「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

    ‶ 受け継ぐ” ということ

確か30年以上前の、1980年代半ばに観た舞台だったと思うけれど、

アルヴィンエイリー・アメリカン・ダンスシアターの設立者である、

アルヴィンエイリーという黒人の振付家が、舞踊団を設立して来日公演をした。

ダンサー全員が黒人。

そして彼の代表作の、「リベレーションズ」という作品集で、

全て黒人霊歌の曲で踊られた。

今の時代から見ると、技術的には古いテクニックが多々あるのだけど、

そんなことよりも、黒人霊歌の魂の叫びが、

彼らの肉体を通じて客席に身を刺すように伝わり、

彼らの血からほとばしるように出るエネルギーに、

息をすることも出来ないくらいに圧倒された。

公演が終わって、生まれて初めて受けた黒人霊歌を通して感じた衝撃と、

彼らの美しい肉体と、肉体と対照的な、

まぶしいほどの純白の衣装の意味と神聖さに感動して

しばらく身動きが出来ずに、客席を立つことが出来なかった。



その後、不幸な事にアルビンエイリーは亡くなり、

数年経って、再び同じ作品を掲げて、アルビンエイリー舞踊団が来日した。

私はあの舞台の感動が忘れられず、もちろん観たくて、

心から楽しみに舞台の日を待ち望んだ。

そして、「リベレーションズ」の同じ作品を見た。

しかし、全く振付けも曲も全て同じものを演じても、

ここまで違うものなのかと、唖然としてしまったのだ。



「、、、魂が、な・い・ん・だ、、、」と感じたのだ。

こんなにダンサーたちは全力で踊っているのに。。。

作品を見ながら、アルビンエイリーになんか会った事もないのに、

彼が全身全霊で、彼の舞踊団の人たちに、一つ一つ振付けながら、

彼の考える、一つずつの振りへの想いと、意味と、心と魂を、

彼が踊りながら、時には言葉で説明して、

舞踊団全員に「生の声で」伝えているの場面が、目の前でありありと見えてくる。

実際は、劇場で舞台に目を向けているのに、舞台上で今踊られている踊りも

ダンサーも目に入らず、妄想の、目の前のアルビンエイリーが

振付けて、彼の魂を直接に伝えている姿だけが見えて仕方なかった。

説明はしないけれど、20世紀バレエ団のベジャールの時も、

彼の死後、作品が存続しても空になったように感じてしまう。

だから、形を受け継いでも、それに魂があるかないかが、

不思議な事に、見ている者に伝わるんだという強い衝撃を受けて以来、

”受け継ぐこと” についてもの凄く考えるようになった。



こんな事を書いても、読んでいてピンとこないと思うので、

ザックリ超身近で簡単な例で説明すると、

フラメンコの踊りでも、何のジャンルの踊りでもいいけど、

振付けの時に、先生が、感じるままに想いを込めて振付けをしている時に、

そのクラスにいて先生の心を直接に感じながら振り付けを取るのと、

クラスを欠席していて、後から友達にその振付を教えてもらうのとでは、

同じ振付けなのに、踊る側としては、なんか違うんだなぁ~と感じるのと同じだと思う。



特に芸術がらみでは、創造者の心と魂を込めた作品を受け継ぐには、

創造者を慕い、尊敬する者がいつも横にいて、

その創造者の想いを全て込めた ”生の心と声” を直接、聞き、感じる事で

受け継ぐという言葉にふさわしいものになるんだと思う。

芸術じゃないけど、オリンピックの聖火だって、ギリシャの聖火を起こすスタートの時から、

その生の火の重要性と心を世界中の人が引き継ぎながら、

遠い海を渡って、聖火台に点火されるからこそ

大きな意味があり、世界中の人々が感動するのだと思う。

あれが、ギリシャで火を起こすことも、聖火ランナーもなく、

最終の聖火台で東京ガス会社が点火したら、、、

もう東京オリンピックは、カリカリに乾いた精神の祭典になっちまう。



長々と前置きを書いたけど、やっと本題に入る。

日本のフラメンコの歴史の一部をずっと支えてきた、エル・フラメンコが

もう何日か後には、永遠に閉店してしまう。

でも、このエル・フラメンコが無くなってしまわないように、

実に多くの方々が存続のために動き、署名を集め、大変な苦労と努力をなさったと聞く。

私も、エルフラが閉店することを聞いた時に、

何としても、このエルフラを引き継ぐ人や会社が出てきていただけたら、と願っていた。

そして有力候補の方々のお名前を聞き、署名の数も耳にし、

これなら存続は大丈夫かなと思った時に、

エル・フラメンコ側が、この「エル・フラメンコ」の名前だけは

絶対に譲らないという噂話を耳にした。



その時に、あのアルヴィンエイリーを思い出したのだ。

エル・フラメンコが築いてきた、50年というすごく長くて、

そして経営的に厳しかった時も、闘いながら乗り越え続けて

日本でのフラメンコの歴史の大きな一部を支え続けてきた、

その誇りとその歴史は、きっとエル・フラメンコに直接、

ずっとずっと携わっていらした方々の、経営魂でもあり、

フラメンコに対しての芸術魂でもあり、

それを考えたら、「エル・フラメンコ」の名前は譲らないという

お気持ちが、理解できるような気がしたのだ。

(これは、実に勝手な私だけのウルトラ偏った考えなので、

それは違う!と、言いたくなった方は読み飛ばしてください)


エル・フラメンコを受け継ぐのなら、エルフラを支え続けた方々と、

”エルフラ魂” を燃やし続け、”エルフラ経営魂” を共に分かち合い、共に過ごし、

そして今までのエルフラと全く同じ魂と器を受け継がなくては、

エルフラを愛し続けてきたお客さんは、きっと直ぐにそれを感じて、

「なんか違うんだよな」という言葉と共に少しずつ遠ざかってしまうと思うのだ。

だからこそ、秋からオープンが決まった、このエルフラの跡地に入る

新しいフラメンコのお店が、エルフラと全く違うもので、

内装も変えてスタートする事となった事を耳にして、正直ホッとしたのだ。

「エル・フラメンコでなく、新しいお店の誕生で良かった」 と。

新しいフラメンコのお店が、エスペランサや、アルハンブラや、

サラ・アンダルーサでもない新風をふかせて、日本でのフラメンコの歴史に

また貢献してくださるのを、心から楽しみにさせていただこうと思う。



これで、本当に、「エル・フラメンコ」 が終わる。

明後日のエルフラでのラストライブでは、

エルフラを一生忘れないように

ステージからの 景色も 音も

客席からの 景色も 空気も

全てしっかりと 目と耳に焼き付けようと思う。

               
      
                 8月26日





















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# by amicielo33 | 2016-08-26 19:59 | Trackback  

     疲れたけど面白かった舞台「カルメン」

8月4日から7日まで公演された、舞台「カルメン ドン・ホセの告白」。

やっと、やっと終わったぁぁぁ!!!

本当に大変だった! 本当に疲れた! でもたまらなく楽しかったぁぁぁ!



振付家の上田遥さんが、今回は演出も行い、

主役は、『ダイアモンド☆ドッグス』 というカッコいい7人組の男性たち、

そしてバイオニストの川井郁子さん。

それに、中国からの特別ゲストの 宗唅(しゅう・はん)さんや

さらにクラシックバレエ界からや、私はフラメンコ界から、などなど、

毎回上田遥さんは、様々なダンスと音楽のコーポレーションで舞台を創り、

お客さんを楽しませてくれるのだけど、

今回は、生演奏のバイオリンをしながら川井郁子さんはカルメン役をこなし、

ダイアモンド☆ドッグスのリーダーである東山義久さんがホセ役。

カルメンの夫役に、ダイアモンド☆ドッグスの、森慎吾さんが、

強烈な個性をブッ飛ばしたキャラクターでお客さんを魅了し、

カルメンのストーリーを、今回は新しい発想で演出され、

演奏あり、踊りあり、演技あり、歌あり、で、実に盛りだくさんに舞台が繰り広げられた。




この舞台稽古は、7月11日から始まり、3週間でゼロの状態から全てを創りあげ、

本番は、8月4日(木)~7日(日)までの計6公演で、

草月ホールは全て超満員。

劇場は、ダイアモンド☆ドッグスの熱いファンの方々でも溢れかえり、

でも、単にキャーキャー言うミーハーのファンではなく、

落ち着いたファン層だったので、応援の心が強く温かく舞台に伝わり、とてもいい感じだった。




それにしても、お稽古開始日から本番が終わるまでの約1ヶ月弱の間、

いやはや、本当に、本当に、本当に大変だった。

もちろん休みなどなしで、毎日最低4~5時間はお稽古場に缶詰。

私はさらに自分のクラスがあるので、毎日ダッシュで帰り、

夜遅くまでクラスをやって、寝て、すぐにカルメンのお稽古、という繰り返し。

そして毎日、毎回、毎時間、次々と踊りや演出面で、注文がノンストップで出されるし、

フラメンコとは関係ない動きや踊り、演技、歌をマスターしなくてはいけないし、

かなりの場面展開毎に様々な手順があるので、それに追われまくられ、

頭も体も極限にパンパンになってしまった。




ところで、、、

実を申し上げると、ダイアモンド☆ドッグスというグループを、失礼ながら私は存じ上げず、

若い男性たちで、お化粧もバッチリしているチラシの写真を見て、

お稽古で顔を合わせるまでは、チャラい男性グループかと思っていたのだ。(ゴメンね~!)

ところがドッコイ!と~~~~んでもございません!!!


彼らの頭の回転の良さと早やさ、どんな複雑な踊りの振付も、1発で覚えるし

振りを覚えるだけでなく、その瞬間に、演出家のやりたい事を全て把握して、

次々とムダなく動き、全て臨機応変に対応し、

踊り以外、演技も、間の取り方も、自ら的確に入れていくのには、

もう完全に脱帽もの。

フラメンコのパルマも、バストンを使ってのリズムだって、

なんと、1発でコンパスを理解して、1回理解したら、もうそれ以降、絶対に崩れない。

安定したコンパスを絶対に入れてくれるので、コントラも実に楽に入れる事が出来る。

とにかく、「1発で何事もマスターしてしまう」 のだ。



ちょっと、ちょっと~~、なんでそんなに全て出来ちゃうの? と

私が理解できずにアタフタする度に、必ず優しく説明してくれるトシくん(小寺利光くん)は、

「いや、そうしなきゃいけないし、そうするのが当たり前だから」 と。

毎日、ダイアモンド☆ドッグスの彼らの賢さに感心するばかり。

彼らが作る音楽も、歌唱力も、演技力も、ひたすら感心するばかり。

そんな彼らと一緒に踊り、演技し、何場面かはミュージカルのように歌って、

いやぁ~本当に楽しかったなぁ~。

バイオリニストの川井郁子さんも、心の全てをバイオリンの音で表現して、

本当に素晴らしいの一言!美人だし、カルメン役にバッチリ。

ホセに抱きかかえられ、のけぞって、よくあの態勢で、

あの素晴らしいバイオリンを演奏が出来るもんだ。 




全員が、本当にハイレベルのアーティスト達ばかりなので、

ミスというものは決して許されなく、気が抜けない。

でも、緊張の中とはいえ、男性たちのユーモアとイタズラに溢れ、笑わずにはいられない。

大変なお稽古だったけど、素晴らしいアーティスト達の演奏、踊り、演技を、

思う存分に見て、聞いて、味わって、楽しませてもらった。

そうして本番に突入し、

本番で、全員の熱い気持ちと爆発力が加わるのだから、

そりゃ当然、楽しくて面白い舞台になるに決まってる。




いつまでここに掲載できるのかわからないけれど、

朱さんを追って、中国からテレビ局がお稽古の初日から密着取材をして、

お稽古風景や本番も、中国放送を通して全国に放映された。

その様子を見てくださ~い。

https://m.v.qq.com/page/o/l/b/o0319ecl8lb.html?coverid=&from=timeline&isappinstalled=1



さぁ、これで今月末のエル・フラメンコのラストライブに集中します!

まだ疲労が頭に残っているので、まとまりのないブログでごめんなさい!


                                    
                            8月11日
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# by amicielo33 | 2016-08-11 19:37 | Trackback  

   ブレリアでノイローゼ?

生徒や、まだ経験の足りない研究生が、

タブラオなどで、最後に行われるフィン・デ・フィエスタで

ブレリアをちょこっと踊る事に対して、

「ブレリアなんて踊れません!」 とか口にするのを耳にする。



いやいや、フィン・デ・フィエスタでも踊れるブレリアは

既に、今までしこたま、レッスンでも、振付でも、散々やってきたのに~!

それを、フィン・デ・フィエスタなどでいつでも踊れるように、

一つで十分だから、忘れないようにして準備しておけばいいのに~!!!

と言いつつ、

その後、、、、、ムムムム っと思わず唸ってしまう。

実は、私もその昔、苦い思い出があるのだ。




前回のブログで、セビージャでフラメンコを勉強するきっかけになった、

セビージャで昔から開催されてきた、有名なフェスティバル、

『ビエナル・デ・アルテ・フラメンコ』。

このフェスティバルで、ディア・デ・ハポン(日本の日)という日が1日設けられ、

その出演のためのオーディションがあり、

それを受けにセビージャに行き、

そのついでに見学した、地元のスタジオのレッスンを見て衝撃を受け、

現地に根付いた本物のフラメンコを、私は何も知らない!という事で、

そこから、本格的に腰を据えて、フラメンコの勉強をする決意をしたのだ。



その、ビエナルで踊れるチャンスはつかんだものの、

最後は、フィン・デ・フィエスタで締めくくることになり、、、

さあ!そこから、私の地獄が始まったのダ。



今の時代、ブレリアとは何かとか、どんな感じかとか、

ブレリアの踊りもどんなので、どうすりゃいいかなど、

YouTubeでも、紙面の資料などでも、簡単に知ることが出来るけど、

なんせ、あの昔、一切そんなものがない時代、

フィン・デ・フィエスタで踊るブレリアがどんなものかなど、

日本から、フラメンコを何も知らずに勉強しに行った

アタシが知るわけないじゃぁないですか!!!

だから!その日から、私の地獄が始まったのダ!




本番まで1ヶ月くらいあったと思うのだけど、

とにかく、あまりにも無知な私+情報を得る手段がない時代に生きることで、

まったくどーーーやっていいのか、皆無の状態。

この状態を、今に例えてどんな感じかと説明すると、

ネット情報、YouTube、資料、テレビなど全くない状態で、

アフリカとかインドとかのお祭りで、即興の踊りを

あなたも1ヶ月後に舞台で踊りなさい、と言われた感じ。




昔のビエナルは、8~9月とかの真夏に、

1ヶ月半近くの毎夜、セビージャの町の中にある数々の劇場などで、

時間差で、カンテ、ギター、踊り、と分けて行われていた。

そして、その中でも、『Hotel Triana』 (ホテル・トゥリアーナ)という場所は特別で、

中央がとても広い中庭、というか広場になっていて、

その広場を囲むように、昔ながらの雰囲気の良いホテルの客室が並んでいて、

その広場でフラメンコが行われる。

ここでは、だいたい夜の11時頃から始まり、夜中の3時過ぎまで続く。

スペインの夏の夜は、灼熱の昼と真逆で、実に気持ち良くて過ごしやすい。

気持ちが良いのと、歴史があるので、特にここは地元の人が中心に集まる、

いわゆる ”通な場所” という感じだった。



このビエナルが、小さな集まりとかパーティーとか、

それくらいの小さい規模ならいいけど、

ビエナルっていやぁ、アンダルシアのフラメンコの一大イベント。

それに、フラメンコ好きなセビージャ人たちが集まる、ツウな場所、

そして昔は、ほぼ全てのビエナルの催し物にテレビ撮影が入っていて、

バッチリと中継される。

そんな、卒倒しそうな過酷な状況で、

100%ムチな私がブレリアを踊れってか???!!!




カンテとギターがバックでガンガン続いて、

それに対してなす術もなく、

舞台の上で、蒼白になって立ち尽くし、

それをテレビが中継し、

地元の通の人が固唾を飲んで、中にはバカにして笑っている人もいる、

という悪夢で、朝は飛び起きる。すでに冷汗でビチョビチョ。

目が覚めた後から、一日中、まさに何をするにも、

頭の中は、

ブレリア ブレリア ブレリア どうしよう どうしょう ブレリア ブレリア どうしよう 

ブレリア どうしよう ブレリア ブレリア ブレリア ブレリア どうしよう どうしよう

という言葉だけがグルグルと回り続け、


かろうじて持っていたCDのブレリアを聞いたって

まず、ブレリアのカンテがどうなっているのかもちんぷんかんぷんだし、

今までフラメンコを勉強してきた環境の中で、

一度として、ブレリアとは?なんていう話も、教えも聞いたこともないし、

そんな状態で、急にブレリアのカンテを聞いたってわかるわけない。

ましてや、そのカンテに、どう踊ればいいなんて、

そりゃ、100%お手上げ状態。



だから、CD聞いたって、余計に、恐怖のどん底に落ち続けるだけで、

あの時代、スペイン語もわからないし、

言いようのない恐怖と不安だけで、

睡眠もほとんど取れず、食事も喉に通らなくなり、激痩せして、

目だけは、「どうしよう!」という気持ちだけで、ガッと見開いたまま、まばたきの回数も減り、

ああ、このまま私はノイローゼになって、そして気が狂ってしまうんだろうな、、、と。

自分がどこにいて、何をしてるかもわからなくなる時があり、

本気で、逃げるか死ぬか、どちらかの選択をするまでになり、

とにかく、頭が完全にやられてた。 

まさに、死刑の日を迎えるような思いだった。




って、今、あの時の、自分の頭の中を再現して、

そのまま書いてみたけど、

ホント、今の私が、あの時の私を振り返ると、

一言、「バッカみたい~!!!」 なのだ。

たかが、ブレリアで!!! 

あ~~~くだらない!!!

たかが ブレリアで!!!

本当に、バカみたいだったのだ。



でも、あの時代、何も情報も知識も一切ない、あの状態では、

本当にどうしようもなかったのだ。



結局、ホテル・トゥリアーナで、本番の勝負曲の踊りを終え

そしてフィン・デ・フィエスタは、、、、記憶にない。

とにかく、踊ったみたいだ。

その後、打ち上げで出演者達みんなでグアダルキビール川岸に行き、

出演者の中に、画家の堀越千秋さんもいたので、

大親友であるへレスのアグヘータ(偉大な歌い手)も一緒に合流し、

明け方の川岸で、アグヘータが次々と歌った。

私は、終わった事でもう完全に脱力状態で、話す力も、立っている力もなく、

ベターっと座り込んでいた。

 ”ああ、セビージャに私はいるんだ・・・” と、なぜかこんな事を思った。




あの、気が狂いそうな恐怖の毎日は、今でも忘れられない。

でも、本当にいい経験になった。

自分の無知さを、どれほど思い知らせれたか。

だから、あれからカンテに対する自分の無知さを身を持って知り、

そしてカンテの重大さを痛いほど思い知り、

だから、あの時から勉強した。




今の時代、な~~~んでもある!

な~~~~~んでも簡単に情報が手に入る。

な~~~~~んでも簡単に目と耳にすることが出来る。

だから、今の時代、フラメンコを勉強している人は恵まれていると思う。



だ・け・ど・・・

恵まれ過ぎて、重大な事をたっくさん、見逃してしまっているんだよなぁ。


                                7月4日




















  
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# by amicielo33 | 2016-07-04 18:06 | Trackback  

  ものすご~く感心したこと

ブログにも書いたけど、今年の4月25日と26日に岡田昌已先生のリサイタルがあった。

その際、マサミ先生がスペシャルゲストとして、

歌い手、エスペランサ・フェルナンデスをスペインから招聘した。

今日は、そのエスペランサの事で、すごく感心した事を書こうと思う。



エスペランサがまだ若い頃、ヒターノの有名なフラメンコ一家、

「ファミリア・フェルナンデス(フェルナンデス一家)」 の一員として

彼女の家族と一緒に、いつもテレビやフェスティバルに

出演していたのを、私もスペインに住んでいたのでいつも見ていた。


そのうちに、エスペランサはどんどんと出世して、

フラメンコだけをジャンジャン歌う、カンタオーラだけではなく、

一流のオーケストラとの共演など、

実力を伸ばして、スペインの一流のコンサートにも幅広く出演するようになり、

フラメンコ界だけではなく、

立派な一流の歌い手として活躍をしている。

とまぁ、ここまではエスペランサの説明。




そんな彼女と、マサミ先生の舞台でご一緒できるなんて、

昔から彼女を客席から見ていた私としては、

彼女の生のカンテを、目の前で毎日聞けるチャンスとなり、

ヒャッホー!と喜んでいた。

そして、マサミてんていのリサイタルも終わり、

マサミてんていのリサイタルの次の日に、高円寺のカサ・デ・エスペランサで

彼女の特別ライブが行われた。

スペインの大劇場でいつも歌っている彼女にとって

パンパンに入って80名の場所はあまりにも小さ過ぎる、と残念がっていたけれど、

それでもプロ意識の高い彼女は、最高のライブを務めたそうな。



って、私もぜぇぇぇ~~~ったいに行きたかったけど、

この日に限って、10日後に迫っていた生徒の発表会の照明合わせと重なり、

チョチョ切れる涙を飲んで断念したのだ。

って、これはどーーでもいい事で、

肝心なことを今から書きまっせ。



日本でも大人気のエスペランサなので (←歌い手の)

超満員になったエスペランサで (←高円寺の)

マサミてんていが 彼女のカンテを、ステージから一番遠い位置にあたる、

1階のトイレのところで立って聞いていたそうな。

そしたら、彼女の歌声の低音がものすごく響き、

そして低音を歌う、声の伸びがものすごい事にも驚き、

(通常、エスペランサの張りのある高音が耳にギンギン入ってくる)

マサミてんていはひたすら驚き続けたそうな。



そして、彼女のライブが終わってから、マチャミてんていがエスペランサに、

「あんたの声の低音が、こんなに伸びのあって、

高音よりも、胃に響く素晴らしい低音の声を持っていた事にものすごく感心したワヨ」

と、言ったそうな。

そしたら、エスペランサが、

「よくそれに気が付いたワネ! それに気が付いた日本人は初めてヨ!

実は、私が歌う時に得意としているのが、低音の歌の部分なのヨ」

と言ってすごくマサミてんていの感想の言葉に喜び、

そしてエスペランサが教えてくれたことに、マサミてんていがエラく感心し、

後日、マサミてんていが私にその話を教えてくれて

私も心の底から、メチャメチャ感心したのだ。



その内容と言うのが、、、emoticon-0155-flower.gif




彼女がまだ若くて、フェルナンデス一家の一員で活躍していた時に、

彼女のパパ(歌い手 クーロ・フェルナンデス)に、

「これからもっとプロとして活躍したい」 と言ったそうな。

そしたら、クーロはすごく怒って、

「いいか、一流のプロになるのは、そんな甘っちょろいことじゃなれないんだ。

本気でプロの第一線で活躍したいのなら、まず、『発声』 から徹底的に勉強しろ!」

と言って、

それから、8年間もの間、

エスペランサは歌の発声教室に通い続けたとの事。



これって、あまりにもスゴクない???emoticon-0104-surprised.gifemoticon-0170-ninja.gifemoticon-0104-surprised.gif

ヒターノの血を引き継ぎ、

生まれた時から、フラメンコの環境にどっぷりつかり、

小さい時からすでにプロの歌い手として活躍していて、

それなのに、「発声の教室」で、一から発声を学び、

それも、ジプシーが、授業代金を払って、教室に通う、、、、

それも、8年間もの間、、、



もうこれはこれは、、、、ひたすら感心するばかりで、

彼女のプロ根性と、芸術と歌に対する真摯な気持ちと真面目さ、そして真剣さに、

いやいや、脱帽しかありません。

そして、ヒターナの我が娘に、ヒターノのパパ、クーロが、

よくぞ、「発声」から勉強しろ!と、叱咤激励して、娘を教室に通わせた、、、と、

いやはや、クーロにも心からの尊敬の拍手をパチパチパチ!!!



日本では、ちょびっとだけカンテを習って、

スペイン語はしゃべれず、カタカナのスペイン語で歌い、発声すらちゃんと出来ず、

要するに ”フラメンコの歌い手” として全く勉強も準備も出来ていない人が、

簡単に高いお金を取るプロとなり、たっくさんのステージに出ているけれど、

エスペランサ・フェルナンデスのこういう話を聞いて、どう思うんだろう。。。

と、すご~~~く思っちゃった。



とにかく、フラメンコ文化を学ばさせてもらい、職業とさせてもらっている者として、

心から頭が下がり、改めて身が引き締まる思いをさせられました。

エスペランサ(←歌い手の)、 さすがです!


                                      6月18日
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# by amicielo33 | 2016-06-18 22:16 | Trackback  

  行ってきました!

年に一度は必ず実現したい、私の旅。

外国はあまり興味なく、やはり、素晴らしき日本でしょ!

そしてもちろん、私の”大好きな運転” をしながらの旅。


今年もスタートは、伊勢参拝。

伊勢神宮への参拝は、10年前から毎年欠かさずに続いている。

無事に1年を過ごせた感謝を伝える。

伊勢から、淡路島~今治~しまなみ海道~岡山~姫路 2000kmの運転。

旅した5日間、全てお天気に恵まれ、

面白そうな場所を探しながら運転をしまくって移動。

かなり色んな場所を巡り、その中から、印象的だった場所をお伝えま~す!




まずは、淡路島。


古事記・日本書紀では

イザナギ・イザナミの2人の神様が、まだ何もない海原に降り立ち、

その海面をかき回して持ち上げた矛(ほこ)から滴り落ちた、しずくが島になったとされていて、

この島が、「おのころ島」 つまり 「絵島」。

つまり、日本という国土はこの絵島がスタートで、それから淡路島、そして四国から全土へと

イザナギとイザナミの神様が日本を産んで(創って)いかれたそうな。



   これが 「絵島」!  ちっちゃな島ダヨ!
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   絵島は不思議な地層で出来ていて、何気に癒される手触りと色でした
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   私は、植物園ってーものが好きで、ここ淡路島でも行ってきました。

  「奇跡の星の植物館」 という、植物園にしてはとてもおしゃれで素敵な所
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   このお花 面白いヨネ
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   なぁ~んか癒されました
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   淡路島は、美味しい「玉ねぎ」の生産地として有名なので、丸ごといっちゃいました!
   甘くて美味し~い!
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   さすが! 玉ねぎキャッチャーまでアリ!
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   四国の今治から岡山まで、瀬戸内海に点在する美しい島を渡る しまなみ海道
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しまなみ海道では、大島~伯方島~大三島と渡り、生口島にある「耕三寺」というお寺に入り、
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  このお寺の頂上に上がると、突然、「未来心の丘」という、
  実に不思議で、壮大な総大理石の庭園がドーンと現れてビックリ!なんじゃここは?
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    やけに広いのダ
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ここから岡山に移動

   この写真じゃわからないけど、これが日本一高い場所にあるお城 「備中松山城」
  このお城にたどり着くまでも、すごい階段をひたすら上り続ける
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  お城がある場所から撮った景色  ほらね、高い山の上なのヨ、ここは
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 おとぎ話・桃太郎の中の、温羅(うら)という鬼が ここ「鬼の城」を活動拠点としていたそうな
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  この鬼の城も、鬼城山という山の頂上に建ってます  高い所でしょ、ここも
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  桃太郎のモデルとなったのが、この大吉備津彦命を主祭神とした「吉備津神社」(きびつ)
  これは吉備津神社の廊下の写真だけどね
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  桃太郎に出てくる「きびだんご」って知ってるでしょ ここ吉備津がきびだんご発症の地デス

  
 さて、岡山から真っ直ぐ東京に帰るものもったいないので、、、 


 ここは兵庫県にある純白に輝く姫路城!(お城が続いたけど私は城マニアじゃないヨ)
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ここに写ってる写真以外、もっと もっと も~っと多くの土地を訪れました。

その中でも、「国生みの地」 といわれる淡路島と、

「桃太郎伝説の地」、岡山の吉備路が、今回の旅では特に印象的でした。

また来年も、日本の素敵な場所をめぐるぞ~!

                                        6月7日




  
   
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# by amicielo33 | 2016-06-07 19:01 | Trackback