、秀でた実力者たちが集まったから、の結果だ。
イスラエル・ガルバンに、心の底から、脱帽。
想像を絶する練習量と、革新的な頭脳とセンスを持っていないと、
イスラエルのようなフラメンコの踊り手は生まれない。
それにしても、この3日間のイベントで、
歌い手とギタリストの名前すら、プログラムにも当日のお知らせにも
一切、お客さんに伝えようとしない、この失礼さには心底驚いた。
たとえ、バックのアーティストの変更がよくあろうとも、
少なくとも、当日紙に書いて張り出す、とか、
劇場内のアナウンスで伝えるとか、すべきではないかと強く思う。
失礼だと、言うのは、「彼らに対して」、だ。
もちろん、客側からにしても、あんなに素晴らしい歌を歌い、
ギターを演奏している人は、何という名前なのだろう、と絶対に思う。
たとえバックにいても、名前はもちろん、顔写真だって見たい。
見事に、「歌とギターは、舞台上での”飾りもの”」、という観念が表に現れている。
「フラメンコ=踊り」と、企画側も、お客側も思い込んでいる割合が圧倒的に
多すぎるからこそ、日本で本当のスペインのフラメンコが育っていかない
原因になっているのだと、今回のこのフラメンコフェスティバルでも、
またしっかりと、確信できた。
でもこれは、フラメンコ好きな人間の意見なので、
一般の人が、「フラメンコって、足が強くて、動きが切れて、スゴイ~!」って
喜んだら、それで十分なんだろう。
そう、世の中、感激するものに出会えたら、それでいいのだ。
ゴチャゴチャ言っちゃいけない。
とにかく、色々と刺激のあるフェスティバルでした。
おしまい。
10月19日
by amicielo33 | 2013-10-12 23:53